陸軍士官学校卒業生一覧 (日本)
陸軍士官学校卒業生一覧 (日本)(りくぐんしかんがっこうそつぎょうせいいちらん(にほん))は、陸軍士官学校 (日本)の卒業生・修了生の一覧である。
なお、原則としてWikipediaに記事が存在する人物を掲載する。また、海外出身者以外は原則として「アイウエオ順」で配列し、丸数字は席次を示す。陸軍航空士官学校関係者については同項目を参照。
卒業生等
[編集]陸軍兵学寮
[編集]- 明治3年12月入学、明治5年6月卒業、明治6年5月任少尉
- 明治7年2月入学、明治7年10月少尉試補、明治8年1月任少尉
- 大将:中村覚
- 明治7年3月入学、明治9年少尉試補、明治8年3月任工兵少尉
- 大将:鮫島重雄
- 明治7年10月入学、明治9年3月少尉試補、明治10年5月任少尉
士官生徒
[編集]※士官生徒は少尉任官は一律に行われるが、卒業は兵科毎に差がある。
旧1期
[編集]明治8年1月28日 - 2月入校、1877年7月18日 - 12月22日任官、117名。西南戦争にて戦没者34名
- 皇族:元帥陸軍大将伏見宮貞愛親王
- 中将:石本新六・木越安綱・小泉正保・中田時懋・南部辰丙・牟田敬九郎・山根武亮・依田広太郎
- 少将:伊崎良煕・伊地知季清・太田栄次郎・河井瓢・小島好問・林錬作
- 大尉:酒匂景信
旧2期
[編集]明治8年12月入校、明治12年2月1日任官、136名
- 大将:井口省吾・大迫尚道・大谷喜久蔵(教育総監)
- 中将:石井隼太・伊地知幸介・税所篤文・渋谷在明・仙波太郎・田村怡与造・豊島陽蔵・長岡外史・兵頭雅誉・松本鼎・宮本照明・村木雅美・村田惇・山田忠三郎
- 少将:加藤泰久・栗山勝三・田内三吉・鷹司煕通・深谷又三郎
旧3期
[編集]西南戦争中の1877年5月入校、明治12年(1879年)12月22日任官、96名
- 元帥:上原勇作(陸相、教育総監、参謀総長)
- 大将:秋山好古(教育総監)・内山小二郎・柴五郎・本郷房太郎
- 中将:青木宣純・石橋健蔵・大久保徳明・落合豊三郎・楠瀬幸彦(陸相)・榊原昇造・藤井茂太
- 少将:北川武・鶴見数馬・東郷八郎左衛門・馬淵正文・山口圭蔵・渡辺忠三郎
- 少佐:森雅守
- 大尉:神藤才一
- 中尉:青山忠誠
旧4期
[編集]明治12年1月入校、明治14年(1881年)12月24日任官、58名
旧5期
[編集]明治13年2月入校、明治15年(1882年)12月25日任官、60名
旧6期
[編集]明治14年1月入校、明治16年(1883年)12月25日任官、59名
- 皇族:元帥陸軍大将閑院宮載仁親王(参謀総長)
- 大将:明石元二郎・大井成元・立花小一郎・仁田原重行
- 中将:足立愛蔵・安藤厳水・蠣崎富三郎・野口坤之・牧野淸人・松石安治
- 少将:相浦多三郎・橋口勇馬・依田昌兮
- 中佐:花田仲之助
旧7期
[編集]明治15年8月入校、明治18年(1885年)6月18日任官、61名
旧8期
[編集]明治16年9月入校、明治19年(1886年)6月25日任官、144名
- 大将:大庭二郎(教育総監)・河合操(参謀総長)・田中義一(陸相)・山梨半造(陸相)
- 中将:浅川敏靖・栗田直八郎・小池安之・佐藤鋼次郎・永沼秀文・橋本勝太郎・藤井幸槌・宮田太郎・山田良水
- 少将:伊豆凡夫・守田利遠
旧9期
[編集]明治17年9月入校、明治20年(1887年)7月21日任官、189名
- 大将:田中弘太郎・福田雅太郎・町田経宇
- 中将:浄法寺五郎・白井二郎・武内徹・筑紫熊七・福原銭太郎・古海厳潮
- 少将:伊部直光・今屋友次郎・草生政恒
- 大佐:岩倉久米雄・吉岡友愛(戦死特進)
- 中佐:橘周太(戦死)
- 少佐:山名義路
旧10期
[編集]明治18年9月入校、明治21年(1888年)7月28日任官、158名
旧11期
[編集]明治19年8月入校、明治22年(1889年)7月26日任官、207名
士官候補生以降
[編集]1期
[編集]明治23年(1890年)7月26日卒業、明治24年(1891年)3月26日任官、147名
- 大将:鈴木荘六(参謀総長)・白川義則(陸相)・宇垣一成(陸相)
- 中将:石坂善次郎・石光真臣・市川堅太郎・井戸川辰三・内野辰次郎・大多和新輔・児島惣次郎・志岐守治・中島正武・長野準四郎・両角三郎・山田陸槌
- 少将:岩崎初太郎・岩谷龍太郎・岡本茂若・神戸次郎・隈部親信・佐藤房隆・鈴木朝資・中山民三郎・森邦武・渡辺兼二
- 中佐:大越兼吉
- 少佐:長谷川戍吉
- 清国留学生:張紹曾・蔣雁行
2期
[編集]明治24年(1891年)7月30日卒業、明治25年(1892年)3月21日任官、148名
- 大将:菅野尚一・森岡守成・鈴木孝雄
- 中将:稲垣三郎・奥村鋭作・小田切政純・小野寺重太郎・神頭勝弥・坂西利八郎・長坂研介・南部麒次郎・尾藤知勝・星野庄三郎・矢野目孫一・山田四郎・山田虎夫・吉江石之助
- 少将:浅野丈夫・蟻川五郎作・上田兵吉・嘉悦敏・金田房吉・久米徳太郎・黒田善治・杉村勇次郎・高橋直武・東郷辰二郎・野沢悌吾・平城盛次・藤田禎一郎・藤津準一・舟尾鉄膓・船橋芳蔵・古川岩太郎・山根一貫・吉橋徳三郎(自決)
