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第6歩兵師団 (韓国陸軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第6歩兵師団
創設 1948年4月29日
所属政体 大韓民国
所属組織 大韓民国陸軍
部隊編制単位 師団
兵科 歩兵
愛称 青星(청성
上級単位 第5軍団
戦歴

朝鮮戦争

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第6歩兵師団(だい6ほへいしだん、朝鮮語: 제6보병사단、第六步兵師團)は大韓民国陸軍の師団の1つ。

歴史

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第6師団の始まりは1948年4月29日に創設された第4旅団(初代旅団長、蔡秉徳大佐)で、同年11月20日に第6旅団に改称され1949年5月12日に師団に昇格した。

当初、第7連隊、第8連隊、第10連隊の3個連隊を擁し、春川から洪川までの38度線警備を担当した。しかし、1949年5月4日午後から翌5日にかけ、第1大隊長・表武源少領、第2大隊長・姜太武少領が部隊を率い相次いで越北。それに反発した中隊長チェ・ドンソプ中尉、キム・インシク中尉らにより第1大隊415名中239名、第2大隊約300名中143名が脱出し原隊に帰還できた。1950年5月1日に第10連隊に代わって第19連隊が、6月20日には第8連隊に代わって首都警備司令部から第2連隊(長:咸炳善大領)が移管[1]

1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発すると北朝鮮第2軍団(軍団長:金光侠中将)の第2師団(師団長:李青松少将)が春川に、第12師団(師団長:全宇少将)と独立戦車連隊が洪川に侵攻した(国境会戦)。第6師団は地形を利用した防御で北朝鮮第2軍団に損害を与えた。これにより春川の攻略は遅れ、北朝鮮軍の計画に躓きが生じた。この戦いで第6師団は「春川の岩」、「華の第6師団」と呼ばれるようになった。マシュー・リッジウェイは、よく戦闘の準備をした勇敢な部隊の1つとし、「攻撃が始まった時、韓国第6師団は踏みとどまって防戦する準備ができていた。彼等は勇敢に戦い、北朝鮮軍が京城へ進撃するのを3日間も阻止した。」と評価している[2]

1950年7月初旬、第6師団は安城付近から忠州までの約70キロメートルの範囲に展開して西部の第1軍団を援護した。7月7日から忠州付近で第12師団(師団長:崔春国少将)の攻撃を受けたが、短切な攻撃を繰り返して12日までこれを阻止した[3]

同月中旬、各所で抵抗しながら後退し、15日に新編の第2軍団に編入された。

下旬、尚州市咸昌で増援の第1師団と共に北朝鮮第1師団、第13師団と攻防戦を繰り広げた。

1950年8月2日、第2軍団の命令により洛東江を渡河して洛東江防御線の防御に就くが、翌3日に早くも北朝鮮第1師団が攻撃を開始し、第6師団は抵抗しながら後退した。その後、陸軍本部の命令で義城方面に後退して、右翼の第8師団の担当正面を肩代わりさせた。ここで新たに北朝鮮第8師団が加わった。第6師団は新寧まで後退し、ここで2個師団の攻勢を阻止した。

1950年9月初旬、北朝鮮軍の9月攻勢が開始され、第6師団は北朝鮮第8師団と交戦した。

1950年9月15日の仁川上陸作戦を皮切りに第8軍は攻勢に転移し、第6師団も翌16日に攻勢をかけた。最初は進展しなかったが21日に北朝鮮第8師団を殲滅して北上した。

1950年10月15日、38度線を越えて北進し先鋒隊が鴨緑江に到達したが25日以降の中共軍の第1次攻勢で隷下の2個連隊が包囲され、開戦以来建制を保ってきた第6師団は壊走した。

1950年11月下旬、第6師団はクリスマス攻勢に参加するが、中共軍の第2次攻勢で再び壊走する。

1951年1月、第2軍団が解体されたためアメリカ第9軍団に配属された。

1951年3月、リッパー作戦で第2連隊第1大隊が1人の兵士も失うことなく、1個大隊を全滅させ、大砲4門と迫撃砲7門を含む多数の装備を鹵獲した[4]

