第7歩兵師団 (韓国陸軍)
第7歩兵師団 | |
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創設 | 1949年1月7日 |
所属政体 | 大韓民国 |
所属組織 | 大韓民国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵科 | 歩兵 |
愛称 | 七星(칠성) |
上級単位 | 第2軍団 |
戦歴 | 朝鮮戦争 |
第7歩兵師団(だい7ほへいしだん、朝鮮語: 제7보병사단、第七步兵師團)は大韓民国陸軍の師団の1つ。
歴史
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1949年1月7日、龍山で第7旅団が創設される。同年2月1日、首都旅団に改称[1]。同年5月12日、首都師団に発展し、6月20日に第7師団に改称された[2]。
創設当時は第1連隊、第9連隊、第17連隊、第19連隊で編制されていたが、部隊異動によって1950年6月の時点で第1連隊(連隊長:咸俊鎬大領)、第9連隊(連隊長:尹春根中領)、第25連隊(連隊長:金炳徽中領)、第8砲兵大隊、工兵大隊で編制されていた。
朝鮮戦争開戦時、第7師団はソウル北方の議政府方面を守備していた。この方面に人民軍は第3師団(師団長:李永鎬少将)、第4師団(師団長:李権武少将)、第105戦車旅団(旅団長:柳京洙少将)を投入した。また第25連隊は移動中で忠清北道温陽に留まっており、第7師団は2個連隊で人民軍を阻止しなければならなかった。
ソウル陥落後に混成第7師団に再編され、漢江で人民軍を阻止した(漢江の戦い)。漢江防御線が崩壊すると、閔耭植大領が第7師団の残兵を集めて閔支隊を編成した。閔支隊は湖南地方の遅滞や釜山橋頭堡の戦いに参加し、第5連隊に改編された。
1950年9月、第3連隊、第5連隊、第8連隊で第7師団は再編成される。仁川上陸作戦後の北進に参加。北進中に第8連隊(連隊長:金龍周中領)が平壌に入城。平壌占領後は第8軍の予備として平壌地域に残った。
1950年11月3日、飛虎山(622高地)で第38軍の1個師を撃退[3]。
1950年11月、クリスマス攻勢に参加するが、中国軍の第2次攻勢を受けて後退。
1951年4月、アメリカ軍第10軍団(軍団長:アーモンド少将)に編入[4]。
1951年5月、中国軍の5月攻勢を受けて大損害を被り再編成に努めていたが、31日にはアメリカ軍第1海兵師団の作戦地域を引き継ぎ戦線に復帰した[5]。
1951年9月26日、白石山(1142高地)を占領するが、人民軍の反撃を受けて後退[6]。
1951年9月30日、陸軍本部直轄となり、楊口に移動して11月17日まで部隊整備と教育訓練を実施[4]。訓練修了後、第8師団の作戦地域(白石山地域)を引き継いで前線に復帰[4]。
1951年12月25日から1952年1月13日までクリスマス高地(1090高地)の戦いが展開される[6]。第3連隊(連隊長:李召東大領)が中国軍第204師と攻防戦を展開し、最終的に高地を確保することに成功した。
1952年11月15日から1953年1月30日まで、楊口に移動して軍団予備となり、部隊整備と教育訓練を実施[7]。期間中の1月20日、第3野戦砲兵団を配属し、師団砲兵団を創設[7]。2月1日、アメリカ軍第25師団と交代して前線に復帰[7]。
1953年5月18日、白石山地域を第20師団(師団長:劉興守少将)に引き渡し、楊口に移動して軍団予備となり、部隊整備と教育訓練を実施したが、中国軍の6月攻勢で訓練を中断[8]。
1953年6月17日、第10軍団の左側方地域にて中国軍の攻撃を撃退[8]。
1953年7月、鮮于高地(938高地)を喪失[9]。
師団長
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代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 | |
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漢字/片仮名表記 | 原語表記 | ||||||
1 | 李俊植 | 이준식 | 1949.1.7 - 5.9 1949.6.20 - 1950.6.10 |
雲南陸軍講武堂 | ? | 5月准将 | |
2 | 劉載興 | 유재흥 | 1950.6.10 - 7.3 | 日本陸士55期 軍英1期 |
第2師団長 | 第1軍団副軍団長 | |
3 | 閔耭植 | 민기식 | 1950.7.3 - 7.11 | 建国大学 軍英1期 |
閔支隊長 | 戦時特命検閲部補佐官 | |
4 | 申尚澈 | 신상철 | 1950.9 - 1950.12.15 | 日本航士58期 軍英1期 |
陸軍本部人事局長 | 空軍本部作戦局長 | |
5 | 金炯一 | 김형일 | 1950.12.15 - | 軍英1期 | 特務部隊長 | 陸軍本部情報局長 | |
6 | 金容培 | 김용배 | 1951.5.28 - | 軍英1期 | 副師団長 | 西南地区戦闘司令官 | |
7 | 李成佳 | 이성가 | 1951.9.1[10] - 1952.9.1 | 中央陸軍軍校 | 太白山戦闘司令官 | 陸軍本部前方指揮所長 | |
8 | 任忠植 | 임충식 | 1952.9.1[11] - 1953.7.1 | 警士1期 | 第2師団副師団長 | 憲兵司令官 | |
9 | 金容培 | 김용배 | 1953.7.1 - 1954 | 軍英1期 | 陸軍本部人事局長 | 陸軍本部人事局長 | |
10 | 李成佳 | 이성가 | 1954 - 1955.7 | 軍英1期 | |||