- 少佐:西久保豊一郎・福島泰蔵(戦死)
3期
[編集]明治25年(1892年)7月23日卒業、明治26年(1893年)3月13日任官、137名
- 元帥:武藤信義(教育総監)
- 中将:朝久野勘十郎・大野豊四・大島又彦・佐多武彦・高柳保太郎・種子田秀実
- 少将:市瀬敬三郎・岩田恒・小山田勘二・海宝精・沓谷栄輔・鍋島直明・長谷川猪三郎・矢木亮太郎・山内正生
- 大佐:水野降禄
- 清国留学生:劉詢・潘矩楹・王永泉・呉光新・張樹元・賈徳耀・傅良佐
4期
[編集]明治26年(1893年)7月25日卒業、明治27年(1894年)3月7日任官、188名
- 大将:磯村年・井上幾太郎・田中国重
- 中将:岡田重久・浜面又助・東乙彦・松村法吉・向西兵庫・柚原完蔵・渡辺為太郎
- 少将:市来保二郎・岩井勘六・植岡寛雄・大島良三郎・奥田為熊・奥野幸吉・加藤豊三郎・杉山正之・沼田団太郎・野島貫一・藤田直太郎・古木秀太郎・牧野正臣・元田亨吉・山下五三郎・山田喜八
- 清国留学生:盧金山・何佩瑢
5期
[編集]明治27年(1894年)7月27日卒業、明治27年(1894年)9月18日任官、213名
- 大将:金谷範三(参謀総長)・菱刈隆・岸本鹿太郎・吉田豊彦
- 中将:井上一次・木村戒自・木村茂(主計総監)・国司伍七・佐藤小次郎・鈴木一馬・曽田孝一郎・高橋於兎丸・田村守衛・津野一輔・福原佳哉・牧達之・宮地久寿馬・村岡長太郎・山田良之助
- 少将:石川忠治・梅津喜一・大村純英・奥田重栄・河上清吉・木藤弥太郎・黒河内信次・千田嘉平・高梨慶三郎・富塚貞一郎・平野秋夫・松江豊寿・丸野勝喜・山崎友造・吉原岩吉
- 大佐:服部米次郎
- 清国留学生:姜登選・陳儀
6期
[編集]明治28年(1895年)1月1日卒業、明治28年(1895年)5月22日任官、216名
- 大将:南次郎(陸相)
- 中将:有川鷹一・奥野英太郎・香椎秀一・貴志弥次郎・長谷川直敏・三井清一郎(主計総監)・村田信乃・安満欽一・和田亀治・渡辺寿
- 少将:家永直太郎・磯部昌朔・梅田岩樹・江口鎮白・岡田誠道・木村益三・古賀義勇・斎藤常三郎・坂初枝・佐藤安之助・津野田是重・永田小太郎・長渡忠被・東正彦・安原啓太郎・渡部勇
- 大佐:小倉英季・関東・松尾伝蔵・永山武敏
- 清国留学生:周蔭人・唐蟒・孫伝芳・朱綬光・葉荃
7期
[編集]明治29年(1896年)5月27日卒業、明治30年(1897年)1月25日任官、270名
- 皇族:元帥陸軍大将久邇宮邦彦王・元帥陸軍大将梨本宮守正王
- 大将:畑英太郎・緒方勝一
- 中将:安芸晋・伊丹松雄・稲垣清・上原平太郎・奥平俊蔵・菊池武夫・木原仙八・桑田安三郎・小泉六一・静間知次・白石通則・高田豊樹・二子石官太郎・福田彦助・峯幸松・山本清次・吉岡顕作・李秉武(韓国留学生)
- 少将:石井常造・大竹沢治・朽木綱貞・栗原重平・黒江英次・河野鉎次郎・河野恒吉・小松八四郎・志賀剛二・鈴木義雄・高須俊次・竹田津弥・多田庫雄・中川茂雄・羽入三郎・馬場儀雄・藤井清水・星村市平・堀内龍明・壬生基義・守永弥惣次・渡辺好延
- 大尉:川喜多大治郎(免官)
8期
[編集]明治29年(1896年)11月26日卒業、明治30年(1897年)6月28日任官、292名
- 李氏朝鮮からの留学生を本格的に受け入れる。
- 大将:林銑十郎・渡辺錠太郎
- 中将:新井亀太郎・金山久松・汾陽光二・木下文次・木原清・永井来・林弥三吉・原口初太郎・三好一
- 少将:青山寛・宇山熊太郎・神尾直次・小出三郎・斎藤徳匡・桜井源之助・鈴木文次郎・田所浪吉・長嶺俊之助・松野亀雄・南沢岩吉・三輪秀一
- 中佐:千坂洋三郎・山田英夫
- 清国留学生:于珍・楊宇霆・張煥相
9期
[編集]明治30年(1897年)11月29日卒業、明治31年(1898年)6月27日任官、650名
- 大将:阿部信行・荒木貞夫(陸相)・林仙之・⑳本庄繁・㊲真崎甚三郎(教育総監)・②松井石根
- 中将:㉒赤井春海・大村齊・岡本連一郎・㉘黒崎延次郎・坂部十寸穂・藤田鴻輔・室兼次・㉔山内静夫・㊶渡辺金造・趙性根(韓国留学生)
- 少将:秋山愛二郎・宇野捨二・小山満雄・久保精唯・栗田真之助・坂井兵吉・相良広一・高島弥之助・竹内栄喜・津田増次郎・中村直蔵・平沢安次郎・広瀬季彦・本城嘉守・宮崎虎喜・㊿武川寿輔・山内岳造・李煕斗(韓国留学生)・王瑜植(韓国留学生)
- 大尉:⑨小松慶也
- 清国留学生:王金鈺
10期
[編集]明治31年(1898年)11月25日卒業、明治32年(1899年)6月27日任官、649名
- 大将:川島義之(陸相)・植田謙吉・⑦西義一(教育総監)・④松木直亮
- 中将:厚東篤太郎・鎌田弥彦・⑱黒沢準(没後進級)・斎藤恒・関谷連三・古谷清
- 少将:押川公実・小野庄造・倉島富次郎・瀬戸口弥太郎・辰巳富吉・原田宗一郎・冨家政市・堀吉彦・⑩水町竹三(満州国軍中将)・溝口直亮
- 大佐:伊吹元五郎・栗原幸衛・鶴見宜信・町野武馬・藁谷勇三郎
- 中佐:日野熊蔵
- 中尉:池田仲博・水野忠宜
11期
[編集]明治32年(1899年)11月21日卒業、明治33年(1900年)6月22日任官、670名
