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第7歩兵師団 (韓国陸軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第7歩兵師団
創設 1949年1月7日
所属政体 大韓民国
所属組織 大韓民国陸軍
部隊編制単位 師団
兵科 歩兵
愛称 七星(칠성
上級単位 第2軍団
戦歴 朝鮮戦争
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第7歩兵師団(だい7ほへいしだん、朝鮮語: 제7보병사단、第七步兵師團)は大韓民国陸軍の師団の1つ。

歴史

[編集]

1949年1月7日、龍山で第7旅団が創設される。同年2月1日、首都旅団に改称[1]。同年5月12日、首都師団に発展し、6月20日に第7師団に改称された[2]

創設当時は第1連隊、第9連隊、第17連隊、第19連隊で編制されていたが、部隊異動によって1950年6月の時点で第1連隊(連隊長:咸俊鎬大領)、第9連隊(連隊長:尹春根中領)、第25連隊(連隊長:金炳徽中領)、第8砲兵大隊、工兵大隊で編制されていた。

朝鮮戦争開戦時、第7師団はソウル北方の議政府方面を守備していた。この方面に人民軍は第3師団(師団長:李永鎬少将)、第4師団(師団長:李権武少将)、第105戦車旅団(旅団長:柳京洙少将)を投入した。また第25連隊は移動中で忠清北道温陽に留まっており、第7師団は2個連隊で人民軍を阻止しなければならなかった。

ソウル陥落後に混成第7師団に再編され、漢江で人民軍を阻止した(漢江の戦い)。漢江防御線が崩壊すると、閔耭植大領が第7師団の残兵を集めて閔支隊を編成した。閔支隊は湖南地方の遅滞や釜山橋頭堡の戦いに参加し、第5連隊に改編された。

1950年9月、第3連隊、第5連隊、第8連隊で第7師団は再編成される。仁川上陸作戦後の北進に参加。北進中に第8連隊(連隊長:金龍周中領)が平壌に入城。平壌占領後は第8軍の予備として平壌地域に残った。

1950年11月3日、飛虎山(622高地)で第38軍の1個師を撃退[3]

1950年11月、クリスマス攻勢に参加するが、中国軍の第2次攻勢を受けて後退。

1951年4月、アメリカ軍第10軍団(軍団長:アーモンド少将)に編入[4]

1951年5月、中国軍の5月攻勢を受けて大損害を被り再編成に努めていたが、31日にはアメリカ軍第1海兵師団の作戦地域を引き継ぎ戦線に復帰した[5]

1951年9月26日、白石山(1142高地)を占領するが、人民軍の反撃を受けて後退[6]

1951年9月30日、陸軍本部直轄となり、楊口に移動して11月17日まで部隊整備と教育訓練を実施[4]。訓練修了後、第8師団の作戦地域(白石山地域)を引き継いで前線に復帰[4]

1951年12月25日から1952年1月13日までクリスマス高地(1090高地)の戦いが展開される[6]。第3連隊(連隊長:李召東大領)が中国軍第204師と攻防戦を展開し、最終的に高地を確保することに成功した。

1952年11月15日から1953年1月30日まで、楊口に移動して軍団予備となり、部隊整備と教育訓練を実施[7]。期間中の1月20日、第3野戦砲兵団を配属し、師団砲兵団を創設[7]。2月1日、アメリカ軍第25師団と交代して前線に復帰[7]

1953年5月18日、白石山地域を第20師団(師団長:劉興守少将)に引き渡し、楊口に移動して軍団予備となり、部隊整備と教育訓練を実施したが、中国軍の6月攻勢で訓練を中断[8]

1953年6月17日、第10軍団の左側方地域にて中国軍の攻撃を撃退[8]

1953年7月、鮮于高地(938高地)を喪失[9]