1951年4月、史倉里で中共軍第20軍の攻勢を受けて崩壊。

1951年5月、龍門山の戦いで中共軍第63軍を撃退。

1952年1月9日、陸軍本部直轄となり、1月12日から3月20日まで楊口で部隊整備と教育訓練を実施[5]

1952年4月、再建された第2軍団に配属された。

1975年、江原道鉄原郡にて第2南侵トンネルを発見した。

編制

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  • 第2連隊
    • 本部中隊
    • 第1大隊
    • 第2大隊
    • 第3大隊
  • 第7連隊
    • 本部中隊
    • 第1大隊
    • 第2大隊
    • 第3大隊
  • 第19連隊
    • 本部中隊
    • 第1大隊
    • 第2大隊
    • 第3大隊
  • 砲兵旅団
    • 第27砲兵大隊
    • 第76砲兵大隊
    • 第77砲兵大隊
    • 第88砲兵大隊

師団長

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氏名 在任期間 出身校・期 前職 後職 備考
漢字/片仮名表記 原語表記
1 蔡秉徳 채병덕 1948.4.29 - 1948.10.11 日本陸士49期
軍英2期
統衛部特別部隊長 参謀総長
2 劉載興 유재흥 1948.10.11 - 1949.1.15 日本陸士55期 第1旅団参謀長 陸軍士官学校副校長
3 金白一 김백일 1949.1.15 - 1949.5.12 奉天5期
軍英1期
第5旅団長 留任
1 金白一 김백일 1949.5.12 - 1949.5.14 奉天5期
軍英1期
第6旅団長(留任) 甕津地区戦闘司令官
2 劉載興 유재흥 1949.5.14 - 1950.1.5 日本陸士55期 済州地区戦闘司令官 第2師団長
3 申尚澈 신상철 1950.1.5 - 1950.6.10 日本航士58期 陸本情報局長 陸本人事局長
4 金鐘五 김종오 1950.6.10 - 1950.10.31 軍英1期 第1連隊長 第9師団長
5 張都暎 장도영 1950.10 - 1952.1 軍英1期 陸本情報局長 第1訓練所長
6 白仁燁 백인엽 1952.1 - 1953.6 軍英1期 第1訓練所長 第9師団長
金龍周 김용주 1953.5.9[6] - 1953.6.18 大領副師団長
7 金點坤 김점곤 1953.6.29[6] - 1954.3 陸士1期 陸本人事局長 第1軍参謀副長
李昌禎 이창정 1954[7] 陸士1期 連隊長 国防部政訓局長
李白雨 이백우 ? - 1957.8[8] 軍英1期 陸軍大学入校
李源長 이원장 1957.8[8] - 1958.3.12 陸士1期 陸本人事局長[9] 予備役
李昌成 이창성 1958.3.12[10] - ? 陸軍報道室長 准将
李龍 이용 1959.7 - 1960.4 陸士5期 第12師団長 歩兵学校長
12 チェ・ムンホ 최문호 ? - ?
13 キム・テジュン 김태준 ? - 1961.12.29 准将
14 ユン・テクジュン 윤택중[11] 1961.12.29[11] - 1963.9.4 准将
15 金載圭 김재규 1963.9.4[12][11] - 1966.1.21 警士2期 湖南肥料社長 第6管区司令官[13]
