河村董
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河村 董 | |
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生誕 |
1883年8月14日 日本 東京府 |
死没 | 1971年3月29日(87歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1906年 - 1941年 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
河村 董(かわむら ただし[1]、1883年(明治16年)8月14日[2] - 1971年(昭和46年)3月29日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功三級[1]。
経歴
[編集]1883年(明治16年)に東京府で生まれた[2]。陸軍士官学校第18期、陸軍大学校第31期卒業[2]。1930年(昭和5年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に陸軍省軍務局兵務課長に着任[1]。1931年(昭和6年)3月に陸軍省高級副官に転じ[1]、1932年(昭和7年)8月に歩兵第29連隊長[1]、1934年(昭和9年)3月に朝鮮軍参謀を歴任した[1]。
1935年(昭和10年)3月15日に陸軍少将と同時に第16師団司令部附となり[1][2]、12月2日に歩兵第36旅団長に就任した[2]。1937年(昭和12年)3月に第4師団司令部附を経て[2]、1938年(昭和13年)3月1日に陸軍中将に進級し[1]、新規編制されていた独立混成第4旅団長(北支那方面軍・第1軍)に就任し[2]、日中戦争に出動[2]。太行山脈で討伐戦に任じた[3]。1939年(昭和14年)3月に留守第6師団長に就任し[2]、1941年(昭和16年)3月1日に待命[2]、3月31日に予備役に編入された[2]。1945年(昭和20年)3月31日に召集され岡山連隊区司令官兼岡山地区司令官に就任した[4]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 藤井非三四 著『知られざる兵団 帝国陸軍独立混成旅団史』国書刊行会、2020年。ISBN 4336065977。