第2軍団 (韓国陸軍)
第2軍団 | |
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創設 | 1950年7月24日 |
廃止 | 1950年11月 |
再編成 | 1952年3月 |
所属政体 | 大韓民国 |
所属組織 | 大韓民国陸軍 |
部隊編制単位 | 軍団 |
兵科 | 歩兵 |
兵種/任務 | 戦術指揮部隊 |
所在地 | 春川市 |
愛称 | 双龍 |
上級単位 | 第1軍 |
戦歴 |
第2軍団(だい2ぐんだん、第二軍團、제2군단)は、大韓民国陸軍の軍団で第1軍の隷下にある。
歴史
[編集]1950年7月12日に第6歩兵師団と第8歩兵師団を隷下に置く形で創設。釜山橋頭堡の戦いの直前の7月25日に韓国軍第2次編成により第1歩兵師団、第6歩兵師団を隷下に置くこととなった。釜山橋頭堡の戦いで大邱北方の防御を担当。仁川上陸作戦後は第6歩兵師団、第7歩兵師団、第8歩兵師団を隷下に置き北進。1950年10月下旬に中国人民志願軍の攻勢を受けて敗退。1950年11月、再び攻勢を受けて敗退。1951年1月10日に解散[1]。
白野戦戦闘司令部を基幹に第2軍団が再創設されることになり、1952年2月、200名余りの創設要員は米軍第9軍団で現地教育(on-the-job training,OJT)を5週間受けた[2]。これは戦後の停戦体制を念頭に置いた米軍の政策の一環であった[1]。休戦会談が締結されると米軍が撤退することは明らかであり、韓国軍が信頼できる水準の戦闘効率を確保することが重要になった[1]。韓国軍の規模を拡大するためには師団を増やすだけでなく、上級部隊の軍団も創設し、軍団の作戦指揮能力も検証しなければならなかった[1]。
1952年4月5日、春川北方のソトゴミ(소토고미)で再編成[1]。それ以前の韓国軍の軍団は、戦車、通信、工兵などの戦闘部隊や支援部隊が無く軍団司令部のみであり、隷下の師団を適切に支援する能力は無く主に作戦指揮中心の機能だけであった[1]。軍団司令部は米軍に次ぐ機能を備え、工兵や通信部隊などを持っていたが、砲兵と装甲部隊は依然として不足していた[2]。韓国軍砲兵は増編されていたが、既存の師団砲兵を増強することが急務であたため、第2軍団砲兵は米軍第5砲兵団の支援を受け、これにより諸兵協同作戦を遂行できる最初の軍団となった[2]。首都師団、第3師団、第6師団から成り、中部戦線の金城正面を担当した。
1953年2月、第2軍団砲兵団が光州尚武台で創設され、教育及び訓練を終えた後、5月9日に第2軍団に配属された[2]。
現在は春川市に本部を置いている。
編制
[編集]- 第7歩兵師団(七星師団)
- 本部大隊
- 第3歩兵連隊
- 第5歩兵連隊
- 第8歩兵連隊
- 砲兵連隊
- 第15歩兵師団(勝利師団)
- 本部大隊
- 第38歩兵連隊
- 第39歩兵連隊
- 第50歩兵連隊
- 砲兵連隊
- 第27歩兵師団(勝とう師団)
- 本部大隊
- 第77歩兵連隊
- 第78歩兵連隊
- 第79歩兵連隊
- 砲兵連隊
- 第2工兵旅団
- 第2砲兵旅団
- 第102情報旅団
- 第721情報大隊
- 第722情報大隊
- 第302警備連隊
- 第702特攻連隊
- 第1戦車大隊
- 第142情報大隊
- 第512防空大隊
- 軍団本部隊
- 支援部隊
- 第12航空団 - 航空作戦本部
歴代軍団長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 | |
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漢字/片仮名表記 | 原語表記 | ||||||
1 | 金白一 | 김백일 | 1950年7月12日[3] - 7月20日 | 奉天5期 軍事英語学校1期 |
咸昌地区戦闘司令官 | 第1軍団副軍団長 | |
2 | 劉載興 | 유재흥 | 1950年7月20日[4] - 1951年1月 | 日本陸士55期 軍事英語学校1期 |
第1軍団副軍団長 | 参謀次長 | |
3 | 白善燁 | 백선엽 | 1952年4月5日 - 1952年7月23日 | 奉天9期 | 第1軍団長 | 参謀総長 | |
