第25歩兵師団 (韓国陸軍)
第25歩兵師団 | |
---|---|
創設 | 1953年4月21日 |
所属政体 | 大韓民国 |
所属組織 | 大韓民国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 京畿道楊州市 |
編成地 | 江原道束草市 |
愛称 | 飛竜部隊(비룡부대) |
標語 | 天下無敵常勝飛竜 |
上級単位 | 第1軍団 |
戦歴 | 朝鮮戦争 |
第25歩兵師団(だい25ほへいしだん、朝鮮語: 제25보병사단、The 25th Infantry Division、第二十五步兵師團)は大韓民国陸軍の歩兵師団の1つ。愛称は飛竜部隊(비룡부대)。1974年11月、第1南侵トンネル(京畿道漣川郡百鶴面浦春里)を発見した事で知られる。また、1968年1月21日、青瓦台襲撃未遂事件にて金新朝少尉をはじめとする朝鮮人民軍部隊30人余りが潜入したルートがこの部分区域内にある。
飛竜の滝に由来されて飛竜部隊という愛称を持つようになった。敬礼スローガンは「団結」である。(2013年、「団結見敵必殺」朝鮮語: 단결 견적필살に変更)。師団本部は楊州市にあるが、部隊のほとんどは主に坡州市の積城面や坡平面に展開しており、いくつかの部隊は漣川地域にも広がっている。前方部隊としてGOPとGPの境界を担当している。
歴史
[編集]朝鮮戦争休戦協定最中の1953年4月21日に江原道雪岳山付近で16番目に創設され、同年5月15日、襄陽郡の大浦里飛行場(現束草市大浦洞)にて師団旗授与式が行われた。初代師団長は文容彩大領[1]。
1953年7月7日、第70連隊が第21師団第63連隊の陣地を引き継ぐ[2]。7月13日、砲兵第217大隊および第632大隊がソウル靑坡洞から楊口に移動し、アメリカ軍第40師団に配属される[2]。
休戦後は36回の対間諜作戦を行い、1974年に高浪浦にて第1南侵トンネルを発見し、1979年には人民軍第3師団民警大隊の安燦一上士を誘導帰順させた[3]。
以来、9回の移動を経て、1964年3月15日に現地に至る。
1991年末、第1トンネルにほど近い百鶴面の九尾里にて民間団体が「第5トンネル」、通称「漣川トンネル」とされるものを発見した際、調査に立ち会ったものの、2000年に「漣川トンネル」は自然洞窟との結論が出された[4][5]。
編成
[編集]- 70歩兵連隊(予備連隊のためGOP境界作戦をしていない。)
- 2大隊(新兵教育隊)
- 71歩兵連隊 (海龍部隊)
- 72歩兵連隊(青龍部隊)
- 砲兵連隊
- 206砲兵隊
- 213砲兵隊
- 217砲兵隊
- 632砲兵隊
- 本部隊
- 工兵隊
- 整備大隊
- 普及輸送大隊
- 調査大隊
- 医務大隊
- 情報通信大隊
- 戦車大隊
- 憲兵隊
- 化学兵器支援隊
- TOW中隊
- 防空中隊
- 補充中隊
- 機務隊
- 航空隊
師団長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 | |
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漢字/片仮名表記 | 原語表記 | ||||||
1 | 文容彩 | 문용채 | 1954.4.19 - | 奉天5期[7] | 第16連隊長 | 大領 | |
2 | 兪海濬[8] | 유해준 | 1956 - 1957.7 | 軍英1期 | 南部地区警備司令官 | 歩兵学校長 | |
3 | 張好珍 | 장호진 | 1957.7 - 1957.8[9] | 陸大入学 | 准将 | ||
4 | 徐鐘喆 | 서종철 | 1957.8 - 1959.7.25[10][11] | 警備1期 | 第31師団長 | 第1軍参謀長 | 准将 |
5 | 崔英圭 | 최영규 | 1959.7.25 - 1959.12.3[12] | 第三港湾司令官 | 陸本附 | 所属L-19航空機越北事件により更迭[13] | |
6 | 呉昌根 | 오창근 | 1959.12.3 - 1961? | 警備1期[14] | 一軍企画参謀副長[15] | ||
7 | 金在命 | 김재명 | 1961 - 1963 | 2期 | 30師団長 | 第3軍管区司令官 | |
8 | 李承雨[16] | 이승우 | 1963 - 1965? | 8期 | 文教部次官 | ? | 准将 |
9 | 郭哲鍾[17] | 곽철종 | 1965 - 1966.5 | 4期 | 第32師団長 | 第6軍管区副司令官 | 准将 |
10 | 張虎崗 | 장호강 | 1966.5 - 1967.12 | 8期特 | 38師団長 | 軍需基地司令部副司令官 | |