師団長

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氏名 在任期間 出身校・期 前職 後職 備考
漢字/片仮名表記 原語表記
1 李俊植 이준식 1949.1.7 - 5.9
1949.6.20 - 1950.6.10
雲南陸軍講武堂 ? 5月准将
2 劉載興 유재흥 1950.6.10 - 7.3 日本陸士55期
軍英1期
第2師団長 第1軍団副軍団長
3 閔耭植 민기식 1950.7.3 - 7.11 建国大学
軍英1期
閔支隊長 戦時特命検閲部補佐官
4 申尚澈 신상철 1950.9 - 1950.12.15 日本航士58期
軍英1期
陸軍本部人事局長 空軍本部作戦局長
5 金炯一 김형일 1950.12.15 - 軍英1期 特務部隊長 陸軍本部情報局長
6 金容培 김용배 1951.5.28 - 軍英1期 副師団長 西南地区戦闘司令官
7 李成佳 이성가 1951.9.1[10] - 1952.9.1 中央陸軍軍校 太白山戦闘司令官 陸軍本部前方指揮所長
8 任忠植 임충식 1952.9.1[11] - 1953.7.1 警士1期 第2師団副師団長 憲兵司令官
9 金容培 김용배 1953.7.1 - 1954 軍英1期 陸軍本部人事局長 陸軍本部人事局長
10 李成佳 이성가 1954 - 1955.7 軍英1期
11 金益烈 김익렬 1955.7 - 1957.9.1 軍英1期 第8師団長 陸軍本部輸送監
12 朴正煕 박정희 1957.9.1 - 1958.6.17 同徳台2期
日本陸士57期
警士2期
第6軍団副軍団長 第1軍参謀長 58.3.1少将
13 河甲淸 하갑정 1958.6.17 - 1959.10.1[12] 警士2期 特務部隊長 准将
14 金在鉉 김재현 1959.10.1[12] - 1961 警士2期 特務部隊長 准将
15 盧載鉉 노재현 1961 - 1963 警士3期 30師団長 陸軍本部監察監
16 高光道 고광도 1963 - 1964 警士3期
17 鄭昇和 정승화 1964 陸士5期 陸軍防諜部隊隊長 国防部人事局長
18 鄭鳳旭 정봉욱 1964 - 1967.7 平壌学院[13] ? 三士官学校長 元人民軍中佐
19 白南台 백남대 1967.7 - 陸士5期 39師団長
20 李在田 이재전 1969 - 陸士8期 第1軍参謀 韓米第1軍団朝鮮語版副軍団長
21 車圭憲朝鮮語版 차규헌 1970[14] - 1972 陸士8期 駐越鳩部隊司令官 陸軍本部作戦参謀部次長 ハナフェ
22 金容今[15] 김용금 1972 - 1975[16] 陸士7期 陸軍軍需司令部参謀長 国防部人事局長
23 河小坤 하소곤 1975 - 1977.7.16[17] 甲種1期 第3軍司令部作戦処長 第1軍参謀長
24 キム・ヘチャン 김해창 1977.7.16 - 1978.10.25 陸士10期
25 盧武植 노무식 1978.10.25 - 1980.7.10 陸士12期 ソウル大軍団長 陸軍本部作戦参謀部長[18]
26 裵秉魯 배병노 1980.7.10 - 1982[19] 護士3期 陸軍福祉勤務管理団長 陸軍歩兵学校長
27 閔泰求朝鮮語版 민태구 1982 - 1984.1.17 陸士13期 国防部第1次官補
28 丁萬吉 정만길 1984.1.17 - 1986.1.17 陸士16期 第5空輸旅団長 政策企画次長[20]
29 閔炳宣 민병선 1986.1.17 - 1988.1.17 甲種117期 合参本部計画調整室長 3軍副軍団長
30 金鎭渲 김진선 1988[21] - 1990.1.19 陸士19期 体育部隊長 人事参謀部長
31 鄭然友 정연우 1990.1.19 - 1992 甲種157期 陸軍本部人事運営監 陸軍歩兵学校長[22]
32 林鍾燮 임종섭 1992 - 1993 陸士22期 陸軍本部人事参謀部長[23]
33 李南信 이남신 1993 - 1995 陸士23期 第1司令部人事処長 陸軍本部監察官
34 金鍾煥 김종환 1995 - 1997 陸士25期 第5軍団軍団長
35 權泳基 권영기 1997 - 1998.4 甲種222期 第1軍参謀長
36 朴興烈朝鮮語版 박흥렬 1998.4 - 2001.3 陸士28期 陸軍本部人事運営処長 陸軍本部人事参謀部長
37 金洪榮 김홍영 2001.3 - 2002.3.11 陸士25期
40 崔鍾一 최종일 2007.5 - 2009.9.28 陸士34期 国防部国防政策室国際政策次長 韓米連合軍司令部作戦参謀部次長
41 イ・サンヒョン 이상현 2009.9.28 - 2011.4.29 陸士36期 韓米連合軍司令部作戦参謀部作戦処長 第3軍参謀長
42 ウォン・ホンギュ 원홍규 2011.4.29 - 三士16期 三士生徒隊長 陸軍本部監察室長
43 具洪謀[24] 구홍모 - 2014.10.17 陸士40期 合同参謀本部作戦1処長 合同参謀本部作戦部長
44 徐正烈 서정열 2014.10.17 - 2016.10.25 三士20期 第1軍司令部火力部長 三士官学校長
45 金鍾哲 김종철 2016.10.25 - 陸士44期 大統領警護室軍事管理官[25] 国防大学総長