4 | 劉載興 | 유재흥 | 1952年7月23日[4] - 1953年2月 | 日本陸士55期 軍事英語学校1期 |
軍事休戦会談代表 | 参謀次長[4] | |
5 | 丁一権 | 정일권 | 1953年2月 - 1954年2月 | 奉天5期 日本陸士55期 軍事英語学校1期 |
米第9軍団副軍団長 | 参謀総長 | |
6 | 張都暎 | 장도영 | 1954年2月 - 1955年5月27日 | 軍事英語学校1期 | 第8師団長 | 陸軍参謀次長 | |
7 | 咸炳善 | 함병선 | 1955年5月27日[5] - 1957年7月 | 日本陸士55期 軍事英語学校1期 |
第2訓練所長 | 陸軍本部企画参謀副長 | |
8 | 張昌国 | 장창국 | 1957 - 1959年7月 | 軍事英語学校1期 | 第1軍団長 | 米留学 | |
9 | 金炯一 | 김형일 | 1959年7月 - 1960年9月 | 軍英1期 | 連合参謀本部長 | 陸軍参謀次長 | |
10 | 閔耭植 | 민기식 | 1960年9月 - 1961年5月 | 軍英1期 | 第1軍副司令官 | 第2軍司令官 | |
11 | 朴璟遠 | 박경원 | 1961年5月 - 1962 | 陸士2期 | 諜報部隊長 | 内務省長官 | |
12 | 金益烈 | 김익렬 | 1962 | 陸軍予備士官学校 軍英1期 |
第1軍団長 | 戦闘兵科教育司令官 | |
13 | 文亨泰 | 문형태 | 1962 - 1963 | 日本志願兵2期 警備士官学校第2期 |
第1軍団長 | 陸軍参謀次長 | |
14 | 李相喆 | 이상철 | 1963 - 1965年2月26日 | 軍英1期 | 第1軍団長 | 予備役 | |
15 | 金相福 | 김상복 | 1965年2月26日 - 1966年7月 | 軍英1期 | 第1軍団長 | 国防部管理次官補[6] | |
16 | 盧載鉉 | 노재현 | 1966年7月 - 1969年8月21日 | 陸士3期 | 軍需基地司令官 | 陸軍参謀次長 | |
17 | 尹泰浩 | 윤태호 | 1969年8月21日[7] - 1971年 | 陸軍本部情報本部参謀部長 | 国防部管理次官補 | ||
18 | 金鍾煥 | 김종환 | 1971 - 1973年8月14日 | 陸士4期 | 陸軍本部情作部長 | 保安司令官 | |
19 | 金鍾洙[8] | 김종수 | 1973年8月14日 - 1975 | 陸士3期 | 駐越副司令 | 第2軍司令官 | |
20 | 李範俊[9] | 이범준 | 1975 - 1977 | 陸士8期 | 陸軍本部軍需参謀部長 | 陸軍軍需司令官 | |
21 | 兪学聖 | 유학성 | 1977[10] - 1979 | 政訓1期 | 陸軍本部教育参謀部長 | 国防部軍需次官補 | |
22 | 崔永植 | 최영식 | 1979 - 1980年8月 | 陸士8期 | |||
23 | 張正烈 | 장정열 | 1980年8月 - 1982年6月[11] | 陸士2期 | 陸軍本部戦略企画参謀部長 | 軍特命検閲会長 | |
24 | 金應烈 | 김응렬 | 1982年6月 - 1984年7月[12] | ? | 陸軍本部人事参謀部長[13] | 予備役 | |
25 | 張基梧 | 陸士12期 | 1984年7月 - 1985年12月 | 陸士12期 | 首都師団長 | 教育司令官 | ハナフェ |
26 | 閔庚培 | 민경배 | 1985年12月[14] - 1987 | 陸士14期 | 教育司令官 | ||
27 | 申末業 | 신말업 | 1987 - 1989年3月29日[15] | 陸士16期 | 第5師団長[16] | 参謀次長 | ハナフェ |
28 | 千容宅 | 천용택 | 1989年3月 - 1990 | 陸士16期 | 陸軍本部民心参謀部長[17] | 合同参謀戦略企画本部長 | |
29 | 張城 | 장성 | 1990 - 1992[18] | 陸士18期 | 陸軍本部政策企画室長 | 国防部政策室長 | |
30 | 金吉夫 | 김길부 | 1992 - 1993? | 陸士20期 | 歩兵学校長 | 兵務庁長[19] | |
