鍋島直明
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鍋島直明 なべしま なおあきら | |
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生年月日 |
1870年1月26日 (明治2年12月25日) |
出生地 |
日本 肥前国佐賀 (現・佐賀県) |
没年月日 | 1937年11月19日(67歳没) |
出身校 | 陸軍士官学校卒業 |
前職 | 陸軍少将 |
所属政党 | 公正会 |
称号 |
正三位 勲二等旭日章 功四級金鵄勲章 男爵 |
配偶者 | 鍋島渭子 |
選挙区 | (男爵議員) |
在任期間 | 1922年9月23日 - 1937年11月19日 |
鍋島 直明(なべしま なおあきら、1870年1月26日〈明治2年12月25日〉 - 1937年〈昭和12年〉11月19日)は、日本の陸軍軍人、政治家、華族。陸軍少将正三位勲二等功四級男爵。貴族院議員。
経歴
[編集]肥前国佐賀に深堀鍋島家・鍋島茂精(孫六郎)の次男として生まれた。明治28年(1895年)、藩主一門の白石鍋島家・鍋島直暠の長女・渭子の入婿となり家督を継ぐ。明治25年(1892年)、陸軍士官学校(3期)卒業。明治26年(1893年)陸軍騎兵少尉となる。明治30年(1897年)10月27日、男爵に叙爵した。近衛騎兵聯隊中隊長、載仁親王付武官となる。大正3年(1914年)騎兵第六連隊長を務め、大正5年(1916年)8月、陸軍騎兵大佐となり竹田宮恒久王附武官となる。大正8年(1919年)7月25日、陸軍少将となり、同日、予備役に編入された。
大正11年(1922年)9月より没するまで貴族院男爵議員となる。所属会派は公正会。昭和12年薨去。享年69歳。墓所は多磨霊園[1]。家督は鍋島直高が継いだ。
栄典
[編集]- 1893年(明治26年)5月10日 - 正八位[2]
- 1903年(明治36年)12月11日 - 正五位[3]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 功五級金鵄勲章・勲四等旭日小綬章・明治三十七八年従軍記章[4]
- 1910年(明治43年)12月27日 - 従四位[5]
- 1915年(大正4年)4月24日 - 勲三等瑞宝章[6]
- 1919年(大正8年)1月10日 - 正四位[7]
家族
[編集]- 妻:鍋島渭子(鍋島直暠の長女)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本人物大辞典(講談社)
- 歴代閣僚と国会議員名鑑(憲政資料編纂会)
- 平成新修旧華族家系大成(霞会館華族家系大成編輯委員会)
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 (白石)鍋島家初代 1897年 - 1937年 |
次代 鍋島直高 |