- 元帥:寺内寿一(陸相、教育総監)
- 大将:①岸本綾夫
- 中将:浅田良逸・⑲荒蒔義勝・安藤紀三郎・井染祿朗・井上達三・坂本政右衛門・佐藤子之助・四王天延孝・多門二郎・広瀬寿助・②松井七夫・馬渕直逸(没後進級)・森寿・森連・若山善太郎・魚潭(韓国留学生)
- 少将:石丸志都磨(満州国軍中将)・上野西郎・江藤源九郎・斎藤稔・渋谷寿一・高城荘吉・西四辻公堯・長谷川国太郎・蜂須賀喜信・堀之内直・山口十八
- 大佐:西郷従徳・立見豊丸
- 中佐:奥田直恭
- 少佐:山内豊景
- 大韓帝国軍正領:盧伯麟
12期
[編集]明治33年(1900年)11月21日卒業、明治34年(1901年)6月25日任官、655名
- 元帥陸軍大将を輩出した最後期
- 元帥:⑦杉山元(陸相、教育総監、参謀総長)・⑪畑俊六(陸相、教育総監)
- 大将:小磯国昭 (内閣総理大臣)
- 中将:稲垣孝照・岩越恒一・牛島貞雄・⑥梅崎延太郎・大谷一男・香椎浩平・蒲穆・郷田兼安・⑬杉原美代太郎・瀬川章友・武田秀一・⑳外山豊造・二宮治重・秦真次・原田敬一・深沢友彦・深見新之助・毛内靖胤・柳川平助・横須賀辰蔵
- 少将:伊藤政之助・今井信夫・蟹江冬蔵・日下部道徳・斎藤瀏(免官)・須田實・高山輝義・竹下範国・藤野嘉市・三宅篤夫・村田凱一・山本芳輔・和田秀来
- 大佐:後藤秀四郎・前田勇・山縣初男
- 大尉:升田憲元
- 清国留学生:鄒作華
13期
[編集]明治34年(1901年)11月22日卒業、明治35年(1902年)6月23日任官、722名
- 大将:⑲中村孝太郎(陸相)
- 中将:㊾石井英橘・㉞市瀬源助・㉓植村東彦・㉖小杉武司・嶋永太郎・⑩建川美次・筒井正雄・③中岡弥高・中島三郎・①林桂・林茂清・㊼広瀬猛・福田袈裟雄・⑧堀丈夫・⑮三宅光治・武藤一彦
- 少将:一色留次郎・梅戸綽・大川寿賀・加藤鋠二・嘉村達次郎・川原侃・櫻井忠温・佐藤直・名越時中・新山福治・⑫西浜司馬吉・西原矩彦・林業・別技嘉助・三坂隆精・三ツ木秀治・山田卯三男・渡部友次郎
- 大佐:④小林順一郎・㊴福井重記・宮地久衛
- 少佐:井田磐楠
- 大尉:石川三郎・志賀直方
- 中尉:乃木勝典(戦死)
14期
[編集]明治35年(1902年)11月22日卒業、明治36年(1903年)6月26日任官、702名
- 大将:㉓西尾寿造(教育総監)・②古荘幹郎・山田乙三(教育総監)
- 中将:㉘飯田恒次郎・⑥伊東政喜・宇佐美興屋・大塚堅之助・⑤小川恒三郎(没後進級)・⑲香月清司・⑱郷竹三・児玉友雄・㊷佐藤三郎・佐村益雄・㊼渋谷伊之彦・⑨清水喜重・鈴木美通・末松茂治・㉕高田友助・高橋貞夫・時乗寿・⑯橋本虎之助・③久村種樹・森田宣・山室宗武・吉富庄祐
- 少将:安達十六・安部秋彦・安藤伊三郎・⑩遠藤五郎・岡原寛・沖直道・小住七五三・面高俊雄・木藤郁三・黒田周一・酒井幾造・酒匂宗次郎・佐藤正・佐藤美千代・㉛篠原四郎・⑧高木尚右・竹嶌藤次郎(没後進級)・武田額三(没後進級)・武富藤吉・継屯・角田政之助・坪井善明・坪川脩吉・鶴見駿太郎・長岡正雄・中牟田辰六・㊸中屋良雄・溝口清・峰尾甲一・宮成勝哉・宮村俊雄・村井清規・安川三郎・山内保次・㊾山中三郎・吉崎隆・吉永吉次
- 少佐:四条隆愛・水谷吉蔵
- 大尉:寺島敏三
- 中尉:南部利祥(戦死)
15期
[編集]明治36年(1903年)11月30日卒業、明治37年(1904年)2月12日任官、708名
- 皇族:陸軍少将竹田宮恒久王
- 大将:⑦梅津美治郎(参謀総長)・㊱多田駿・蓮沼蕃
- 中将:今井清・岩佐禄郎・川岸文三郎・河村恭輔・上村清太郎・島省三・④下元熊弥・田代皖一郎・㉓多田礼吉・田中稔・谷寿夫・徳川好敏・㉜中島今朝吾・③永持源次・中山徳治・松浦淳六郎・松田巻平・三毛一夫・村井勝・山岡重厚・⑩山崎定義・山田健三
- 少将:荒川真郷・伊丹政吉・大内収多・大場弥平・金子因之・兼松成器・小嶋時久・古城胤秀・篠原三郎・周藤歓一郎・谷儀一・中井武三・仁礼精粋・長谷部照俉・林幸司・人見順士・平田重三・平山繁・依田四郎・金應善(韓国留学生)
- 大佐:河本大作・古賀伝太郎(没後進級)・米田国臣・戸田忠庸・宮脇長吉
- 少佐:野津鎮之助
- 大尉:高橋花山・綿貫六助
- 中尉:乃木保典(戦死)
16期
[編集]明治37年(1904年)10月24日卒業、明治37年(1904年)11月1日任官、549名
- 大将:㊼安藤利吉(教育総監)・㊱板垣征四郎(陸相)・⑥岡村寧次・⑧土肥原賢二(教育総監)
- 中将:磯谷廉介・㉒牛島実常・浦澄江・大串敬吉・小笠原数夫・⑰尾高亀蔵・⑤小畑敏四郎・④桑木崇明・志岐豊・㉔鈴木元長・周山満蔵・㉑園部和一郎・田辺松太郎・谷口元治郎・①永田鉄山(相沢中佐事件により昇任)・⑪中山蕃・⑮藤田進・⑨松井命・松村修己
- 少将:赤松寅七・木造巳之蔵・澤木元雄・谷実夫・林大八(没後進級)・藤井重郎(没後進級、満州国軍中将)・星川久七・水野保・持永浅治・②森五六・遊佐幸平・横浜和義・渡辺吉太郎
- 少佐 : 黒木親慶
17期
[編集]明治37年(1904年)入校、明治38年(1905年)3月30日卒業、明治38年(1905年)4月21日任官、363名