編成

[編集]
  • 第3歩兵連隊
  • 第5歩兵連隊
  • 第8歩兵連隊
  • 砲兵連隊
  • 第7歩兵師団直轄部隊
    • 本部
      • 軍楽隊
    • 軍警察大隊(憲兵隊)
    • 情報通信大隊
    • 整備大隊
    • 捜索隊
    • 工兵隊
    • 機務隊
    • 戦車大隊
    • 防空中隊
    • 化学兵器支援隊
    • 補給輸送大隊
    • 補充中隊

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』1976年、213頁。 
  2. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』1976年、214頁。 
  3. ^ 軍史研究所 2002, p. 362.
  4. ^ a b c 国防部戦史編纂委員会 1986, p. 294.
  5. ^ 軍史研究所 2004, p. 265.
  6. ^ a b 軍史研究所 2007, p. 345.
  7. ^ a b c 国防部戦史編纂委員会 1986, p. 295.
  8. ^ a b 国防部戦史編纂委員会 1986, p. 296.
  9. ^ 軍史研究所 2007, p. 336.
  10. ^ 軍史研究所 2007, p. 156.
  11. ^ 6・25戦争史 第10巻” (PDF) (韓国語). 国防部軍事編纂研究所. pp. 362. 2016年9月6日閲覧。
  12. ^ a b “政府人事” (朝鮮語). 釜山日報. (1959年10月3日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19591003000019 2021年9月7日閲覧。 
  13. ^ 三士官学校の紹介” (韓国語). 陸軍三士官学校を愛する者たちの会. 2016年11月3日閲覧。
  14. ^ 車圭憲” (韓国語). 民族文化大百科事典. 2016年10月29日閲覧。
  15. ^ 人物情報-金容今” (韓国語). 中央日報. 2016年10月29日閲覧。
  16. ^ 陸軍中将金容今” (韓国語). 国立大田顕忠院. 2016年10月29日閲覧。
  17. ^ 陸軍少将河小坤” (韓国語). 国立大田顕忠院. 2016年11月3日閲覧。
  18. ^ 盧武植” (韓国語). 韓国人物情報・ビジョンコリア. 2017年8月16日閲覧。
  19. ^ 陸軍少将裵秉魯” (韓国語). 国立大田顕忠院. 2016年11月3日閲覧。
  20. ^ 丁萬吉” (韓国語). 韓国人物情報・ビジョンコリア. 2017年8月16日閲覧。
  21. ^ “[イ・ホンイクの人物オデッセイ]金鎭渲予備役大将(“[이헌익의 인물 오디세이] 김진선 예비역 대장”)”. 中央日報. (2000年8月7日). http://news.joins.com/article/3953602 2016年10月29日閲覧。 
  22. ^ 陸軍少将鄭然友” (韓国語). 国立大田顕忠院. 2016年11月3日閲覧。
  23. ^ “林鍾燮少将4千万ウォン収賄確認...陸軍犯罪捜査隊(“임종섭소장 4천만원수뢰 확인...육군범죄수사대”)”. 韓国経済新聞. (1993年11月1日). http://news.hankyung.com/article/1993110102641 2017年8月16日閲覧。 
  24. ^ 2015年後半の閣僚級将校人事断行” (韓国語). 国防部. 2016年10月29日閲覧。
  25. ^ “第45代陸軍7師団長に金鍾哲少将就任(“[이헌익의 인물 오디세이] 김진선 예비역 대장”)”. news1. (2016年10月25日). http://news1.kr/articles/?2812323 2016年11月3日閲覧。 

参考文献

[編集]
  • 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第1巻 人民軍の南侵と国連軍の遅滞作戦』かや書房、2000年。ISBN 4-906124-41-0 
  • 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第2巻 洛東江防御線と国連軍の反攻』かや書房、2001年。ISBN 4-906124-45-3 
  • 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第3巻 中共軍の介入と国連軍の後退』かや書房、2002年。ISBN 4-906124-50-X 
  • 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第4巻 国連軍の再反攻と中共軍の春期攻勢』かや書房、2004年。ISBN 4-906124-58-5 
  • 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第5巻 休戦会談の開催と陣地線への移行』かや書房、2007年。ISBN 978-4-906124-64-0 
  • 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第6巻 休戦』かや書房、2010年。ISBN 978-4-906124-69-5 
  • 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』原書房、1976年。 
  • 韓國戰爭要約” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. 2020年10月2日閲覧。

関連項目

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