11 | 孫章來 | 손장래 | 1967? - 1969? | 9期 | 30師団長 | 合同参謀本部戦略企画局長 | |
12 | 金容烋 | 김용휴 | 1969? - 1973.8 | 7期 | 駐越副司令 | 第6軍団長 | |
19 | 金英圭[18] | 김영규 | 1978 - 1980 | 甲種4期 | ? | 東海警備司令官 | |
20 | 金基宅[19] | 김기택 | 1980 - 1981 | 11期 | 首都警備司令部参謀長 | 第1軍参謀長 | |
21 | ? | 1981 - ? | ? | ? | |||
22 | 李大熙[20] | 이대희 | ? - 1985.5 | 15期 | ? | 陸軍本部人事参謀部長[21] | ハナフェ |
23 | 林福鎮 | 임복진 | 1985.5 - 1987 | 17期[22] | ? | 戦闘兵科学校長 | |
24 | 張城 | 장성 | 1987 - 1988 | 18期 | 国防部投資事業調整官 | 陸軍本部政策企画室長[23] | |
25 | 金武雄 | 김무웅 | 1988 - 1992? | 20期 | ? | 韓米野戦軍司令部副司令官[24] | ハナフェ |
26 | 劉孝一 | 유효일 | 1992? - 1993? | 22期 | 首都砲兵旅団長 | 陸軍大学総長[25] | ハナフェ |
27 | 朴寧益 | 박영익 | ? - ? | 23期 | 7軍団作戦参謀 | 国防部獲得開発局長 | |
28 | 林昌圭 | 임창규 | 1995? - 1996.4 | ? | ? | 予備役 | |
29 | 徐鍾杓 | 서종표 | 1996.4 - 1999.4 | 25期 | 首都砲兵旅団長 | 陸軍本部監察官 | |
31 | 趙在土 | 조재토 | 2000 - 2002.4 | 学区9期 | 3軍軍需処長 | 陸軍本部軍需参謀部長[26] | |
32 | 李光東[27] | 이광동 | 2002.4 - 2004.6 |
30期 | 2軍作戦処長 | 3軍副司令官 | |
33 | 2004.6 - 2006.5 |
||||||
34 | イム・ウンスン | 임응순 | 2006.5 - 2008.4 |
33期 | ? | 情報司令官[28] | |
35 | キム・ジョンチュル | 김종출 | 2008.4 - 2010.6.30 |
35期 | ? | 3軍参謀長[29] | |
36 | シン・ドンマン | 신동만 | 2010.6.30[30] - 2012.5 | 三士14期 | 韓米連合司令部地上軍計画課長[31] | 韓国陸軍砲兵学校長 | |
37 | ピョン・チェソン | 변재선 | 2012.5 - 2014.5 |
39期 | 首都軍団参謀長 | 陸軍本部情報化企画室長[32] | |
38 | 徐旭 | 서욱 | 2014.4 - 2015.11.2 |
陸士42期 | 第93連隊長 | 合同参謀本部作戦部長 | |
39 | アン・ヨンホ | 안영호 | 2015.11.2[33] - 2017.9 |
陸士42期 | 国防部戦費態勢検閲団副団長 | 第1軍団長 | |
40 | チョン・チャンファン | 정찬환 | 2017.9 - 2015.11.2 |
陸士44期 | 第3軍軍需処長 | 陸軍軍需司令部参謀長 | |
41 | コ・テナム | 고태남 | 2019.5 - 2021.5 |
陸士46期 | 地上作戦司令部軍事支援参謀部長 | 陸軍人事司令官 | |
42 | 高賢錫 | 고현석 | 2021.6 - 2022.6 |
学士29期 | 陸軍本部企画管理参謀部戦力計画次長 | 第7軍団長 |
部隊標識
[編集]白い縁に平和を表す緑色で塗られた下向きの五角形の中に、朝鮮民族を表す白で25の数字が書かれている。五角形は忠孝勇義信の花郎精神、数字は部隊番号、緑は平和と理想、白は白衣民族の一致と純潔、外郭線は鉄桶のような防御陣を意味し、1960年11月29日に師団長の金在命少将が25cm正五角形を基準に以前のものを修正して制定した[34]。それ以前のものは白縁がなく、各3つの突起の付いた2と5の間に赤いハートマークが入っていた[35]。これは、1953年5月11日に全体的な形は師団長の文容彩准将が、ハートマークは夫人が提案して制定した[34]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “李承晩大統領 飛竜部隊旗授与(“이승만 대통령 비룡부대기 수여”)”. bluetoday. (2012年10月11日) 2016年4月3日閲覧。
- ^ a b 国防部戦史編纂委員会 1986, p. 312.
