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陸軍士官学校卒業生一覧 (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

陸軍士官学校卒業生一覧 (日本)(りくぐんしかんがっこうそつぎょうせいいちらん(にほん))は、陸軍士官学校 (日本)の卒業生・修了生の一覧である。

なお、原則としてWikipediaに記事が存在する人物を掲載する。また、海外出身者以外は原則として「アイウエオ順」で配列し、丸数字は席次を示す。陸軍航空士官学校関係者については同項目を参照。

卒業生等

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陸軍兵学寮

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  • 明治3年12月入学、明治5年6月卒業、明治6年5月任少尉
  • 明治7年2月入学、明治7年10月少尉試補、明治8年1月任少尉
  • 明治7年3月入学、明治9年少尉試補、明治8年3月任工兵少尉
  • 明治7年10月入学、明治9年3月少尉試補、明治10年5月任少尉

士官生徒

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※士官生徒は少尉任官は一律に行われるが、卒業は兵科毎に差がある。

旧1期

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明治8年1月28日 - 2月入校、1877年7月18日 - 12月22日任官、117名。西南戦争にて戦没者34名

旧2期

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明治8年12月入校、明治12年2月1日任官、136名

旧3期

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西南戦争中の1877年5月入校、明治12年(1879年)12月22日任官、96名

旧4期

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明治12年1月入校、明治14年(1881年)12月24日任官、58名

旧5期

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明治13年2月入校、明治15年(1882年)12月25日任官、60名

旧6期

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明治14年1月入校、明治16年(1883年)12月25日任官、59名

旧7期

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明治15年8月入校、明治18年(1885年)6月18日任官、61名

旧8期

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明治16年9月入校、明治19年(1886年)6月25日任官、144名

旧9期

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明治17年9月入校、明治20年(1887年)7月21日任官、189名

旧10期

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明治18年9月入校、明治21年(1888年)7月28日任官、158名

旧11期

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明治19年8月入校、明治22年(1889年)7月26日任官、207名

士官候補生以降

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1期

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明治23年(1890年)7月26日卒業、明治24年(1891年)3月26日任官、147名

2期

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明治24年(1891年)7月30日卒業、明治25年(1892年)3月21日任官、148名

3期

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明治25年(1892年)7月23日卒業、明治26年(1893年)3月13日任官、137名

4期

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明治26年(1893年)7月25日卒業、明治27年(1894年)3月7日任官、188名

5期

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明治27年(1894年)7月27日卒業、明治27年(1894年)9月18日任官、213名

6期

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明治28年(1895年)1月1日卒業、明治28年(1895年)5月22日任官、216名

7期

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明治29年(1896年)5月27日卒業、明治30年(1897年)1月25日任官、270名

8期

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明治29年(1896年)11月26日卒業、明治30年(1897年)6月28日任官、292名

9期

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明治30年(1897年)11月29日卒業、明治31年(1898年)6月27日任官、650名

10期

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明治31年(1898年)11月25日卒業、明治32年(1899年)6月27日任官、649名

11期

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明治32年(1899年)11月21日卒業、明治33年(1900年)6月22日任官、670名

12期

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明治33年(1900年)11月21日卒業、明治34年(1901年)6月25日任官、655名

元帥陸軍大将を輩出した最後期

13期

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明治34年(1901年)11月22日卒業、明治35年(1902年)6月23日任官、722名

14期

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明治35年(1902年)11月22日卒業、明治36年(1903年)6月26日任官、702名

15期

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明治36年(1903年)11月30日卒業、明治37年(1904年)2月12日任官、708名

16期

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明治37年(1904年)10月24日卒業、明治37年(1904年)11月1日任官、549名

17期

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明治37年(1904年)入校、明治38年(1905年)3月30日卒業、明治38年(1905年)4月21日任官、363名

18期

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明治38年(1905年)11月25日卒業、明治39年(1906年)6月26日任官、920名

19期

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明治40年(1907年)5月31日卒業、明治40年(1907年)12月26日任官、1068名

20期

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明治41年(1908年)5月27日卒業、明治41年(1908年)12月25日任官、276名

21期

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明治40年(1907年)入校、明治42年(1909年)5月27日卒業、明治42年(1909年)12月25日任官、418名

22期

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明治41年(1908年)入校、明治43年(1910年)5月28日卒業、明治43年12月26日任官、721名

23期

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明治42年(1909年)入校、明治44年(1911年)5月27日卒業、明治44年(1911年)12月26日任官、740名

24期

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明治45年(1912年)5月28日卒業、大正元年(1912年)12月24日任官、734名

