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延徳村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
えんとくむら
延徳村
廃止日 1954年7月1日
廃止理由 新設合併
中野町日野村延徳村平野村長丘村平岡村高丘村科野村倭村中野市
現在の自治体 中野市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 長野県
下高井郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,386
国勢調査1950年
隣接自治体 下高井郡中野町、日野村、平野村、上高井郡都住村山田村
延徳村役場
所在地 長野県下高井郡延徳村大字三ツ和字大熊日向[1]
座標 北緯36度42分30秒 東経138度20分56秒 / 北緯36.70847度 東経138.34881度 / 36.70847; 138.34881座標: 北緯36度42分30秒 東経138度20分56秒 / 北緯36.70847度 東経138.34881度 / 36.70847; 138.34881
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延徳村[1][2](えんとくむら)は、長野県下高井郡にあった。現在の中野市中心部の南西、長野電鉄長野線沿線にあたる。

歴史

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村名の由来

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延徳年間頃に遠洞干拓し、耕地化した「延徳田圃」から。低地にあるため水害に遭いやすく、明治時代に救済策として杞柳(行李)の生産を奨励。豊岡杞柳細工で知られる兵庫県豊岡町(現・豊岡市)とは、大正から昭和にかけて杞柳細工の指導を仰いだり、神社を勧請して建立するなどの交流があった[3][4]

沿革

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行政

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村長助役収入役は以下の通りである。

村長

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助役

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  • 山崎庄助 1889年5月 - 1891年3月[1]
  • 久保田庄兵衛 1891年3月 - 1898年7月[1]
  • 小林常松 1898年7月 - 1901年1月[1]
  • 黒崎啓治 1901年3月 - 1905年3月[1]
  • 酒井實之助 1909年4月 - 1912年12月[1]
  • 柴本熊太郎 1912年3月 - 1913年3月[1]
  • 柴本八作 1913年4月[1] -

収入役

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  • 藤牧林右衛門 1889年5月 - 1893年3月[1]
  • 西澤光太郎 1893年4月 - 1894年5月[1]
  • 柴本禧之助 1894年6月 - 1897年6月[1]
  • 佐藤九内 1897年6月 - 1898年6月[1]
  • 久保田庄兵衛 1898年7月 - 1901年4月[1]
  • 酒井實之助 1901年4月 - 1909年3月[1]
  • 小林彦太 1909年4月 - 1913年3月[1]
  • 西山芳松 1913年4月[1] -

経済

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産業

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金融機関
  • 延徳銀行[7]

人口

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1930年に刊行された『市町村治績録 改訂第2版』によると、戸数440、人口2200[2]

出身人物

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交通

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鉄道路線

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 『長野県市町村提要』下高井郡延徳村19 - 21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『市町村治績録 改訂第2版』長野県60頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月9日閲覧。
  3. ^ 『角川日本地名大辞典 20 長野県』219 - 220ページ。
  4. ^ 長野市立博物館博物館だより 第47号」1999年7月2日。
  5. ^ 『職員録 明治29年 乙』長野県163頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月7日閲覧。
  6. ^ 『大日本紳士名鑑』長野県下高井郡54頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月9日閲覧。
  7. ^ 『日本全国諸会社役員録 明治36年』長野県429頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月6日閲覧。

参考文献

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  • 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治36年』商業興信所、1893 - 1911年。
  • 『職員録 明治29年 乙』印刷局、1896年。
  • 竹内伊四郎編『大日本紳士名鑑』明治出版社、1916年。
  • 文竜館編『長野県市町村提要』文竜館ほか、1918年。
  • 日本自治協会編『市町村治績録 改訂第2版』日本自治協会、1930年。
  • 角川日本地名大辞典 20 長野県』。

関連項目

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