- 大将:㊴後宮淳・⑫東條英機(内閣総理大臣、陸相、参謀総長)・前田利為
- 中将:④飯田貞固・岩松義雄・上野良丞・⑲江橋英次郎・㉛荻洲立兵・佐伯清一・佐枝義重・①篠塚義男・篠原誠一郎・⑥鈴木重康・辻邦助・松村正員・三宅俊雄・⑩吉住良輔・㊶渡久雄
- 少将:石井虎雄・伊藤精司・㉓井上乙彦・今村基成・大島陸太郎・奥保夫・⑨工藤義雄・近藤清・斎藤済一・佐々木吉良・⑦柴平四郎・高橋勘二・高屋庸彦・舘余惣・田端八十吉・㊼野澤北地・林真・牧次郎
- 大佐:木本氏房・兒玉常雄
18期
[編集]明治38年(1905年)11月25日卒業、明治39年(1906年)6月26日任官、920名
- 大将:阿南惟幾(陸相)・⑤岡部直三郎・藤江恵輔・山下奉文・④山脇正隆
- 中将:浅川一衛・安達十九・甘粕重太郎・安藤三郎・安藤麟三・井関隆昌・伊藤義雄・稲葉四郎・井上政吉・大久保雄賢・大島浩・菊池門也・黒岩義勝・久納誠一・小泉恭次(自決)・小島吉蔵・小松原道太郎・②酒井鎬次・佐々木到一・佐竹保治郎・澤田茂・重藤千秋・田島栄次郎・田尻昌次・田村元一・土橋一次・常岡寛治・内藤正一・中島鉄蔵・長瀬武平・中村音吉・波田重一・浜本喜三郎・広野太吉・①安井藤治・安岡正臣(法務死)・矢野機・山田栴二・鷲津鈆平
- 少将:秋山充三郎・浅間義雄・飛鳥井雅四・和泉市蔵・井上三郎・今中武義・上野亀甫・大谷清麿・河村董・土屋兵馬・長岡寿吉・長嶺亀助・二宮晋一・根上清太郎・平野助九郎・広瀬勝滋・森尻伊祐・安井栄三郎・山口三郎・横山正雄・吉野栄一郎・笠繁善・若生清・渡辺謙
- 大佐:佐竹僴一郎
19期
[編集]明治40年(1907年)5月31日卒業、明治40年(1907年)12月26日任官、1068名
- 大将:今村均・河辺正三・喜多誠一・㊸田中静壱・塚田攻(殉職)
- 中将:阿部規秀(戦死)・石黒貞蔵・伊藤知剛・儀峨徹二・㊹国崎登・㊺熊谷敬一・桑原四郎・②小須田勝造・⑭斎藤弥平太・㉚佐藤正三郎・関亀治・高木義人・④値賀忠治・沼田徳重・㉔秦雅尚・尾藤加勢士・平田健吉・⑪藤井洋治(戦死)・③本間雅晴(法務死)・舞伝男・前田治・三浦敏事・柳下重治・山地坦・吉沢忠男
- 少将:飯塚慶之助・池田水藻・猪鹿倉徹郎・石原常太郎・伊藤精・稲川直衛・遠藤春山・大塚信照・金子定一・桑名照弐・小佐治量平・古思了・㊴後藤十郎・桜井正信・助川静二・高橋省三郎・高橋良・高橋政蔵・津田辰参・㉒手塚省三・㉑苫米地四楼・中井重義・南雲親一郎・浜田勇(没後進級)・春見京平・藤井貫一・富士井末吉・松尾英一・松室孝良・水野信・湯浅政雄・若竹又男・脇坂次郎
- 大佐:宍戸功男
- 中尉:徳田金一(殉職)・⑫山中峯太郎(依願免官)
20期
[編集]明治41年(1908年)5月27日卒業、明治41年(1908年)12月25日任官、276名
- 皇族:大将朝香宮鳩彦王・大将東久邇宮稔彦王(陸相)・砲兵大佐北白川宮成久王
- 大将:③牛島満(没後進級)・⑮木村兵太郎・⑥下村定(陸相、教育総監)・㉒吉本貞一
- 中将:秋山義兌(自決)・㊲飯田祥二郎・石田保秀・井上貞衛・太田勝海・北島驥子雄・④木下敏・行徳守治・①草場辰巳・酒井隆・⑰七田一郎・篠原次郎・城倉義衛(自決)・鈴木春松・鷹森孝・㊿中井良太郎・㊷野口正義・②橋本群・㉕馬場保雄・水原義重・村井俊雄・⑱吉田悳
- 少将:秋山静太郎・石井昌一・岩倉卯門・内山隆道・岡田実・小藤恵・中尾忠彦・福井浩太郎・間崎信夫・山崎右吉・山本源右衛門
- 大佐:⑯山田長三郎(自決)
21期
[編集]明治40年(1907年)入校、明治42年(1909年)5月27日卒業、明治42年(1909年)12月25日任官、418名
- 大将:⑯富永信政(戦病死)
- 中将:⑰阿部平輔・天谷直次郎・飯沼守・②飯村穣・⑬石原莞爾・井出鉄蔵・③井出宣時・今村勝次・上野勘一郎・内山英太郎・大賀茂・岡本保之・木村弘人・⑫黒田重徳・㉒上月良夫・古賀龍太郎・⑦菰田康一・塩田定市・柴田夘一・⑩島本正一・下川義忠(没後進級)・末光元広・⑮菅原道大・千田貞雄・永見俊徳・南部襄吉・林芳太郎・早淵四郎・㉕樋口季一郎・人見与一・⑨百武晴吉・㉜平林盛人・④町尻量基・㉖安田武雄・⑧横山勇・和田盈・和田義雄・渡辺右文・⑤渡辺正夫
- 少将:青木敬一・足立重郎・安藤忠一郎・池ノ上賢吉・今泉吉貞・奥村恭平・小野恭三・桂朝彦・加藤保太郎・㊹加納治雄(没後進級)・儀我誠也・来島新一・高良弼・佐々木勇・清水正雄・砂川泰・瀬川四郎・番行善・長崎守一・㉙中島三栖雄・松井節・松本標・丸山定・山田習三郎・吉田弘・若松平治
- 大佐:安江仙弘・㉗坂田義朗・佐川績
- 中尉:斎藤元宏
- 清国留学生:閻錫山
22期
[編集]明治41年(1908年)入校、明治43年(1910年)5月28日卒業、明治43年12月26日任官、721名