11 | 金益烈 | 김익렬 | 1955.7 - 1957.9.1 | 軍英1期 | 第8師団長 | 陸軍本部輸送監 | |
12 | 朴正煕 | 박정희 | 1957.9.1 - 1958.6.17 | 同徳台2期 日本陸士57期 警士2期 |
第6軍団副軍団長 | 第1軍参謀長 | 58.3.1少将 |
13 | 河甲淸 | 하갑정 | 1958.6.17 - 1959.10.1[12] | 警士2期 | 特務部隊長 | 准将 | |
14 | 金在鉉 | 김재현 | 1959.10.1[12] - 1961 | 警士2期 | 特務部隊長 | 准将 | |
15 | 盧載鉉 | 노재현 | 1961 - 1963 | 警士3期 | 30師団長 | 陸軍本部監察監 | |
16 | 高光道 | 고광도 | 1963 - 1964 | 警士3期 | |||
17 | 鄭昇和 | 정승화 | 1964 | 陸士5期 | 陸軍防諜部隊隊長 | 国防部人事局長 | |
18 | 鄭鳳旭 | 정봉욱 | 1964 - 1967.7 | 平壌学院[13] | ? | 三士官学校長 | 元人民軍中佐 |
19 | 白南台 | 백남대 | 1967.7 - | 陸士5期 | 39師団長 | ||
20 | 李在田 | 이재전 | 1969 - | 陸士8期 | 第1軍参謀 | 韓米第1軍団副軍団長 | |
21 | 車圭憲 | 차규헌 | 1970[14] - 1972 | 陸士8期 | 駐越鳩部隊司令官 | 陸軍本部作戦参謀部次長 | ハナフェ |
22 | 金容今[15] | 김용금 | 1972 - 1975[16] | 陸士7期 | 陸軍軍需司令部参謀長 | 国防部人事局長 | |
23 | 河小坤 | 하소곤 | 1975 - 1977.7.16[17] | 甲種1期 | 第3軍司令部作戦処長 | 第1軍参謀長 | |
24 | キム・ヘチャン | 김해창 | 1977.7.16 - 1978.10.25 | 陸士10期 | |||
25 | 盧武植 | 노무식 | 1978.10.25 - 1980.7.10 | 陸士12期 | ソウル大軍団長 | 陸軍本部作戦参謀部長[18] | |
26 | 裵秉魯 | 배병노 | 1980.7.10 - 1982[19] | 護士3期 | 陸軍福祉勤務管理団長 | 陸軍歩兵学校長 | |
27 | 閔泰求 | 민태구 | 1982 - 1984.1.17 | 陸士13期 | 国防部第1次官補 | ||
28 | 丁萬吉 | 정만길 | 1984.1.17 - 1986.1.17 | 陸士16期 | 第5空輸旅団長 | 政策企画次長[20] | |
29 | 閔炳宣 | 민병선 | 1986.1.17 - 1988.1.17 | 甲種117期 | 合参本部計画調整室長 | 3軍副軍団長 | |
30 | 金鎭渲 | 김진선 | 1988[21] - 1990.1.19 | 陸士19期 | 体育部隊長 | 人事参謀部長 | |
31 | 鄭然友 | 정연우 | 1990.1.19 - 1992 | 甲種157期 | 陸軍本部人事運営監 | 陸軍歩兵学校長[22] | |
32 | 林鍾燮 | 임종섭 | 1992 - 1993 | 陸士22期 | 陸軍本部人事参謀部長[23] | ||
33 | 李南信 | 이남신 | 1993 - 1995 | 陸士23期 | 第1司令部人事処長 | 陸軍本部監察官 | |
34 | 金鍾煥 | 김종환 | 1995 - 1997 | 陸士25期 | 第5軍団軍団長 | ||
35 | 權泳基 | 권영기 | 1997 - 1998.4 | 甲種222期 | 第1軍参謀長 | ||
36 | 朴興烈 | 박흥렬 | 1998.4 - 2001.3 | 陸士28期 | 陸軍本部人事運営処長 | 陸軍本部人事参謀部長 | |
37 | 金洪榮 | 김홍영 | 2001.3 - 2002.3.11 | 陸士25期 | |||
40 | 崔鍾一 | 최종일 | 2007.5 - 2009.9.28 | 陸士34期 | 国防部国防政策室国際政策次長 | 韓米連合軍司令部作戦参謀部次長 | |
41 | イ・サンヒョン | 이상현 | 2009.9.28 - 2011.4.29 | 陸士36期 | 韓米連合軍司令部作戦参謀部作戦処長 | 第3軍参謀長 | |
42 | ウォン・ホンギュ | 원홍규 | 2011.4.29 - | 三士16期 | 三士生徒隊長 | 陸軍本部監察室長 | |
43 | 具洪謀[24] | 구홍모 | - 2014.10.17 | 陸士40期 | 合同参謀本部作戦1処長 | 合同参謀本部作戦部長 | |
44 | 徐正烈 | 서정열 | 2014.10.17 - 2016.10.25 | 三士20期 | 第1軍司令部火力部長 | 三士官学校長 | |
45 | 金鍾哲 | 김종철 | 2016.10.25 - | 陸士44期 | 大統領警護室軍事管理官[25] | 国防大学総長 |
編成
[編集]- 第3歩兵連隊
- 第5歩兵連隊
- 第8歩兵連隊
- 砲兵連隊
- 第7歩兵師団直轄部隊
- 本部
- 軍楽隊
- 軍警察大隊(憲兵隊)
- 情報通信大隊
- 整備大隊
- 捜索隊
- 工兵隊
- 機務隊
- 戦車大隊
- 防空中隊
- 化学兵器支援隊
- 補給輸送大隊
- 補充中隊
- 本部
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』1976年、213頁。
- ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』1976年、214頁。
- ^ 軍史研究所 2002, p. 362.