31 | 劉在烈 | 유재열 | - 1995年10月11日[20] | 陸士21期 | 国防部軍需局長[21] | 軍需司令官 | |
32 | 曹永吉 | 조영길 | 1995年10月11日 - 1997年10月 | 甲種172期 | 合同参謀戦力企画部長[22] | 第2軍司令官 | |
33 | 朴魯淑 | 박노숙 | 1997年10月 - 1999年10月25日 | 陸士24期 | 陸軍本部人事参謀部[23] | 予備役編入? | |
34 | 黄圭軾 | 황규식 | 1999年10月25日[24] - 2001年11月9日[25][26] | 陸士26期 | 陸軍本部人事参謀部長 | 国防大学校総長 | |
35 | 金基成 | 김기성 | 2001年11月9日 - 2002年10月17日[27] | 陸士27期 | 陸軍本部軍需部長[28] | 軍需司令官 | |
36 | 金寛鎮 | 김관진 | 2002年10月17日 - 2004年5月27日 | 陸士28期 | 陸軍本部企画管理参謀部長 | 統合参謀本部作戦本部長 | |
37 | 鄭東漢[29] | 정동한 | 2004年5月27日[30] - 2005年11月10日 | 陸士29期 | 陸軍本部情報作戦部長 | 2軍副司令官 | |
38 | 金顕錫[31] | 김현석 | 2005年11月10日[32] - 2007年12月6日 | 陸士30期 | 合同参謀作戦部長 | ||
39 | 鄭承兆 | 정승조 | 2007年12月6日[33] - 2009年4月22日 | 陸士32期 | 国防部政策企画官 | 陸士校長 | |
40 | 呉正錫 | 오정석 | 2009年4月22日[34] -2010年12月 | 三士10期 | 教育司教育訓練部長 | ||
41 | 朴宣宇 | 박선우 | 2010年12月[35] - 2012年11月5日 | 陸士35期 | 合同参謀本部作戦本部長 | 合同参謀本部作戦本部長[36] | |
42 | 梁淙琇 | 양종수 | 2012年11月5日 - 2014年4月 | 陸士37期 | 陸軍本部情報作戦参謀部長 | 陸士校長 | |
43 | 高鉉洙 | 고현수 | 2014年4月 - 2016年4月29日 | 学軍20期 | 陸軍訓練所長 | ||
44 | 金雲龍 | 김운용 | 2016年4月29日[37] - | 陸士40期 | 陸軍情報作戦部長 | 3軍司令官 | |
45 | チェ・ヨンチョル | 최영철 | 2017年9月28日[38] - 2019年11月 | 陸士41期 | 第1軍参謀長 | ||
46 | 朴正煥 | 박정환 | 2019年11月~2020年12月 | 陸士44期 | 韓米連合軍司令部作戦参謀部次長 | 合同参謀本部作戦本部長 | |
47 | チョン・チョルジェ | 정철재 | 2020年12月~2021年12月9日 | 三士23期 | 合同参謀本部軍事支援本部民軍作戦部長 | 教育司令官 | |
48 | ジャン・グァンソン | 장광선 | 2021年12月9日[39] - 2023年11月 | 三士25期 | 三士校長 | 予備役 | |
49 | パク・フソン | 박후성 | 2023年11月 - 現 | 陸士48期 |
副軍団長
[編集]- 李翰林:1950年7月15日 - 8月
- 楊国鎮:1952年
- 元容徳:1952年4月 - 5月
- 姜文奉:1952年8月 - 9月
- 安光栄:1964年1月9日 - 1965
- 金柱亨:1970年[40]
- 柳俊馨:1981年7月13日 - 1982年
- ジョ・ビョンオ:2008年12月
参謀長
[編集]- 姜英勲:1950年7月12日[3] - 1950年8月
- 李翰林:1950年8月 - 1951年1月
- 李炯錫:1952年2月 - 4月
- 金雄洙:1952年6月-
- 金點坤: - 1952年10月
- 徐鐘喆:1952年 - 1953年
- 金悳模:1970年 - 1971年[41]
- 河小坤:1971年 - 1973年
- 李載熙:1973年[42] -
- 文判生:1993年[43]
- 任官彬:2000年?