- 中将:赤鹿理・安達二十三・石本貞直・井関仭・磐井虎二郎・上村利道・牛島敬次郎(没後進級)・大木繁・大島駿・大場四平・小倉達次・③笠原幸雄・片山省太郎・加藤泊治郎(戦病死)・萱嶋高・北沢貞治郎・⑩北野憲造・久徳知至・越生虎之助・小林信男・小林恒一・坂口静夫・佐久間為人・佐藤質・猿谷吉太郎・椎名正健・白倉司馬太・杉浦英吉・鈴木貞次・鈴木貞一・⑧鈴木率道・関原六・①瀬谷啓・高橋多賀二・竹内寛・田中久一・⑦田辺盛武・堤三樹男・⑤寺倉正三・寺本熊市・⑥豊嶋房太郎・中村明人・中村誠一・中川広・西村琢磨・西村利温・西脇宗吉・野副昌徳・野溝弐彦・林柳三郎・原田熊吉・福島和吉郎・藤田朋・⑨本多政材・松井太久郎・松山祐三・牟田口廉也・④村上啓作・森岡皐・森田広・両角業作・矢野音三郎・山本三男
- 少将:飯塚国五郎(没後進級)・石井広吉・石谷甚三郎・今村貞治・岩佐俊・大久保一億・大妻茂澄・岡本鎮臣・小野賢三郎・風早清・川村赳・木村直樹・杏賢一・国方慶三・倉茂周蔵・倉林公任・小松二郎・下枝金之輔・下山源平・田北惟・月野木正雄・長島勤・中代豊治郎・服部直臣・布施安昌・松井源之助・松野尾勝明・毛利喬・米山米鹿
- 中佐:相沢三郎
- 少佐:大山柏・空閑昇(自決)・徳川圀順
23期
[編集]明治42年(1909年)入校、明治44年(1911年)5月27日卒業、明治44年(1911年)12月26日任官、740名
- 大将:⑫小畑英良(戦死)
- 中将:池田廉二・伊佐一男・石本寅三・板花義一・伊東武夫・今利龍雄・渦川正義(経理部に転科、主計中将)・及川源七・大迫通貞・太田貞昌・大津和郎(没後進級)・岡田資(法務死)・尾崎義春・小田健作(没後進級)・落合忠吉・落合松二郎・柏徳・片村四八・加藤尹義・加藤怜三・河田槌太郎・⑪神田正種・岸川健一・木村経広・河野毅(法務死)・佐伯文郎・酒井直次・坂西一良・③桜井省三・佐野忠義・佐野虎太・志位正人・志摩源吉・①清水規矩・下野一霍・⑤十川次郎・鈴木啓久・武内俊二郎・竹下義晴・竹原三郎・田尻利雄・多田保・津田美武・遠山登・永津佐比重・中山惇・奈良晃・西原貫治・根本博・野地嘉平・長谷川治良・長谷川美代次・菱田元四郎・人見秀三・平岡清・平野熙・福栄真平(法務死)・藤田茂・藤岡武雄(自決)・宝蔵寺久雄・堀井富太郎・松岡勝蔵・丸山政男・水上源蔵(自決特進)・柳川真一・山県栗花生(戦死)
- 少将:粟飯原秀・芦塚長蔵・天羽馬八・有村恒道・生田寅雄・板津直俊・入江莞爾・大井川八郎・太田藤太郎・大野宣明・岡部通・小沢武夫・小原金裕・河合潔・河根良賢(法務死)・木島袈裟雄・倉永辰治(没後進級)・斎藤肇(没後進級)・酒井美喜雄・佐々誠(法務死)・佐藤要・佐藤謙・下河辺憲二・鈴木敏行・武田精一・田塩鼎三・谷口呉朗・中井伝・新美二郎・西原八三郎・西藤金作・畑勇三郎・樋口清登・松井貫一・的野憲三郎・村上亮・森田徹・森村経太郎・山田栄三・山田茂・横山鎮明・吉川喜芳
- 大佐:②石田保政・大島久忠・橋本欣五郎・堀三也
- 中佐:江本茂夫
- 大尉:安辺浩
- 韓国留学生:中尉:金光瑞(金顕忠、金擎天)
24期
[編集]明治45年(1912年)5月28日卒業、大正元年(1912年)12月24日任官、734名
- 大将:③鈴木宗作(戦死)
- 中将:青木成一・赤柴八重蔵・㉜秋山徳三郎・石井嘉穂・岩永汪・⑩上村幹男・内田孝行・大熊貞雄・小川権之助・河辺虎四郎・川並密・河原利明(没後進級)・北川一夫・櫛淵鍹一・楠本実隆・鯉登行一・㊲小林浅三郎・斎藤義次・①酒井康・重田徳松・柴田信一・柴山兼四郎・下田宣力(没後進級)・②澄田𧶛四郎・高野直満・田中信男・土橋勇逸・堤不夾貴・鳥田隆一・㉘中沢三夫・中島吉三郎・㉟中薗盛孝(戦死)・中野英光・永野亀一郎・長野祐一郎・中村次喜蔵・西山福太郎・⑨沼田多稼蔵・㊶野田謙吾・秦彦三郎・服部暁太郎・⑫馬場正郎・細川忠康・㉑本郷義夫・真野五郎・麦倉俊三郎・村岡豊・八隅錦三郎・山崎清次・山本務・横尾闊(没後進級)・横山静雄・吉岡善四郎・吉田峯太郎
- 少将:足羽善行・有馬純彦(没後進級)・飯田雅雄・伊黒清吾・石田寿・板津直剛・岡明之助(戦死)・小川全勝・尾崎盛義・⑳加藤守雄・川勝郁郎・瓦田隆根・倉橋尚・栗岩尚治・桑折勝四郎・佐久間盛一・佐々木博・塩川静・志甫勤一郎・東海林俊成・白浜重任・㉕佗美浩・竹内善次・知久八万・中尾小六・仁保進・萩原直之・長谷川正憲・馬場英夫・原田新一・平岡力・平向九十九・藤重正従(法務死)・松浦豊一・丸山八束・万城目武雄・三宅貞彦・室谷忠一・目賀田周之助・山本準一(没後進級)・山村兵衛・芳村覚司
- 大佐:鷹司信熙
- 中佐:⑯深山亀三郎(殉職)
- 少佐:飯沼守麿
- 大尉:㊿甘粕正彦
- 少尉:岸田國士
25期
[編集]大正2年(1913年)5月26日卒業、大正2年(1913年)12月25日任官、741名
- 中将:①青木重誠(戦病死)・石田乙五郎・磯田三郎・伊藤範治・井上芳佐・㊴大城戸三治・太田米雄・奥村半二・㉑小倉尚・加嶋三郎(没後進級)・片桐茂(戦死)・加藤鑰平・ 金岡嶠・河田末三郎・菅晴次・北島卓美(没後進級)・葛目直幸(没後進級)・河野悦次郎・③古閑健・小谷一雄(原爆死)・阪口芳太郎・㉙桜田武(戦死)・⑭佐藤幸徳・④下山琢磨・末藤知文・須藤栄之助・高品彪(戦死)・高橋茂寿慶・田上八郎(法務死)・㉘武田馨・田坂八十八・立花芳夫(法務死)・⑰田中新一・田中勤・玉田美郎・田村節蔵・辻演武・㉟富永恭次・永沢三郎・中山政康・⑬中村正雄(没後進級)・那須弓雄(没後進級)・新妻雄・㊱西田祥実(没後進級)・⑥西原一策・㉔原守・原田宇一郎・伴健雄・平田正判・船引正之・⑨星野利元・㉒細見惟雄・⑯前田正実・三浦三郎・三浦忠次郎・㉝三国直福・宮川清三・宮下文夫・武藤章・村治敏男・本村千代太(戦死)・山内正文・山口信一・山崎保代(没後進級)・山路秀男・横田豊一郎・吉岡安直
