藤原武
藤原 武 | |
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生誕 |
1898年2月3日 日本 岡山県 |
死没 | 1942年12月18日(44歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1919年 - 1942年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
藤原 武(ふじわら たけし、1898年(明治31年)2月3日[1][2] - 1942年(昭和17年)12月18日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。旧姓・北村[1][2]。
経歴
[編集]岡山県出身[1][2][3]。広島陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業[1][2][4]。同年12月、騎兵少尉に任官し騎兵第4連隊付となる[1][4]。1929年(昭和4年)3月、騎兵大尉に昇進し、1931年(昭和6年)11月、陸軍大学校(43期)を卒業し騎兵第4連隊中隊長に就任した[1][2][3]。
1932年(昭和7年)12月、陸軍騎兵学校教官に就任[1]。騎兵集団参謀に転じ、1934年(昭和9年)8月、騎兵少佐に進級[1]。1936年(昭和11年)8月、第6師団参謀に就任し日中戦争に出征[1]。1937年(昭和12年)12月に戦傷を受けた[1]。1938年(昭和13年)3月、騎兵中佐に昇進し参謀本部員兼陸大教官に就任[1]。1938年(昭和13年)9月、第21軍参謀に転じ中国戦線に出征[1][3]。1940年(昭和15年)2月、南支那方面軍参謀に就任し、同年3月、騎兵大佐に進んだ[1][3]。同年12月、陸大教官に発令され帰国[1][3]。1941年(昭和16年)7月、北部軍参謀に就任した[1][3]。
1941年11月、第56師団参謀長に発令され太平洋戦争に出征し、ビルマの戦いに従軍した[1][2][3]。1942年(昭和17年)6月、第11軍高級参謀に発令され中国戦線に出征[1][2][3]。同年12月、華中で飛行機事故のため戦死し、陸軍少将に進級した[1][2][3]。