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松村法吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松村 法吉
まつむら ほうきち
生誕 1868年12月14日
日本の旗 日本福井県
死没 (1925-06-01) 1925年6月1日(56歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1894 - 1923
最終階級 陸軍中将
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松村 法吉(まつむら ほうきち、1868年12月14日明治元年11月1日)- 1925年大正14年)6月1日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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福井県出身。1893年(明治26年)7月25日に陸軍士官学校(4期)を卒業し、1894年(明治27年)3月7日に工兵少尉に任ぜられ、同日付で工兵第四大隊付に補される[2]1895年(明治28年)4月4日に工兵中尉に昇進[3]し、1896年(明治29年)11月28日に陸軍砲工学校(4期)高等科を卒業[4]1897年(明治30年)10月25日には工兵大尉に昇進し、築城部下関支部部員に補せられた[5]。その後、陸軍士官学校教官、陸軍砲工学校教官等を経て、1904年(明治37年)11月16日に工兵少佐に昇進[6]し、日露戦争に従軍。戦争終結後の1907年(明治40年)4月24日に樺太境界画定委員を仰せ付けられる。

1908年(明治41年)12月21日、工兵第十大隊長に就任後、1909年(明治42年)11月30日に工兵中佐に昇進[7]。その後、陸軍戸山学校教官、陸軍歩兵学校教官等を経て、1913年(大正2年)8月22日、陸地測量部製図科長を命ぜられ[8]、同年9月30日に工兵大佐に昇進[9]

その後、工兵第十七大隊長、陸軍技術審査部審査官、陸軍省兵器局器材課長等を経て、1918年(大正7年)7月24日、陸軍少将に昇進し舞鶴要塞司令官に就任[10]。更に、陸地測量部長を歴任し、1923年(大正12年)8月6日、陸軍中将に昇進[11]し、同日付で待命となり、翌月1日予備役に編入された。

栄典

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外国勲章佩用允許

親族

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脚注

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  1. ^ 『日本陸軍将官辞典』682頁。
  2. ^ 『官報』第3207号、明治27年3月12日。
  3. ^ 『官報』第3529号、明治28年4月9日。
  4. ^ 『官報』第4031号、明治29年12月4日。
  5. ^ 『官報』第4297号、明治30年10月26日。
  6. ^ 『官報』第6416号、明治37年11月17日。
  7. ^ 『官報』第7932号、明治42年12月1日。
  8. ^ 『官報』第321号、大正2年8月23日。
  9. ^ 『官報』第353号、大正2年10月1日。
  10. ^ 『官報』第1794号、大正7年7月25日。
  11. ^ 『官報』第3306号、大正12年8月7日。
  12. ^ 『官報』第3258号、明治27年5月12日。
  13. ^ 『官報』第3671号、明治28年9月21日。
  14. ^ 『官報』4013号附録、明治29年11月12日。
  15. ^ 『官報』第3836号、明治29年4月16日。
  16. ^ 『官報』第4341号、明治30年12月18日。
  17. ^ 『官報』第5920号、明治36年3月31日。
  18. ^ 『官報』第5960号、明治36年5月18日。
  19. ^ 『官報』第7036号、明治39年12月11日。
  20. ^ 『官報』第7460号、明治41年5月12日。
  21. ^ 『官報』第294号、大正2年7月22日。
  22. ^ 『官報』第539号、大正3年5月18日。
  23. ^ 『官報』第1825号、大正7年9月2日。
  24. ^ 『官報』第2612号、大正10年4月19日。
  25. ^ 『官報』第3307号、大正12年8月8日。
  26. ^ 『官報』第3358号、大正12年11月1日。
  27. ^ 『官報』第7481号、明治41年6月5日。
  28. ^ 『官報』第1753号、大正7年6月7日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
軍職
先代
木田伊之助
舞鶴要塞司令官
第12代:1918年7月24日 - 1919年7月25日
次代
加藤曽十郎
先代
矢野目孫一
陸地測量部
第8代:1919年7月25日 - 1923年8月6日
次代
山内静夫