- 少将:相葉健・秋山久三・浅見敏彦・石黒岩太・伊集院兼信・斎俊男(法務死)・伊東説・岩部重雄・上坂勝・宇賀武(没後進級)・江口四郎・岡村勝実・㊼岡本徳三(没後進級)・岡芳郎(没後進級)・尾子熊一郎・小田正人・粕谷留吉・加藤勝蔵・上砂勝七・亀川良夫・河合長明・杵村久蔵(没後進級)・窪田武二郎・木庭知時・小林忠雄・桜庭子郎・椎橋侃二・重松吉正・庄司巽・杉野巌・鈴木辰之助(没後進級)・高田利貞・竹内安守・長沢貫一・永田文雄・長沼稔雄・長野栄二・㊾中村肇・永山喜一・原田鶴吉・平井卯輔・平野豊次・宮尾幹・宮崎次彦・八木節太郎(没後進級)・柳勇・柳成利・山田三郎・横井忠道
- 大佐:今村安・②須見新一郎
- 中尉:松下芳男
26期
[編集]大正3年(1914年)5月28日卒業、大正3年(1914年)12月25日任官、742名
- 陸軍大将を輩出した最後期
- 大将:栗林忠道(没後進級)
- 中将:安部孝一・天晶恵・雨宮巽(戦死)・池田浚吉・石河龍夫・稲村豊二郎・岩切秀・岩仲義治・遠藤三郎・大野広一・岡崎清三郎・落合甚九郎・落合鼎五・小原一明・影佐禎昭・木下勇(戦死)・洪思翊(法務死)・小林隆(戦死)・近藤兼利・坂本末雄・佐々木登・沢田保富・塩沢清宣・重松潔・河原利明(戦死)・篠田鐐・鈴木繁二(戦死)・千田貞季(没後進級)・田副登・田辺助友・谷口春治・中永太郎・名倉栞・外立岩治(戦死)・花谷正・林義秀・藤村謙・藤本鉄熊・正井義人・牧野四郎(戦死)・宮崎繁三郎・毛利末広・物部長鉾・矢崎勘十・柳田元三・山田清一(自決)・山本募・吉積正雄・若松只一・和知鷹二
- 少将:青山清・秋草俊・石井信・石川忠夫・井上靖・臼井倹吾・梅津真・大岩実・大内孜(没後進級)・大田熊太郎・岡島重敏・小川三郎・鬼武五一・皆藤喜代志・海福三千雄・梶浦銀次郎・加藤邦男・川口清健・河野省三・北村勝三(自決)・小池昌次・小金沢福次郎(戦死)・小林茂吉・佐藤源八・佐藤為徳(法務死)・下田龍栄門・鈴木正・住吉正・滝本一麿・竹田政一・田島正男・田中透(法務死)・田中隆吉・千知波幸治・栃木功・長友次男・南部外茂起・根岸四・橋本定寿・羽鳥長四郎・浜田十之助(抑留死)・針谷逸郎・平野儀一(法務死)・平山護義・本田農・松井秀治・宮崎武之・村上宗治・森田春次・簗瀬真琴・山県武光(自決)・山下彦平・横山伊三郎
- 大佐:李應俊(香山武俊・韓国軍中将、韓国軍初代参謀総長)・劉升烈(江本烈・韓国軍少将)・安秉範(安鐘寅、亀村貞信・韓国軍准将)
- 中佐:⑥満井佐吉・申泰英(平山輔英)
- 少佐:李大永(海東孝朋・韓国軍准将)、朴勝薫(満州国軍上校、韓国軍少将)
- 大尉:金埈元(韓国軍准将)
- 中尉:木原円次・池大亨(韓国光復軍総司令官)
27期
[編集]大正4年(1915年)5月25日卒業、大正4年(1915年)12月25日任官、761名
- 中将:青木武三・秋永月三・朝野寅四郎・綾部橘樹・㉓井桁敬治(没後進級)・石川浩三郎・石田栄熊・⑦諫山春樹・石川愛・石田保忠・伊藤忍・㉗岩崎民男・⑫内田銀之助・大須賀応(没後進級)・大前憲三郎・㊶岡本清福・小薗江邦雄(没後進級)・笠原嘉兵衛・⑱片岡董・川久保鎮馬・木下栄市・木村松治郎・楠山秀吉(没後進級)・㊲国武三千雄・久野村桃代・栗栖猛夫(没後進級)・佐久間亮三・⑩佐々真之助・㊴重見伊三雄(没後進級)・四手井綱正・㉜白銀義方・相馬癸八郎・高橋坦・田坂専一・田島彦太郎(法務死)・辰巳栄一・田中友道・⑭谷田勇・田村宣武・㉘坪島文雄・永野叢人・西大條胖・納見敏郎(憲兵・自決)・⑥信氏良吉・④橋本秀信・⑤原乙未生・⑨原田次郎・樋口敬七郎・広田豊・㊽藤塚止戈夫・①藤室良輔(没後進級)・三上喜三・宮下健一郎・村田孝生・⑧山田国太郎・芳仲和太郎・㉝吉原矩・渡左近
- 少将:青木政尚・阿蘇太郎吉(没後進級)・井原茂次郎・岩根清夫・恵藤第四郎・小野行守・金岡正忠・金井満・河嶋修・木原義雄・来嶌則和・黒須源之助・古賀龍一・㉙小堀金城・小山義己・斎藤春麿・坂井武・佐々木達治郎・重信吉固・島田恵之助・赤藤庄次・白滝理四郎・多賀哲四郎・高木正実・瀧昇・谷肇・道下義行・中熊直正(戦死)・橋本博光・原田棟・平桜政吉・藤山朝章・古田建一・美田千賀蔵(戦死)・㊱蛭沼七蔵(没後進級)・元泉馨(自決)・矢ヶ崎節三・安永篤次郎・山岡重光・山口武夫・山崎武四・吉武秀人・立古睦吉
- 大佐:東宮鉄男(戦死)・北郷格郎・金錫源(金山錫源・韓国軍少将)・白洪錫(韓国軍少将)
- 中佐:金仁旭
- 少佐:㊸堀内一雄(満州国陸軍少将)
- 中尉:張錫倫(韓国軍大佐)
- 少尉:荒木五郎・関口存男
28期
[編集]大正5年(1916年)5月26日卒業、大正5年(1916年)12月26日任官、651名
