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松村知勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松村 知勝
生誕 (1899-10-13) 1899年10月13日
日本の旗 日本 福井県
死没 (1979-05-07) 1979年5月7日(79歳没)
所属組織 日本陸軍
軍歴 1921‐1945
最終階級 陸軍少将
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松村 知勝(まつむら ともかつ、1899年明治32年〉10月13日 - 1979年昭和54年〉5月7日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

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本籍福井県松村法吉陸軍中将の長男として生まれる。東京府立四中陸軍中央幼年学校予科同校本科を経て、1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第34連隊付となる。陸地測量部員などを経て、1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を卒業した。

参謀本部付勤務、参謀本部員、陸軍歩兵学校教官などを経て、1933年(昭和8年)2月、ポーランドソビエト連邦勤務となり、さらにポーランド兼ルーマニア公使館付武官補佐官を務めた。帰国後、1936年(昭和11年)3月、陸大教官となり、参謀本部員、参謀本部戦史課長・大本営研究班長などを歴任。1941年(昭和16年)3月、歩兵大佐に進級し、同年10月、参謀本部ロシア課長に就任した。

太平洋戦争中の1943年(昭和18年)8月、関東軍参謀に発令された。1945年(昭和20年)3月には陸軍少将に昇進。関東軍総参謀副長となり終戦を迎えた。

戦後はシベリア抑留となった。1946年(昭和21年)9月17日には草場辰巳瀬島龍三とともにウラジオストクから空路東京へ護送され、ソ連側証人として出廷した。1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[1]1949年(昭和24年)8月に重労働25年の判決を受け、1956年(昭和31年)12月に復員

親族

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著書

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  • 『関東軍参謀副長の手記』芙蓉書房、1977年。

脚注

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  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」211頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。