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栗原幸衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
栗原 幸衛
生誕 日本の旗 日本 静岡県
死没 1920年1月7日
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1898年 -
最終階級 陸軍大佐
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栗原 幸衛(くりはら ゆきえ、生年不明 - 1920年大正9年)1月7日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は騎兵大佐日露戦争では秋山支隊 騎兵第一旅団司令部[注釈 1]に所属。奉天会戦などに参戦した。

経歴・人物

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静岡県田方郡韮山町(現伊豆の国市)出身[1]1895年(明治28年)、静岡県尋常中学校卒業[2]1898年(明治31年)11月25日、陸軍士官学校10期卒業。1899年(明治32年)、6月27日任官。

1903年(明治36年)8月3日、陸軍大学校入校。1904年(明治37年)2月9日中退、日露戦争を戦った後、1906年(明治39年)3月20日に陸大に復校[注釈 2]1908年(明治41年)11月30日、陸大20期卒業。大尉。1910年(明治43年)、第18師団師団司令部参謀[3]

1917年(大正6年)9月12日、派遣武官としてフランスに渡る(6ヶ月)。軍需品調達と財政運用との関係、及び、交戦各国軍の戦時騎兵教育・軍馬補充の調査研究を行った[4]

1920年1月7日、東京衛戍病院で病死した[1]。正五位[5]

著書

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  • 「騎兵に関する管見」『偕行社記事』536号69-78頁 1919.4
  • 「会戦に於ける騎兵の価値」『偕行社記事』539号81-84頁 1919.7

登場作品

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脚注

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注釈

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  1. ^ 日露戦争出征直前の騎兵第一旅団司令部 国立公文書館アジア歴史資料センター - 前列右から栗原幸衛中尉、秋山好古少将、中屋新吉大尉(副官)。『日本騎兵史 上』巻頭写真。松山市坂の上の雲ミュージアムでも見ることができる。
  2. ^ 陸大20期は、日露戦争期のため変則。

出典

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  1. ^ a b 韮山町史編纂委員会編『韮山町史 第8巻:近現代2』韮山町史刊行委員会、1995年、340頁。
  2. ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 44頁。
  3. ^ 明治43年度 第18師団動員計画野戦部隊将校同相当官職員表
  4. ^ 第一次世界大戦期における陸軍派遣武官リスト 185頁。東京大学学術機関リポジトリ
  5. ^ 叙位裁可書・大正九年・叙位巻一

関連項目

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参考文献

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外部リンク

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