- 金曜煥:2003年11月 - 2004年11月
- 李淳鎮:2007年5月 - 2008年3月
- ジャン・グァンソン(중장은):2018年1月[39] - 2018年12月
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f 박일송 2020, p. 116.
- ^ a b c d 박일송 2020, p. 117.
- ^ a b 国防部戦史編纂委員会 1979, p. 333.
- ^ a b c 国防部戦史編纂委員会 1970, p. 123.
- ^ “中庭の棗の木も焼けてしまった(안마당의 대추나무도 타 버려싱게)”. 済州の音. (2014年6月25日) 2015年10月16日閲覧。
- ^ “第17代参謀次長 金相福中将(17대 참모차장 김상복 중장)”. 中央日報. (1968年2月16日) 2016年4月24日閲覧。
- ^ “政府人事 (정부인사)”. 毎日経済新聞. (1969年8月21日) 2016年4月26日閲覧。
- ^ “金鍾洙” (朝鮮語). 国立大田顕忠院. 2016年4月26日閲覧。
- ^ “李範俊” (朝鮮語). 国立大田顕忠院. 2016年4月26日閲覧。
- ^ “遮日輪を見て”. 朝鮮日報. (2015年11月18日) 2016年2月6日閲覧。
- ^ 張正烈陸軍士官学校総同窓会
- ^ “進級した朴俊炳大将など 全大統領が申告受け(진급한 박준병 대장 등 전대통령이 신고 받아)”. 江南通信. (1984年7月2日) 2016年4月26日閲覧。
- ^ “「80年代の大学生強制徴集」国家機関、組織的動員 ( '80년대 대학생 강제징집' 국가기관들 조직적 동원)”. ハンギョレ. (2005年5月29日) 2016年4月26日閲覧。
- ^ 全斗煥大統領 閔庚培2軍団長進級及び担当申告受ける 1
- ^ “陸軍首脳部48人の人事|6共入り最大大将2・軍団長7人を含む(육군수 뇌부 48명 인사|6공들어 최대 대장 2·군단장 7명 포함)”. 中央日報. (1989年3月29日) 2015年11月18日閲覧。
- ^ “申末業” (朝鮮語). 国立大田顕忠院. 2016年4月26日閲覧。
- ^ “千容宅が1980年度に報国勲章三一章を受けた理由は?(천용택이 1980년도에 보국훈장 삼일장을 받으 이유는?)”. オーマイニュース. (2003年4月24日) 2016年4月26日閲覧。
- ^ 非常企画委員会
- ^ “【新次官級のプロファイル】金吉夫<兵務庁長> ...軍事戦略家(【신임 차관급 프로필】 김길부 <병무청장> .. 군사전략가)”. 韓国経済新聞. (1996年12月24日) 2016年4月28日閲覧。
- ^ “准将65人を含む将星90人人事(준장 65명 포함 장성 90명 인사)”. 中央日報. (1993年10月11日) 2015年11月18日閲覧。
- ^ “<プロフィール>劉在烈新大将(<프로필>유재열 신임 대장)”. 中央日報. (1996年10月18日) 2016年4月28日閲覧。
- ^ “現政府初代国防長官曹永吉氏「戦時作戦権」寄稿(현정부 초대 국방장관 조영길씨 ‘전시작전권’ 기고)”. 東亜日報. (2006年9月4日) 2016年4月28日閲覧。
- ^ “国防部、将星64人人事断行…「ハナフェ」一人もおらず(국방부,장성 64명 진급 단행…'하나회' 한명도 없어)”. 中央日報. (1997年10月20日) 2015年11月25日閲覧。
- ^ “合同参謀議長黄圭軾・陸参総長吉亨寶氏内定(합참의장 조영길·육참총장 길형보씨 내정)”. 中央日報. (1999年10月25日) 2015年11月25日閲覧。
- ^ “黄圭軾前双竜部隊長(鉄原)転役式(황규식 前쌍용부대장(철원) 전역식)”. 江原道民日報. (2003年11月25日) 2015年11月18日閲覧。