- 中将:秋永力・池田純久・石野芳男・井原潤次郎・鵜沢尚信・大幸喜三郎・川越守二・川俣雄人・久保禎三・国分新七郎・小柳津政雄・近藤新八(法務死)・佐藤正一・①白銀重二・武田寿・田村浩・長勇・塚田理喜智・寺垣忠雄・⑦寺田済一・当山弘道・中西良介・長嶺喜一(没後進級)・浜田平・⑤原田義和・深堀游亀・松田巌・馬奈木敬信・三島義一郎・峯木十一郎・宮崎周一・森茂樹・森赳・矢野政雄・山本清衛・④山本健児・山脇正男・芳村正義
- 少将:安倍克巳(没後進級)・石川琢磨・一木清直(没後進級)・今川一策・今関靖夫・岩田英二・遠藤新一・大河原鉄之助・小野修・角和善助・久世弥三吉・作間喬宜・佐々木勘之丞・伴信也・三宮満治・重藤憲文(戦病死)・長林勝由・能勢潤三・長谷川務・二見秋三郎・堀毛一麿・宮脇幸助
- 大佐:石川明・棚橋真作・成富政一(没後進級)
- 中尉:岡茂雄
- 中国留学生:何応欽・朱紹良・谷正倫・賀耀組
29期
[編集]大正6年(1917年)5月25日卒業、大正6年(1917年)12月25日任官、536名
- 王族:中将李垠
- 中将:③有末精三・㉜磯矢伍郎・㉗稲田正純・大橋熊雄(没後進級)・⑪鎌田銓一・㉚唐川安夫・①河村参郎(法務死)・北島熊男・⑥後藤光蔵・⑱小松光彦・佐藤賢了・清水盛明・千葉熊治・寺田雅雄・土居明夫・中井増太郎・中西貞喜・中野良次・㊻額田坦・㉖萩三郎・長谷川基・守屋精爾(没後進級)・⑧吉田喜八郎・渡辺雅夫
- 少将:浅海喜久雄・一田次郎・小川団吉・小野門之助(没後進級)・㊱北川潔水・④園田晟之助(没後進級)・志方光之・四方諒二・玉置温和・中村隆寿・中山貞武・馬場英夫・松村千代喜・宮本清一・谷萩那華雄(法務死)・渡辺信吉
- 大佐:鳥飼恒男・長浜彰(憲兵、法務死)
- 中尉:和田勁(満州国陸軍中将)
30期
[編集]大正7年(1918年)5月27日卒業、大正7年(1918年)12月25日任官、632名
- 中将:④磯村武亮(没後進級)・川上清志(没後進級)・中川州男(2階級特進)
- 少将:安達与助・⑨石井正美・石本五雄(没後進級)・㊽今井武夫・⑥今井一二三・今田新太郎・岩畔豪雄・大坪一馬・岡田菊三郎・岡田元治・小川泰三郎・㉓小畑信良・加治武雄・川目太郎・②工藤良一・㊼隈部正美・黒田茂・桑原支那吉(没後進級)・五島正(没後進級)・桜井徳太郎・桜井鐐三・佐治直影(没後進級)・㉞沢本理吉郎・鈴木敬司・⑱専田盛寿・副島太郎(没後進級)・①高嶋辰彦・土岐鉾治・中井千万騎・中村三郎・⑬那須義雄・鍋島英比古・藤村益蔵・古屋健三・前沢長重・正木博・馬淵逸雄・水野桂三・⑤宮野正年・森本軍蔵・山岡道武・山口槌夫・吉田茂登彦・渡辺三郎・⑫渡辺渡
- 大佐:大石正幸(憲兵)・風間満季
- 中尉:厳柱明(韓国軍准将)
31期
[編集]大正8年(1919年)5月28日卒業、大正8年(1919年)12月25日任官、489名
- 中将:有末次(没後進級)・公平匡武(没後進級)・権藤恕(没後進級)・⑤田村義冨(自決)・森巌(没後進級)
- 少将:㊷青津喜久太郎・上田昌雄・宇垣松四郎・⑦臼井茂樹(没後進級)・梅津広吉・大野武城・岡田重一・奥信夫・⑥小野寺信・片倉衷・河越重定・川嶋虎之輔・⑬川本芳太郎・北村可大・久米精一・⑮小池龍二・児玉久蔵・坂間訓一・⑳真田穣一郎・志村文雄・立石方亮・中川留雄・中村忠英・南部好範(没後進級)・西義章(没後進級)・土生秀治・原田貞憲・藤原武(没後進級)・星駒太郎・三好康之・村田定雄・㉑山本茂一郎・吉永朴・和気忠文
- 大佐:大島卓・大谷敬二郎(憲兵)・富田義信(没後進級)・東平作・村中四郎
- 中佐:㉒熱海景良
- 少佐:㊱中村震太郎(没後進級)
32期
[編集]大正9年(1920年)5月26日卒業、大正9年(1920年)12月26日任官、429名
- 皇族:中将賀陽宮恒憲王
- 少将:相京正夫(自決、没後進級)・青木喬・浅野克己・阿部芳光・天野正一・依知川庸治・内野宇一・宇都宮直賢・太田公秀・大坪潔・小野武雄(没後進級)・梶秀逸・鏑木正隆(法務死)・草場季喜・久保満雄・②黒川邦輔(没後進級)・小沼治夫・佐方繁木・⑧信濃成繁・柴田芳三・高品朋・寺倉小四郎・銅金義一・徳永鹿之助・富田直亮・戸波宗道・友近美晴・中村儀十郎・⑤中山源夫・①西村敏雄・丹羽勇・能登久・浜田弘・③林太平・林勇蔵・福地春男(獄死)・福富伴蔵・本郷忠夫(没後進級)・本多三男(没後進級)・真方勲・松村秀逸・三島美貞・山田英男・山之内二郎
- 大佐:小原重孝
33期
[編集]大正10年(1921年)7月27日卒業、大正10年(1921年)10月16日任官、437名
- 皇族:芳麿王(後に臣籍降下し山階芳麿侯爵(砲兵中尉)となる)
- 少将:安達久・有森三雄・⑦池谷半二郎・市田一貫(没後進級)・大平秀雄・小川一郎・小野打寛・加藤道雄・④加藤義秀・賀谷與吉(戦死)・木佐木久・江湖要一・小林誠一・坂井芳雄・⑥重安穐之助・菅井斌麿・谷川一男・坪内剛直・都甲徠・永井八津次・⑤中山寧人・西村乙嗣・野村健三・③野村恭雄・早淵恒治・広瀬四郎・松村知勝・松村弘・三輪潔・山崎正男・吉武安正
- 大佐:鈴木庫三・水谷一生・藤田実彦・山家亨
- 中佐:柴有時・神保信彦・杉本五郎(戦死)・藤田雄蔵(没後進級)
- 少佐:清水清(没後進級)