25期

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大正2年(1913年)5月26日卒業、大正2年(1913年)12月25日任官、741名

26期

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大正3年(1914年)5月28日卒業、大正3年(1914年)12月25日任官、742名

陸軍大将を輩出した最後期

27期

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大正4年(1915年)5月25日卒業、大正4年(1915年)12月25日任官、761名

28期

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大正5年(1916年)5月26日卒業、大正5年(1916年)12月26日任官、651名

29期

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大正6年(1917年)5月25日卒業、大正6年(1917年)12月25日任官、536名

30期

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大正7年(1918年)5月27日卒業、大正7年(1918年)12月25日任官、632名

31期

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大正8年(1919年)5月28日卒業、大正8年(1919年)12月25日任官、489名

32期

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大正9年(1920年)5月26日卒業、大正9年(1920年)12月26日任官、429名

33期

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大正10年(1921年)7月27日卒業、大正10年(1921年)10月16日任官、437名

34期

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大正11年(1922年)7月28日卒業、大正11年(1922年)10月25日任官、345名

35期

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大正12年(1923年)7月21日卒業、大正12年(1923年)10月25日任官、315名

36期

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大正13年(1924年)7月18日卒業、大正13年(1924年)10月25日任官、330名

実役停年通りに昇進する閑院宮春仁王が昭和20年6月に陸軍少将に昇進するが、その他の者で少将まで昇進した者は戦死による特進の場合のみ。

陸軍士官学校本科以降

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37期

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大正14年(1925年)7月25日卒業、大正14年(1925年)10月26日任官、302名

38期

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大正15年(1926年)7月16日卒業、大正15年(1926年)10月25日任官、340名

39期

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昭和2年(1927年)7月19日卒業、昭和2年(1927年)10月25日任官、292名

40期

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昭和3年(1928年)7月17日卒業、昭和3年(1928年)10月26日任官、225名

41期

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昭和4年(1929年)7月17日卒業、昭和4年(1929年)10月25日任官、239名

42期

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昭和5年(1930年)7月19日卒業、昭和5年(1930年)10月25日任官、218名

43期

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昭和6年(1931年)7月22日卒業、昭和6年(1931年)10月26日任官、227名

44期

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昭和7年(1932年)7月11日卒業、昭和7年(1932年)10月25日任官、315名

45期

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昭和8年(1933年)7月11日卒業、昭和8年(1933年)10月20日任官、337名

46期

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昭和9年(1934年)6月卒業、338名

47期

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昭和8年(1933年)4月入校、昭和10年(1935年)6月卒業、330名

48期

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昭和11年(1936年)6月卒業、388名。卒業の年に2.26事件があった。

49期

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昭和12年(1937年)6月卒業、471名。終戦までの戦没者は殉職含め165名

50期

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陸士1937年12月卒業426名。戦死者129名、戦病死18名、殉職4名、終戦時自決1名

51期

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1938年12月卒業461名。戦没者188名、自決4名

52期

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1939年9月卒業508名。戦死167名、戦病死18名、殉職29名、自決4名、法務死2名

53期

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1940年2月卒業1365名。戦死者651名

54期

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1940年9月卒業1798名。戦没者762名、戦病死92名、法務死4名、殉職76名、終戦時自決2名

55期

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1941年7月卒業1755名。戦没者962名

56期

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1942年12月卒業1672名。戦没者1003名

57期

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1944年(昭和19年)4月卒業1268名。戦没者七百数十名

58期

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1945年(昭和20年)6月卒業1146名

終戦直前任官した陸軍最後の少尉であり、戦後占領軍により1951年春まで公職から追放された。

59期

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終戦後に特別に卒業資格を付与、一般大学の受験資格を得た。陸士1250名

1943年4月1日に陸軍予科士官学校入校、1944年10月13日に予科士官学校卒業、同日に士官候補生を命ぜられ、1944年10月14日に士官学校入校、同日に兵長の階級を与えられ、1945年1月15日に伍長の階級に進み、1945年3月15日に軍曹の階級に進むが、在校中に終戦を迎えた。1961年に59・60期の同窓会「国史会」一部の者がクーデターを企画して破防法適用事件第1号となった(三無事件参照)。

60期

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陸士1824名。1944年2月21日幼年学校出身者は予科士官学校へ仮入校。

本科生徒たる兵長で士官学校閉校。

61期

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関連書籍

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  • 『市ヶ谷台に学んだ人々』桑原獄 著、文京出版、2000年9月。ISBN 4-938893-11-8