16 朴賢植 박현식 1966.1.21[11] - 1967.7.3[11] 陸士5期 第9師団長
17 金鍾洙 김종수 1967.7.3 - 1969 陸士3期 第30師団長[14] 駐越韓国軍作戦副司令官 准将
17 金宗鎬 김종호 1969[15] 駐越司令部参謀長 国防大学院副院長
19 李建栄朝鮮語版 이건영 1971 - 1972.1 陸士7期 第6副師団長 陸大総長
21 鄭名煥 정명환 1973.8.18[16] - 1976 陸士8期 陸本人事運営管 准将、75年少将
24 呉滋福朝鮮語版 오자복 1979 - 1980 甲種3期 軍事作戦処長 国保委文公分科委員長
25 韓哲洙 한철수 1980 - 1982 陸士12期 陸本管理参謀部長
26 閔庚培 민경배 1982 - 1984.1.18 陸士14期
27 権寧海朝鮮語版 권영해 1984.1.18 - 1986.1.16 陸士15期 第88旅団長 オリンピック警備司令官
28 李海龍[17] 이해룡 1986.1.16 - 1988.1 陸士17期 陸軍本部本部司令官 第3軍参謀長[18] ハナフェ
29 尹龍男朝鮮語版 윤용남 1988 - 1990 陸士19期 第5軍団参謀長 第5軍団長
31 韓勝義 한승의 1991 - 1993.10.27 陸士22期 韓米連合司令部作戦処長 国防部政策企画官
32 朴奉植 박봉식 1993.10.27[19][11] - 1995.10.23 陸士24期 国防部人事福祉局長
33 南在俊 남재준 1995.10.23[11] - 1997.10.28 陸士25期 首防司参謀長 陸本人事参謀部長
34 金章洙 김장수 1997.10.28[11] - 1999.11.9 陸士27期 第1軍作戦処長 合同参謀作戦部長[20]
35 キム・ハクヨン 김학연 1999.11.9[11] - 2001.1.17 陸士28期 予備役 セクハラ疑惑により解任
36 崔光燮[21] 최광섭 2001.1.17 - 2002 陸士29期 27師団長
37 許坪桓朝鮮語版 허평환 2002 - 2004 陸士30期 国防部人事福祉局次長 陸軍訓練所長
38 任官彬 임관빈 2004 - 2006.5.2 陸士32期 陸本秘書室長 陸本政策広報室長[22]
39 尹英範 윤영범 2006.5.2 - 2007.4.29[23] 陸士33期 陸本作戦部長 ザイトゥーン部隊
40 ジョ・ビョンオ 조병오 2007.4.29 - 2008.12 学軍16期 第2軍団副軍団長 GP手榴弾投擲事件で更迭
41 ファン・チュンシク 황충식 2008.12.3 - 2010.12 陸士36期 陸本情報作戦処長
42 任浩永朝鮮語版 임호영 2010.12 - 2012.11.8 陸士38期 第1軍団参謀長 陸本監察室長
43 イ・ジェヒョン 이재형 2012.11.8 - 2014.10.16 学軍21期 砲兵学校教授部長 陸軍砲兵学校長
44 イ・グクジェ 이국재 2014.10.16[24] - 2016 陸士42期 陸本情報作戦部第1次長 第3軍参謀長
45 イ・ジンヒョン 이진형 2016 - 2018.11 陸士44期 合同参謀本部作戦1処長 国防部政策企画官
46 シム・ジンソン 심진선 2018.11 - 2020.12 陸士46期 第3軍作戦処長 陸軍教育司令部教義発展部長
47 パク・ジョンテク 박정택 2020.12 - 現 学軍30期 地上作戦司令部作戦処長 現職