- 大尉:浅野節・①田中弥・百武俊吉・山口一太郎
- 少尉:西久保豊成
34期
[編集]大正11年(1922年)7月28日卒業、大正11年(1922年)10月25日任官、345名
- 皇族:少将秩父宮雍仁親王
- 少将:池田末男(戦死)・大西洋(没後進級)・木谷美雄(没後進級)・横山明(没後進級)
- 大佐:赤松貞雄・④石井秋穂・③西浦進・⑫服部卓四郎・⑲堀場一雄
- 中佐:松井麻之助
- 中尉:西田税
- 中退:三好達治
35期
[編集]大正12年(1923年)7月21日卒業、大正12年(1923年)10月25日任官、315名
- 皇族:邦久王(後に臣籍降下し久邇邦久侯爵(歩兵大尉)となる)
- 少将:権藤正威(没後進級)・佐藤直(没後進級)
- 大佐:天野勇(戦死)・④荒尾興功・稲田安良・藤井貞寿・③松谷誠・八原博通
- 中佐:寺平忠輔
- 大尉:大岸頼好
36期
[編集]大正13年(1924年)7月18日卒業、大正13年(1924年)10月25日任官、330名
- 実役停年通りに昇進する閑院宮春仁王が昭和20年6月に陸軍少将に昇進するが、その他の者で少将まで昇進した者は戦死による特進の場合のみ。
陸軍士官学校本科以降
[編集]37期
[編集]大正14年(1925年)7月25日卒業、大正14年(1925年)10月26日任官、302名
38期
[編集]大正15年(1926年)7月16日卒業、大正15年(1926年)10月25日任官、340名
39期
[編集]昭和2年(1927年)7月19日卒業、昭和2年(1927年)10月25日任官、292名
40期
[編集]昭和3年(1928年)7月17日卒業、昭和3年(1928年)10月26日任官、225名
- 大尉:河野壽(自決)
41期
[編集]昭和4年(1929年)7月17日卒業、昭和4年(1929年)10月25日任官、239名
42期
[編集]昭和5年(1930年)7月19日卒業、昭和5年(1930年)10月25日任官、218名
43期
[編集]昭和6年(1931年)7月22日卒業、昭和6年(1931年)10月26日任官、227名
44期
[編集]昭和7年(1932年)7月11日卒業、昭和7年(1932年)10月25日任官、315名
45期
[編集]昭和8年(1933年)7月11日卒業、昭和8年(1933年)10月20日任官、337名
46期
[編集]昭和9年(1934年)6月卒業、338名
47期
[編集]昭和8年(1933年)4月入校、昭和10年(1935年)6月卒業、330名
- 満州国軍中校(中佐相当):満州国元首の弟・醇親王継嗣:愛新覚羅溥傑
- 少佐:井川省(1946年インドシナ戦争で戦死)・①小林友一・野中国男(自決)・⑬山口立(陸将)
- 少尉:池田俊彦・清原康平・林八郎(刑死)
48期
[編集]昭和11年(1936年)6月卒業、388名。卒業の年に2.26事件があった。
49期
[編集]昭和12年(1937年)6月卒業、471名。終戦までの戦没者は殉職含め165名
50期
[編集]陸士1937年12月卒業426名。戦死者129名、戦病死18名、殉職4名、終戦時自決1名
51期
[編集]1938年12月卒業461名。戦没者188名、自決4名
52期
[編集]1939年9月卒業508名。戦死167名、戦病死18名、殉職29名、自決4名、法務死2名
53期
[編集]1940年2月卒業1365名。戦死者651名
- 大佐:奥山道郎(義烈空挺隊長、戦死、二階級特進)
- 少佐:石井卓雄(ベトナム独立戦争で戦死)・奥田鑛一郎・亀岡高夫・杉山龍丸・千明武久(戦死)・申應均(平山勝敏)
- 大尉:三好秀男(陸上自衛隊第11代陸上幕僚長)
54期
[編集]1940年9月卒業1798名。戦没者762名、戦病死92名、法務死4名、殉職76名、終戦時自決2名
55期
[編集]1941年7月卒業1755名。戦没者962名
56期
[編集]1942年12月卒業1672名。戦没者1003名
57期
[編集]1944年(昭和19年)4月卒業1268名。戦没者七百数十名
58期
[編集]1945年(昭和20年)6月卒業1146名
- 終戦直前任官した陸軍最後の少尉であり、戦後占領軍により1951年春まで公職から追放された。
59期
[編集]終戦後に特別に卒業資格を付与、一般大学の受験資格を得た。陸士1250名
- 1943年4月1日に陸軍予科士官学校入校、1944年10月13日に予科士官学校卒業、同日に士官候補生を命ぜられ、1944年10月14日に士官学校入校、同日に兵長の階級を与えられ、1945年1月15日に伍長の階級に進み、1945年3月15日に軍曹の階級に進むが、在校中に終戦を迎えた。1961年に59・60期の同窓会「国史会」一部の者がクーデターを企画して破防法適用事件第1号となった(三無事件参照)。
60期
[編集]陸士1824名。1944年2月21日幼年学校出身者は予科士官学校へ仮入校。
- 本科生徒たる兵長で士官学校閉校。
61期
[編集]関連書籍
[編集]- 『市ヶ谷台に学んだ人々』桑原獄 著、文京出版、2000年9月。ISBN 4-938893-11-8。