服部暁太郎
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服部 暁太郎 | |
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生誕 |
1892年(明治25年)3月22日 日本 兵庫県 |
死没 |
1944年(昭和19年)8月12日 中華民国 孫呉県 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年(明治45年) - 1944年(昭和19年) |
最終階級 | 陸軍中将 |
服部 暁太郎(はっとり ぎょうたろう、1892年3月22日 - 1944年8月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将・従三位・勲一等・功三級。
経歴
[編集]兵庫県出身。1912年(明治45年)5月、陸軍士官学校(24期)を卒業。同年12月、工兵少尉任官。1923年(大正12年)11月、陸軍大学校(35期)を卒業。陸軍省軍務局工兵課に配属された。
1936年(昭和11年)3月、工兵大佐に昇進し工兵第18連隊長に就任。1937年(昭和12年)11月、第7師団参謀長に転じ、工兵監部付に異動。1939年(昭和14年)3月、陸軍少将に進級した。1940年(昭和15年)10月、北支那方面軍隷下の第2野戦鉄道司令官に就任し日中戦争に出征。1941年(昭和16年)9月、第25軍隷下の第2鉄道監に転じ、同年10月、陸軍中将に進み太平洋戦争を迎えた。
開戦後、マレー作戦、シンガポールの戦いに従軍。1942年(昭和17年)1月、南方軍鉄道隊司令官となり、同年4月、工兵監に転じた。1944年(昭和19年)3月、第1師団長に親補され孫呉に駐屯。第1師団が南方に転用された1944年8月、教育総監部付となり、同月12日、満州国の孫呉に於いて陣没した。行年53歳。戒名は大義院殿釋暁居士位。墓所は青山霊園1-イ-6-9。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[2]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。