- ^ 신기수 2023, p. 81.
- ^ “「漣川トンネルは、北韓版第5トンネル」動画公開(“"연천 땅굴은 북한이 판 5땅굴" 동영상 공개”)”. newdaily. (2011年3月28日) 2016年4月3日閲覧。
- ^ 땅굴에 대한 국방부의 거짓 해명(정지용의 글)
- ^ “韓国ヤクルト・飛竜部隊「35年の縁」(“한국야쿠르트·비룡부대 '35년 인연' ”)”. 韓国経済新聞. (2014年6月15日) 2016年6月13日閲覧。
- ^ 朴承煥と朴正煕趙甲濟ドットコム
- ^ デジタル唐津文化大典. “兪海濬” (朝鮮語). 2024年9月27日閲覧。
- ^ “師團長級異動” (朝鮮語). 부산일보. (1957年8月7日) 2019年10月24日閲覧。
- ^ “將星級 15名 異動” (朝鮮語). 부산일보. (1959年6月2日) 2019年10月24日閲覧。
- ^ “師團長級人事異動” (朝鮮語). 釜山日報. (1959年5月30日) 2021年9月14日閲覧。
- ^ “陸軍人事” (朝鮮語). 부산일보. (1959年12月5日) 2019年10月24日閲覧。
- ^ “師団長不在時の事(師團長 없을때의 일)” (朝鮮語). 부산일보. (1959年11月25日) 2019年10月24日閲覧。
- ^ “陸軍少将呉昌根” (朝鮮語). 国立大田顕忠院. 2021年9月7日閲覧。
- ^ “師團長級六名異動” (朝鮮語). 釜山日報. (1959年12月4日) 2021年9月7日閲覧。
- ^ 李承雨大田顕忠院
- ^ 郭哲鍾大田顕忠院
- ^ 金英圭大田顕忠院
- ^ 金基宅大田顕忠院
- ^ “12.12軍事反乱 主導軍内私組織 ハナフェ 2(12.12군사반란 주도 軍內私組織 하나회 2)”. ハンギョレ. (2005年2月25日) 2016年4月16日閲覧。
- ^ “正史になってしまった国防委会食事件(正史가 되어버린 國防委 會食사건)”. Pressian. (2002年12月28日) 2016年4月16日閲覧。
- ^ “月曜インタビュー(林福鎭議員)(월요인터뷰(임복진의원))”. 南道日報. (1999年8月2日) 2016年4月16日閲覧。
- ^ 緊急企画委員会
- ^ <유비무환> :"땅굴" !확인해볼길 업나?
- ^ “「光州」鎮圧した国防部次官、すぐに解任せよ( '광주' 진압한 국방부 차관 즉시 해임하라)”. 東亜日報. (2005年2月21日) 2016年4月16日閲覧。
- ^ 보도자료
- ^ “軍人共済会、金融・建設・管理・企画選出(군인공제회, 금융ㆍ건설ㆍ관리ㆍ기획이사 선출)”. the bell. (2009年3月31日) 2016年4月16日閲覧。
- ^ “閣僚軍将校の人事 仏教徒8人の昇進発令(장관급 軍장교 인사 불자 8명 승진 발령)”. 仏教新聞. (2008年4月5日) 2016年5月20日閲覧。
- ^ “陸軍中央捜査団長にキム・ジョンチュル少将(육군 중앙수사단장에 김종출 소장)”. ハンギョレ. (2011年4月22日) 2016年4月18日閲覧。
- ^ “洪城高28期 シン・ドンマン少将 25師団長就任(홍성고 28회 신동만 소장 25사단장 취임)”. 洪城新聞. (2010年7月19日) 2016年4月3日閲覧。
- ^ “シン・ドンマン、イム・サンス氏准将進級決定(신동만·임상수 씨 준장 진급 결정)”. 保寧新聞. (2006年11月20日) 2016年4月16日閲覧。
- ^ “ピョン・チェソン陸軍室長「C4I高度化とTICN稼働準備拍車 」(변재선 육군 실장 "C4I 고도화와 TICN 가동 준비 박차")”. etnews.com. (2015年3月25日) 2016年4月16日閲覧。
- ^ “第25師団長就任祝い米 南面事務所に転送(제25사단장 취임 축하 쌀 남면사무소에 전달)”. 京畿日報. (2015年11月5日) 2016年4月16日閲覧。
- ^ a b 신기수 2023, p. 80.
- ^ 旧部隊章の写真
参考文献
[編集]- “韓國戰爭要約” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. 2020年10月2日閲覧。
- 신기수 (2023). 육군 부대 도감. 궁리. ISBN 978-89-5820-847-1