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弘前市立豊田小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
弘前市立豊田小学校
地図北緯40度35分38.21秒 東経140度29分52.87秒 / 北緯40.5939472度 東経140.4980194度 / 40.5939472; 140.4980194座標: 北緯40度35分38.21秒 東経140度29分52.87秒 / 北緯40.5939472度 東経140.4980194度 / 40.5939472; 140.4980194
過去の名称 外崎小学
外崎小学校
外崎簡易小学校
外崎尋常小学校
外崎国民学校
豊田村立豊田小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 弘前市
併合学校 新里国民学校
福村国民学校
設立年月日 1876年9月9日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B102210000482 ウィキデータを編集
所在地 036-8101
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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弘前市立豊田小学校(ひろさきしりつ とよだしょうがっこう)は、青森県弘前市大字豊田一丁目にある公立小学校

沿革

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  • 1876年明治9年)9月9日 - 外崎小学として創立。当時の所在地は、中津軽郡外崎村字村元237番地
  • 1882年(明治15年)1月 - 外崎小学校と改称。
  • 1887年(明治20年)5月 - 外崎簡易小学校と改称。
  • 1892年(明治25年)4月 - 外崎尋常小学校と改称。
  • 1897年(明治30年)7月 - 豊田村大字小比内字橋本22番地に校舎を新築し、移転。
  • 1909年(明治42年)4月 - 校舎増築(4教室)。
  • 1924年大正13年) - 校歌制定。
  • 1930年昭和5年)8月 - 体操場新築。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、外崎国民学校に改称。
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月1日 - 学校教育法(旧法)施行により、同日をもって、豊田村内にある外崎・新里・福村の3国民学校を統合し、豊田村立豊田小学校を設立。旧新里・福村の両国民学校は、本校の分校になる。
    • 9月 - 福村分校を分離し、福村小学校として独立。
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月 - 新里分校を、福村小学校に統合。
    • 5月 - 校章制定。
  • 1955年(昭和30年)3月1日 - 合併により弘前市立豊田小学校に改称。
  • 1956年(昭和31年)9月 - 創立八十周年記念式典挙行。校旗樹立。
  • 1961年(昭和36年)4月1日 - 大字小比内字橋本19番地に地番変更。
  • 1968年(昭和43年)9月 - 校舎改築(鉄筋コンクリート2階建)工事着工。
  • 1969年(昭和44年)
  • 1971年(昭和46年)8月 - 学校プール完成。
  • 1974年(昭和49年)8月 - 校舎増築(鉄筋コンクリート2階建)工事着工。
  • 1975年(昭和50年)5月 - 校舎増築工事完成。
  • 1994年平成6年) - 校舎(一部)建築[1]
  • 1996年(平成8年) - 新体育館建築[1]

周辺

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  • 学校の北側を腰巻川が流れ、豊田児童センターがあり、南東に弘前運動公園がある。
  • サンライフ弘前

学区

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小比内(字狐森を除く)、高田新里(字西里見)、川先全域、小比内1~4丁目、小比内5丁目の一部、豊田1~3丁目、城東1丁目の一部、城東2~5丁目、外崎全域、高田1・5丁目

  • 交通の面で豊田学区は発達している学区のひとつだが、登下校時は児童たちにとっては安全面で問題があり、今後解決すべき課題のひとつである。

交通

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参考文献

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  • 角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)[要ページ番号]
  • 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)711頁「学校沿革 小学校 豊田小学校」
  • 『弘前市教育史 別巻』(弘前市教育委員会・1979年3月12日発行)160頁「豊田小学校」

脚注

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  1. ^ a b 弘前市学校施設個別施設計画 (PDF) - 弘前市・2020年3月

関連項目

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