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大多和新輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大多和 新輔
生誕 1869年12月6日
周防山口藩
死没 (1933-11-25) 1933年11月25日(63歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1891年 - 1923年
最終階級 陸軍中将
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大多和 新輔(おおたわ しんすけ、1869年12月6日明治2年11月4日[1] - 1933年昭和8年)11月25日[2][注釈 1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階勲等功級は正四位勲二等功三級[3]

経歴・人物

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長州藩士・大多和篤義の長男として長門国(現・山口県)に生まれ、1913年大正2年)家督を相続する[1][3]1890年(明治23年)7月29日の官報によると、陸軍士官学校第1期歩兵科1番/103名で卒業[4][5]。翌年、陸軍歩兵少尉に任官する[6]

歩兵第1連隊附、陸軍戸山学校教官、陸軍省軍務局課員を経て、1911年(明治44年)8月に陸軍歩兵大佐歩兵第22連隊長に任官[1][3][5]

ついで、1916年(大正5年)8月に陸軍少将・歩兵第26旅団長を経て、1919年(大正8年)11月に浦塩派遣軍兵站監長に補任され、志岐守治中将に代わり、撤兵まで勤務した[2][4][5]

その後は、1920年(大正9年)8月に陸軍中将を経て、1920年(大正9年)9月に第11師団留守司令官に転じ、1922年(大正11年)8月に待命、1923年(大正12年)3月に予備役に編入した[4][5]

栄典

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位階
勲章

親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』によると12月25日。

出典

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  1. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『大多和新輔』 - コトバンク
  2. ^ a b 福川 2001, 153頁.
  3. ^ a b c d 人事興信所 1915, オ102頁.
  4. ^ a b c 福川 2001, 154頁.
  5. ^ a b c d 外山 1981, 93頁.
  6. ^ 外山 1981, 91頁.
  7. ^ 『官報』第3199号「叙任及辞令」1894年3月1日。
  8. ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
  9. ^ 『官報』第8486号「叙任及辞令」1911年10月2日。
  10. ^ 『官報』第1236号「叙任及辞令」1916年9月12日。
  11. ^ 『官報』第2434号「叙任及辞令」1920年9月11日。
  12. ^ 『官報』第2046号「叙任及辞令」1919年5月31日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 人事興信所『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1703995