栗原幸衛
表示
栗原 幸衛 | |
---|---|
生誕 | 日本 静岡県 |
死没 | 1920年1月7日 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1898年 - |
最終階級 | 陸軍大佐 |
栗原 幸衛(くりはら ゆきえ、生年不明 - 1920年(大正9年)1月7日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は騎兵大佐。日露戦争では秋山支隊 騎兵第一旅団司令部[注釈 1]に所属。奉天会戦などに参戦した。
経歴・人物
[編集]静岡県田方郡韮山町(現伊豆の国市)出身[1]。1895年(明治28年)、静岡県尋常中学校卒業[2]。1898年(明治31年)11月25日、陸軍士官学校10期卒業。1899年(明治32年)、6月27日任官。
1903年(明治36年)8月3日、陸軍大学校入校。1904年(明治37年)2月9日中退、日露戦争を戦った後、1906年(明治39年)3月20日に陸大に復校[注釈 2]。1908年(明治41年)11月30日、陸大20期卒業。大尉。1910年(明治43年)、第18師団師団司令部参謀[3]。
1917年(大正6年)9月12日、派遣武官としてフランスに渡る(6ヶ月)。軍需品調達と財政運用との関係、及び、交戦各国軍の戦時騎兵教育・軍馬補充の調査研究を行った[4]。
1920年1月7日、東京衛戍病院で病死した[1]。正五位[5]。
著書
[編集]- 「騎兵に関する管見」『偕行社記事』536号69-78頁 1919.4
- 「会戦に於ける騎兵の価値」『偕行社記事』539号81-84頁 1919.7
登場作品
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 日露戦争出征直前の騎兵第一旅団司令部 国立公文書館アジア歴史資料センター - 前列右から栗原幸衛中尉、秋山好古少将、中屋新吉大尉(副官)。『日本騎兵史 上』巻頭写真。松山市の坂の上の雲ミュージアムでも見ることができる。
- ^ 陸大20期は、日露戦争期のため変則。
出典
[編集]- ^ a b 韮山町史編纂委員会編『韮山町史 第8巻:近現代2』韮山町史刊行委員会、1995年、340頁。
- ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 44頁。
- ^ 明治43年度 第18師団動員計画野戦部隊将校同相当官職員表
- ^ 第一次世界大戦期における陸軍派遣武官リスト 185頁。東京大学学術機関リポジトリ
- ^ 叙位裁可書・大正九年・叙位巻一
関連項目
[編集]参考文献
[編集]外部リンク
[編集]- 坂の上の雲ミュージアム
- 昭和館デジタルアーカイブ 『白国の義戦』町田梓樓 著 丁未出版社 1918.に序文を寄せている。「白耳義に就き所感」(陸軍騎兵中佐・栗原幸衛)