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廣海惣太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

廣海 惣太郎(ひろみ そうたろう、前名・惣十郎[1][2]1878年明治11年)4月29日[3] - 没年不明)は、日本商人肥料商)[4][5]実業家。阪南銀行頭取[2][6][7][8]。岸和田煉瓦綿業社長[2][7]泉醤油本辰酒造取締役[2][4][7]。貝塚織物相談役[9]。泉醤油監査役[5][8]。族籍は大阪府平民[1][3][10][11]

経歴

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大阪府・先代廣海惣太郎(後に廣海惣爺と改名)の長男[2][4][5][7][9][10][11]。1901年、家督を相続した[2][4][7]。同志と図り、貝塚銀行を創立し、次いで頭取となり、1940年、合併により阪南銀行頭取に挙げられた[2]。諸会社の重役を兼ねた[2]

人物

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廣海惣太郎について、『商工資産信用録 第29回』には「職業・肥料、調査年月・1928年8月、正身身代・G、信用程度・Aa」とある[12]

『商工資産信用録 第34回 近畿版』には「職業・肥料、調査年月・1933年4月、正身身代・J、信用程度・A」とある[13]

辰馬半右衛門の従兄である[4]。趣味は能楽茶道[2][4][5][7]。宗教は真宗[2][5][7]。住所は大阪府泉南郡貝塚町西[2](現・貝塚市西町)。

家族・親族

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廣海家

廣海家は貝塚町に於いて「貝塚三家衆」と呼ばれる豪家で、代々回漕業並びに肥料商を営む[2][4][5]。廣海家が歴史の表舞台に登場するのは1835年、浄土真宗願泉寺の寺内町でこの地を支配していたト半(ぼくはん)家より諸色問屋開業を仰せつかった時からである[14]。貝塚寺内の有力町人明瀬(みょうせ)家の娘ひろが摂津国鳴尾(現在の兵庫県西宮市鳴尾町)の酒造家・辰馬半右衛門家から養子を迎え、貝塚寺内の地頭であった願泉寺卜半(ぼくはん)家から廣海姓を賜った[15]1865年から1868年には4隻の大型和船を所有し、北陸地方、東北日本海岸、北海道産の米穀や肥料を扱っていた[15]。廣海家は西廻り航路で米などを移入した結果、2万石以上もの米が貝塚で移入販売されるようになる[14]。1883年には海運業から撤退した[15]。戦前まで肥料問屋を営み、一方で貝塚銀行など地元企業の設立にも積極的に関わる[15]。廣海家住宅は登録有形文化財(建造物)である[15]

  • 父・惣爺[9][10][11](旧名・惣太郎[2][4][5][7]1840年 - ?、兵庫、辰馬兵右衛門の二男[3][9][11]、辰馬半右衛門の叔父[4]) - 岸和田銀行監査役、岸和田煉瓦取締役などを務めた[16]
  • 母・つる1850年 - ?、大阪、田守三郎兵衛の叔母)[11]
  • 姉・てい1873年 - ?、大阪、河盛利兵衛の妻)[2]
    • 1881年 - ?、大阪、田守三郎兵衛の妻)[4]
    • 千代1883年 - ?、奈良、永田郁三[2]、あるいは永田郁蔵[4]の妻)
    • 末尾1889年 - ?、大阪、相馬伊右衛門の妻)[2]
  • 妻・ノブ1882年 - ?、奈良、永田藤兵衛の妹)[2][4]
  • 二男・昌蔵[6]1901年 - ?、肥料商、東洋研磨、日本絹靴下各取締役) - 会社重役である[2]。宗教は真宗[2]。趣味は写真、園芸[2]
  • 三男・格蔵1903年 - ?)[2]
    • 同妻・和子(京都、飯田三次の五女)[2]
親戚

脚注

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  1. ^ a b 『人事興信録 第7版』ひ20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 『人事興信録 第13版 下』ヒ65頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月9日閲覧。
  3. ^ a b c 『人事興信録 第3版』ひ23-24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月9日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第8版』ヒ59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月9日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第11版 下』ヒ84頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年9月3日閲覧。
  6. ^ a b 『日本紳士録 第46版』大阪ヒの部189頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年8月5日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第14版 下』ヒ59頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月9日閲覧。
  8. ^ a b 『大日本重役大観』大阪府155頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年2月13日閲覧。
  9. ^ a b c d 『人事興信録 第5版』ひ17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月1日閲覧。
  10. ^ a b c 『人事興信録 第6版』ひ16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月9日閲覧。
  11. ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』ひ16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年6月30日閲覧。
  12. ^ 『商工資産信用録 第29回』大阪府ひ之部358頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年6月3日閲覧。
  13. ^ 『商工資産信用録 第34回 近畿版』大阪府ひ之部307頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年11月29日閲覧。
  14. ^ a b 大阪南泉州地域の商業発展史 岸和田、貝塚、泉佐野を中心に中尾清、松崎克彦、百武仁志、大阪観光大学紀要第19号(2019年5月)。2022年9月2日閲覧。
  15. ^ a b c d e 廣海家住宅貝塚市。2021年7月1日閲覧。
  16. ^ 『官報 1902年01月11日』官報 第5554号 101頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年7月26日閲覧。

参考文献

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  • 大蔵省印刷局編『官報 1902年01月11日』日本マイクロ写真、1902年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903-1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 東京毎日新聞社編『大日本重役大観』東京毎日新聞社編纂局、1918年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 商業興信所編『商工資産信用録 第29回』商業興信所、1928年。
  • 『商工資産信用録 第34回 近畿版』商業興信所、1933年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937 - 1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第46版』交詢社、1942年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。