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藤原武

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤原 武
生誕 1898年2月3日
日本の旗 日本 岡山県
死没 (1942-12-18) 1942年12月18日(44歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1919年 - 1942年
最終階級 陸軍少将
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藤原 武(ふじわら たけし、1898年明治31年)2月3日[1][2] - 1942年昭和17年)12月18日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。旧姓・北村[1][2]

経歴

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岡山県出身[1][2][3]広島陸軍地方幼年学校陸軍中央幼年学校を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業[1][2][4]。同年12月、騎兵少尉に任官し騎兵第4連隊付となる[1][4]。1929年(昭和4年)3月、騎兵大尉に昇進し、1931年(昭和6年)11月、陸軍大学校(43期)を卒業し騎兵第4連隊中隊長に就任した[1][2][3]

1932年(昭和7年)12月、陸軍騎兵学校教官に就任[1]。騎兵集団参謀に転じ、1934年(昭和9年)8月、騎兵少佐に進級[1]。1936年(昭和11年)8月、第6師団参謀に就任し日中戦争に出征[1]。1937年(昭和12年)12月に戦傷を受けた[1]。1938年(昭和13年)3月、騎兵中佐に昇進し参謀本部員兼陸大教官に就任[1]。1938年(昭和13年)9月、第21軍参謀に転じ中国戦線に出征[1][3]。1940年(昭和15年)2月、南支那方面軍参謀に就任し、同年3月、騎兵大佐に進んだ[1][3]。同年12月、陸大教官に発令され帰国[1][3]。1941年(昭和16年)7月、北部軍参謀に就任した[1][3]

1941年11月、第56師団参謀長に発令され太平洋戦争に出征し、ビルマの戦いに従軍した[1][2][3]。1942年(昭和17年)6月、第11軍高級参謀に発令され中国戦線に出征[1][2][3]。同年12月、華中で飛行機事故のため戦死し、陸軍少将に進級した[1][2][3]

栄典

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功三級金鵄勲章受章[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『日本陸海軍総合事典』第2版、139頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『日本陸軍将官辞典』640頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』435頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』428、435頁。

参考文献

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  • 上法快男監修,外山操編『陸海軍将官人事総覧』陸軍篇、芙蓉書房、昭和56年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。