廿日市市立大野中学校
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廿日市市立大野中学校 | |
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北緯34度17分36秒 東経132度16分11秒 / 北緯34.293205度 東経132.269614度座標: 北緯34度17分36秒 東経132度16分11秒 / 北緯34.293205度 東経132.269614度 | |
過去の名称 |
大野村立大野中学校 大野町立大野中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 廿日市市 |
校訓 | 自主・協同・勤労 |
設立年月日 | 1947年4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C134210001294 |
中学校コード | 340156[1] |
所在地 | 〒739-0441 |
広島県廿日市市大野原四丁目2-60 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
廿日市市立大野中学校(はつかいちしりつおおのちゅうがっこう)は、広島県廿日市市大野原四丁目にある公立中学校。
概要
[編集]現在は隣接していた大野西小学校と同一の校舎を使う「小中一貫校」である。
昭和60(1985)年度までは大野町域全体が校区とされていたので、生徒数1000名前後のマンモス校の一つだったが、昭和61(1986)年度大野東中学校を分離開校した。
平成22(2010)年度廿日市市の「第5次廿日市市総合計画」で大野西小学校・大野中学校の施設一体型の小中一貫教育推進校の整備を策定。平成26年に共用の新校舎完成。平成27(2015)年度より小中一貫校の「大野学園」設立。
沿革
[編集]- 1947年(昭和22年)4月 - 大野村立大野中学校設立。
- 1950年(昭和25年)4月 - 町制施行により、大野町立大野中学校と改称。
- 1951年(昭和26年)4月 - 広島県立大竹高等学校大野分校併設。
- 1986年(昭和61年)4月 - 大野町立大野東中学校を分離開校。
- 2005年(平成17年)11月3日 - 廿日市市への編入合併により、廿日市市立大野中学校と改称。
- 2014年(平成26年)9月 - 隣接の大野西小学校との共用新校舎完成、使用開始。
- 2015年(平成27年)4月 - 隣接する「大野西小学校」と「小中一貫教育推進校」の「大野学園」になる。
校区
[編集]- 廿日市市立大野西小学校の校区[2]
- 大野(沖筏津、筏津、大手、上之浜、住吉、水ノ越、小田ノ口、中津岡、滝ノ下、郷、護安、小山、原、下原、塩屋、上桐、林ヶ原、丸石、向原、尾立、四拾八坂、垣ノ浦、下灘、鳴川、馬ノ峠、大石原、物見山、滝山、城山、尾那岡、清水峯、八坂、経小屋、奴メリ谷、横撫、鴉ケ岡、嵐谷、猪ノウツ、広原山、四瀬、川平山、馬ノ口、高馬、上ヶ原、矢草、陣場(1236番地1〜1240番地30、1254番地1〜1259番地及び1283番地を除く)、物見西一丁目、物見西二丁目、物見西三丁目(7番を除く)、上の浜一丁目、上の浜二丁目、下の浜、大野一丁目、大野二丁目、大野中央一丁目、大野中央二丁目、大野中央三丁目、大野中央四丁目、大野中央五丁目、大野原一丁目、大野原二丁目、大野原三丁目、大野原四丁目、梅原一丁目、梅原二丁目、沖塩屋一丁目、沖塩屋二丁目、沖塩屋三丁目、沖塩屋四丁目、塩屋一丁目、塩屋二丁目、林が原一丁目、林が原二丁目、丸石一丁目、丸石二丁目、丸石三丁目、丸石四丁目、丸石五丁目、宮浜温泉一丁目、宮浜温泉二丁目、宮浜温泉三丁目、八坂一丁目、八坂二丁目
部活動
[編集]運動部
[編集]- サッカー部[3]
- 野球部
- 卓球部(男子、女子)
- バスケットボール部(男子、女子)
- 陸上部(男子、女子)
- バレーボール部
- ソフトテニス部
- 柔道部
- 剣道部
文化部
[編集]- 茶道部
- 吹奏楽部
- 美術部
アクセス
[編集]出身者
[編集]- 松本太郎(廿日市市長)
脚注
[編集]- ^ “広島県所属中学コード表 - 教育開発ONLINE” (PDF). 2020年10月10日閲覧。
- ^ 小・中学校の通学区域 - 廿日市市 2013年8月20日閲覧
- ^ 部活動 - 廿日市市立大野中学校 2013年8月20日閲覧