脚注

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出典

[編集]
  1. ^ 정안기 2018, p. 179.
  2. ^ リッジウェイ 1976, pp. 36–37.
  3. ^ 田中 2011, p. 36.
  4. ^ リッジウェイ 1976, p. 139.
  5. ^ 国防部戦史編纂委員会 1986, p. 291.
  6. ^ a b 国防部戦史編纂委員会 1976, p. 370.
  7. ^ 世界政経調査会 1980, p. 530.
  8. ^ a b “師團長級異動” (朝鮮語). 부산일보. (1957年8月7日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19570807000015 2019年10月24日閲覧。 
  9. ^ 李源長” (韓国語). 国立大田顕忠院. 2016年5月26日閲覧。
  10. ^ “六師團長에 李 准將” (朝鮮語). [[[釜山日報]]. (1958年3月13日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19580313000006 2021年9月7日閲覧。 
  11. ^ a b c d e f g h i パク・ソンジン (2019年10月30日). “金載圭前中情部長、南在俊前陸軍総長 写真はなぜ並んでかかる(김재규 전 중정부장, 남재준 전 육군총장 사진은 왜 나란히 걸렸나 )”. 京郷新聞. https://www.khan.co.kr/politics/defense-diplomacy/article/201910300703001 2021年9月5日閲覧。 
  12. ^ 有故(2)―金泳三総裁の登場と金載圭の葛藤(3)” (韓国語). 趙甲濟ドットコム. 2016年7月15日閲覧。
  13. ^ 金載圭” (韓国語). 民族文化大百科事典. 2016年7月15日閲覧。
  14. ^ “白馬部隊長に朴賢植少将(백마 부대장에 박현식 소령)”. 中央日報. (1967年6月29日). http://news.joins.com/article/1124536 2015年12月15日閲覧。 
  15. ^ 世界政経調査会 1980, p. 151.
  16. ^ 서울 근교 지하 기계음(2) 한국의 심장부로...(3)
  17. ^ 한국의 人脈 : 系譜와 派閥의 뿌리
  18. ^ “観公新監査 李海龍さん(백마 부대장에 박현식 소령)”. 旅行新聞. (1992年9月4日). http://www.traveltimes.co.kr/bbs/board.php?bo_table=News&wr_id=286&code=A 2015年12月15日閲覧。 
  19. ^ “仕上げ入った「軍の脱政治化」/ 3群中・少将人事背景 (마무리 접어든 「군의 탈정치화」/3군 중·소장인사 배경)”. 中央日報. (1993年10月19日). http://news.joins.com/article/2838270 2016年5月26日閲覧。 
  20. ^ “[プロフィール]金章洙駐中国大使内定者([프로필]김장수 주중국대사 내정자)”. ニューシス. (2015年2月15日). http://www.newsis.com/ar_detail/view.html?ar_id=NISX20150215_0013481290&cID=10301&pID=10300 2016年5月26日閲覧。 
  21. ^ “国防部、資源管理本部長特別採用 (국방부, 자원관리본부장 특별채용)”. ニュースワイヤー. (2006年3月2日). http://www.newswire.co.kr/newsRead.php?no=128654 2016年5月26日閲覧。 
  22. ^ “「戦作権」韓国代表 任官彬って誰?忠州出身国防部政策室長...陸士32期・中将(‘전작권’ 한국대표 임관빈은 누구충주 출신 국방부정책실장… 육사 32기·중장)”. 世宗デイリー. (2013年7月30日). http://www.sjdailynews.co.kr/news/articleView.html?idxno=15942 2016年5月26日閲覧。 
  23. ^ “ザイトゥーン部隊の師団長 尹英範少将 29日に就任(자이툰 부대 사단장 윤영범 소장 29일 취임)”. 江原道民日報. (2007年4月25日). http://www.kado.net/news/articleView.html?idxno=309350 2016年5月26日閲覧。 
  24. ^ “最前方鉄原で国防守護尽くす青星部隊(최전방 철원서 국방수호 다하는 청성부대)”. 新亜日報. (2014年10月17日). http://www.shinailbo.co.kr/news/articleView.html?idxno=409259 2016年5月26日閲覧。 

参考文献

[編集]
  • マシュウ・B・リッジウェイ 著、熊谷正巳,秦恒彦 訳『朝鮮戦争』恒文社、1976年。 
  • 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上・中・下巻』原書房、1979年。 
  • 世界政経調査会 編『韓国・北朝鮮人名辞典 1979年版 /上』世界政経調査会、1980年3月。NDLJP:12170777 
  • 田中恒夫『図説朝鮮戦争』河出書房新社、2011年。 
  • 韓國戰爭史第9巻 對陣末期(1953.1.1~1953.7.27)” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. 2020年2月21日閲覧。
  • 韓國戰爭要約” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. 2020年2月8日閲覧。
  • 정안기 (2018). “한국전쟁기 육군특별지원병의 군사적 역량”. 군사연구 (육군군사연구소) 146: 171-206. 

関連項目

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