- ^ “初の女性将軍ヤンスンスク氏... 3将軍人事(첫 여성장군 양승숙씨…3군장성 인사)”. 韓国女性団体連合. (2001年11月9日) 2015年11月25日閲覧。
- ^ “陸・海・空将星102人の昇進人事(육·해·공 장성 102명 승진인사)”. 京鄕新聞. (2002年10月17日) 2015年10月16日閲覧。
- ^ “軍団長・師団長人事来月8日断行(군단장.사단장 인사 내달8일 단행)”. 韓国経済新聞. (2001年10月26日) 2015年10月16日閲覧。
- ^ “軍将星定期人事... 20人進級 - 補職変更(軍장성 정기인사…20명 진급-보직 변경)”. 東亜日報. (2006年4月22日) 2015年11月18日閲覧。
- ^ “鄭東漢2軍団長及び梁元模8軍団長の昇進 将官級17人の人事断行(정동한 2군단장ㆍ양원모 8군단장 승진 장성급 17명 인사 단행)”. 江原道民日報. (2004年5月28日) 2015年11月18日閲覧。
- ^ “軍将星114人人事...大佐83人准将進級(軍장성 114명 人事… 대령 83명 준장진급)”. 東亜日報. (2000年10月29日) 2015年11月25日閲覧。
- ^ “金顕錫合同参謀作戦部長 2軍団長就任(김현석 합참 작전부장 2군단장 취임)”. 江原道民日報. (2005年11月10日) 2015年11月25日閲覧。
- ^ “鄭承兆2軍団長今日の就任式(정승조 2군단장 오늘 취임식)”. 江原道民日報. (2007年12月5日) 2015年11月25日閲覧。
- ^ “金浦霞城出身 呉正錫中将 陸軍第2軍団長に就任(김포 하성출신 오정석 중장 육군 제2군단장 취임)”. 中部日報. (2009年5月4日) 2016年4月28日閲覧。
- ^ “作戦・野戦通「ラインナップ」...軍隊らしい軍隊へ(작전·야전통 ‘라인업’… 군대다운 군대로)”. ソウル新聞. (2010年12月17日) 2016年4月28日閲覧。
- ^ “梁淙琇中将 陸軍第2軍団長に就任(양종수 중장 육군 제2군단장 취임)”. 聯合ニュース. (2012年11月5日) 2016年4月28日閲覧。
- ^ “第46代陸軍2軍団長に金雲龍中将就任(제46대 육군 2군단장에 김운용 중장 취임)”. ニューシス. (2016年4月29日) 2017年10月22日閲覧。
- ^ “陸軍2・3軍団長就任...8軍団は29日実施(육군 2·3군단장 취임…8군단은 29일 거행)”. 毎日経済. (2017年9月28日) 2017年10月22日閲覧。
- ^ a b “蔚珍出身チャン・グァンソン中将、陸軍第2軍団長に就任(군위인, 이순진 소장 육군 2사단장 취임)”. 蔚珍トゥデイ. (2009年5月4日) 2021年12月15日閲覧。
- ^ “陸軍少将李載熙” (朝鮮語). 国立大田顕忠院. 2016年11月5日閲覧。
- ^ “陸軍准将金悳模” (朝鮮語). 国立大田顕忠院. 2017年10月25日閲覧。
- ^ “陸軍少将李載熙” (朝鮮語). 国立大田顕忠院. 2016年11月5日閲覧。
- ^ “陸軍少将文判生” (朝鮮語). 国立大田顕忠院. 2017年10月25日閲覧。
参考文献
[編集]- “韓國戰爭史第2巻 遲延作戰期(1950.7.5~1950.7.31)” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. 2019年7月28日閲覧。
- “韓國戰爭史第3巻 洛東江防禦作戰期(1950.8.1~9.30)” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. 2018年10月28日閲覧。
- 박일송 (2020). “6·25전쟁 시기 제2군단의 전투효율성으로 본 금성전투의 의의”. 군사연구 (陸軍軍史研究所) 150: 111-136.