張昌国
張昌国 장창국 | |
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アメリカ駐在武官時代(1953年1月) | |
生誕 |
1924年9月9日 日本統治下朝鮮京畿道京城府 |
死没 |
1996年12月27日(72歳没) 大韓民国京畿道盆唐区 |
所属組織 | 大韓民国陸軍 |
最終階級 | 大将(韓国陸軍) |
墓所 | 国立大田顕忠院将軍第1墓域1号 |
張昌国 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 장창국 |
漢字: | 張昌國 |
発音: | チャン・チャングク |
日本語読み: | ちょう しょうこく |
ローマ字: | Chan Chang-Guk |
張 昌国(チャン・チャングク、장창국、1924年9月9日 - 1996年12月27日)は大韓民国の軍人、政治家。本貫は仁同張氏[1]。創氏改名による日本名は松本敏治。
人物
[編集]1924年、京城府に生まれる。父は朝鮮総督府の官吏であった[2]。京畿中学校卒業。父は俸給が少なかったが、張の中学校の成績が5等以内なこともあり医科大学に行くよう勧めた[2]。張は、全額官費の陸士の方が家の助けになり、また性格的に医科より陸士が合うと考え、陸軍士官学校第59期に入校[2]。水泳は苦手であったが兵科は志望13番目の船舶兵に指定された[3]。
1945年8月、在学中に終戦を迎え卒業扱いとなった。終戦時は沼津市の海岸で野営訓練中であった[4]。8月末、韓国人生徒を長野県の部隊に集結させて帰還することになり、姜文奉や助教として勤務していた朴敬遠と共に長野県に向かった[4]。学校側から80円の手当を受け、電車で下関市まで行きそこから船で帰国した[4]。
1946年1月15日付で軍事英語学校卒業、任少尉(軍番10013番)[5]。第1連隊教育課長。
1946年4月、警備士官学校の創設に任じ、副校長兼生徒隊長。
1948年7月、アメリカ陸軍歩兵学校に留学[8]。
1949年6月、陸軍参謀学校の創設に任じ、副校長。
1950年6月10日、陸軍本部作戦教育局長[9]。6月25日に朝鮮戦争が勃発すると前任の姜文奉大佐と交代勤務しながら戦局に対処した。
1950年9月1日、憲兵司令官。
1951年1月14日、一般参謀秘書長兼国民防衛局長[10][11]。
1951年4月27日、第1軍団副軍団長[12]。同年7月、第1軍団長代理。
1952年1月、第5師団長。8月、陸軍本部作戦局長。
1953年、駐アメリカ大使館付武官。
1955年、陸軍士官学校校長。
1956年、第1軍団長。
1957年、第2軍団長。
1959年、アメリカ陸軍大学卒業。
1960年4月、陸軍本部作戦参謀副長。同年、陸軍本部軍需参謀部長。
1961年5月、陸軍参謀次長。5・16軍事クーデター以降は戒厳行政部司令[13]。
1962年、第2軍司令官。
1963年、第1軍司令官。
1965年、合同参謀会議議長、任大将。
1967年、予備役編入、水資源開発公社社長。
1974年、第9代国会議員(維新政友会)。
勲章
[編集]- 乙支武功勲章
- 忠武武功勲章
- 花郎武功勲章
- 保国勲章統一章
- 保国勲章天授章
- レジオン・オブ・メリット - 1955年3月15日[14]
- レジオン・オブ・メリット - 1962年12月14日[15]
出典
[編集]- ^ “인동 장씨(제자 초정 권창윤)” (朝鮮語). 중앙일보 (1982年4月17日). 2022年8月17日閲覧。
- ^ a b c 張昌国 (1982年10月29日). “(3550) 제79화 제79화 육사졸업생들(3) 장창국” (朝鮮語). 中央日報 2023年9月27日閲覧。
- ^ 佐々木 1976, p. 447.
- ^ a b c 張昌国 (1982年11月27日). “남기고 싶은 이야기들 육사졸업생들 장창국 8·15해방 동경 서남해변서 야영훈련 중 알아 일 생도들 분격…활복자살 빈발 10일쯤 지난후 한국인 생도들만 모여 귀국” (朝鮮語). 中央日報 2023年9月27日閲覧。
- ^ 佐々木 1976, p. 86.
- ^ 佐々木 1976, p. 197.
- ^ 国防軍史研究所 1997, p. 592.
- ^ 佐々木 1976, p. 214.
- ^ 国防軍史研究所 1997, p. 591.
- ^ “국민방위군 사건(2)-의문을 남겨둔 채 역사 속으로” (朝鮮語). 통일뉴스. (2017年1月3日) 2018年1月19日閲覧。
- ^ “陸軍(육군) 將星級(장성급) 異動(이동)” (朝鮮語). 부산일보. (1951年1月18日) 2020年2月20日閲覧。
- ^ “6・25戦争史 第8巻” (PDF) (韓国語). 国防部軍事編纂研究所. pp. 460. 2016年9月6日閲覧。
- ^ “장창국(張昌國)”. 韓国民族文化大百科事典. 2023年8月15日閲覧。
- ^ “Chang Kuk Chang”. Military Times. 2015年12月2日閲覧。
- ^ “Chang Chang Kuk”. Military Times. 2015年11月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』原書房、1976年。
- “호국전몰용사공훈록 제5권(창군기)” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. 2020年2月20日閲覧。
- “張昌國”. 大韓民国憲政会. 2023年8月15日閲覧。
- “張昌国”. 国立大田顕忠院. 2015年11月25日閲覧。
軍職 | ||
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先代 宋堯讃 |
大韓民国陸軍憲兵司令官 第7代:1950.9.1 - 1951.1.14 |
次代 崔慶禄 |
先代 朴炳権 |
大韓民国陸軍士官学校校長 第12代:1955.6.1 - 1956.10.8 |
次代 白南権 |
先代 閔キ植 |
大韓民国陸軍第2軍司令官 第6代:1962 - 1963 |
次代 金容培 |
先代 閔キ植 |
大韓民国陸軍第1軍司令官 第8代:1963 - 1965 |
次代 金桂元 |
先代 金鐘五 |
大韓民国軍合同参謀本部議長 第9代:1965 - 1967 |
次代 任忠植 |
外交職 | ||
先代 朴東鎮 |
在ブラジル大韓民国大使 第2代:1968 - 1971 |
次代 盧錫瓚 |