松村知勝
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松村 知勝 | |
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生誕 |
1899年10月13日 日本 福井県 |
死没 | 1979年5月7日(79歳没) |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1921‐1945 |
最終階級 | 陸軍少将 |
松村 知勝(まつむら ともかつ、1899年〈明治32年〉10月13日 - 1979年〈昭和54年〉5月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]本籍福井県。松村法吉陸軍中将の長男として生まれる。東京府立四中、陸軍中央幼年学校予科、同校本科を経て、1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第34連隊付となる。陸地測量部員などを経て、1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を卒業した。
参謀本部付勤務、参謀本部員、陸軍歩兵学校教官などを経て、1933年(昭和8年)2月、ポーランド・ソビエト連邦勤務となり、さらにポーランド兼ルーマニア公使館付武官補佐官を務めた。帰国後、1936年(昭和11年)3月、陸大教官となり、参謀本部員、参謀本部戦史課長・大本営研究班長などを歴任。1941年(昭和16年)3月、歩兵大佐に進級し、同年10月、参謀本部ロシア課長に就任した。
太平洋戦争中の1943年(昭和18年)8月、関東軍参謀に発令された。1945年(昭和20年)3月には陸軍少将に昇進。関東軍総参謀副長となり終戦を迎えた。
戦後はシベリア抑留となった。1946年(昭和21年)9月17日には草場辰巳、瀬島龍三とともにウラジオストクから空路東京へ護送され、ソ連側証人として出廷した。1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[1]。1949年(昭和24年)8月に重労働25年の判決を受け、1956年(昭和31年)12月に復員。
親族
[編集]著書
[編集]- 『関東軍参謀副長の手記』芙蓉書房、1977年。
脚注
[編集]- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」211頁。