- ^ a b c 国防部戦史編纂委員会 1986, p. 294.
- ^ 軍史研究所 2004, p. 265.
- ^ a b 軍史研究所 2007, p. 345.
- ^ a b c 国防部戦史編纂委員会 1986, p. 295.
- ^ a b 国防部戦史編纂委員会 1986, p. 296.
- ^ 軍史研究所 2007, p. 336.
- ^ 軍史研究所 2007, p. 156.
- ^ “6・25戦争史 第10巻” (PDF) (韓国語). 国防部軍事編纂研究所. pp. 362. 2016年9月6日閲覧。
- ^ a b “政府人事” (朝鮮語). 釜山日報. (1959年10月3日) 2021年9月7日閲覧。
- ^ “三士官学校の紹介” (韓国語). 陸軍三士官学校を愛する者たちの会. 2016年11月3日閲覧。
- ^ “車圭憲” (韓国語). 民族文化大百科事典. 2016年10月29日閲覧。
- ^ “人物情報-金容今” (韓国語). 中央日報. 2016年10月29日閲覧。
- ^ “陸軍中将金容今” (韓国語). 国立大田顕忠院. 2016年10月29日閲覧。
- ^ “陸軍少将河小坤” (韓国語). 国立大田顕忠院. 2016年11月3日閲覧。
- ^ “盧武植” (韓国語). 韓国人物情報・ビジョンコリア. 2017年8月16日閲覧。
- ^ “陸軍少将裵秉魯” (韓国語). 国立大田顕忠院. 2016年11月3日閲覧。
- ^ “丁萬吉” (韓国語). 韓国人物情報・ビジョンコリア. 2017年8月16日閲覧。
- ^ “[イ・ホンイクの人物オデッセイ]金鎭渲予備役大将(“[이헌익의 인물 오디세이] 김진선 예비역 대장”)”. 中央日報. (2000年8月7日) 2016年10月29日閲覧。
- ^ “陸軍少将鄭然友” (韓国語). 国立大田顕忠院. 2016年11月3日閲覧。
- ^ “林鍾燮少将4千万ウォン収賄確認...陸軍犯罪捜査隊(“임종섭소장 4천만원수뢰 확인...육군범죄수사대”)”. 韓国経済新聞. (1993年11月1日) 2017年8月16日閲覧。
- ^ “2015年後半の閣僚級将校人事断行” (韓国語). 国防部. 2016年10月29日閲覧。
- ^ “第45代陸軍7師団長に金鍾哲少将就任(“[이헌익의 인물 오디세이] 김진선 예비역 대장”)”. news1. (2016年10月25日) 2016年11月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第1巻 人民軍の南侵と国連軍の遅滞作戦』かや書房、2000年。ISBN 4-906124-41-0。
- 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第2巻 洛東江防御線と国連軍の反攻』かや書房、2001年。ISBN 4-906124-45-3。
- 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第3巻 中共軍の介入と国連軍の後退』かや書房、2002年。ISBN 4-906124-50-X。
- 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第4巻 国連軍の再反攻と中共軍の春期攻勢』かや書房、2004年。ISBN 4-906124-58-5。
- 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第5巻 休戦会談の開催と陣地線への移行』かや書房、2007年。ISBN 978-4-906124-64-0。
- 韓国国防軍史研究所 編著 著、翻訳・編集委員会 訳『韓国戦争 第6巻 休戦』かや書房、2010年。ISBN 978-4-906124-69-5。
- 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』原書房、1976年。
- “韓國戰爭要約” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. 2020年10月2日閲覧。