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高村武人

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高村 武人(たかむら たけと、1920年(大正9年)4月12日 - 1998年(平成10年)10月18日)は、日本の陸軍軍人、実業家。山口県柳井市生まれ。

小林よしのりの「新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論」(1998年初版)でその生い立ち、戦歴が紹介された。

生涯

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1935年(昭和10年)4月1日東京陸軍幼年学校 第39期生[1]として入学[2]。第3学年在学中の1937年(昭和12年)、日中戦争支那事変)が勃発し、繰上げで11月19日に卒業[3][4]。同年12月1日に陸軍予科士官学校へ入学した[3]。1940年(昭和40年)9月、陸軍士官学校 第54期卒業[5]

陸士卒業と同時に久留米第56師団(竜兵団)に所属し南方パラオに動員後、各地を転戦。その後、陸軍野戦砲兵学校に赴任、内地で終戦を迎える。

終戦後はイースタンモータース役員[6][7]を経て、イースタン興業社長に就任している[8]

1972年(昭和47年)の第33回衆議院議員総選挙で、佐藤栄作岸信介と同じ山口2区から無所属で出馬し、3万8000票余りを獲得したが落選した[9]

参考文献

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  • 東幼史編集委員会『東京陸軍幼年学校史 わが武寮』東幼会、1982年10月。 
  • 新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論 第15章 「痛快な戦争体験」ISBN 978-4877282431

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ わが武寮 1982 p.857
  2. ^ わが武寮 1982 p.643
  3. ^ a b わが武寮 1982 p.642
  4. ^ 『官報』第3273号「彙報」、昭和12年11月29日(NDLJP:2959759/6
  5. ^ わが武寮 1982 p.646
  6. ^ 国勢協会 編『国勢総覧』(10版)国際連合通信社、1954年10月、94頁。 NDLJP:1699233/492
  7. ^ 国勢協会 編『国勢総覧』(15版)国際連合通信社、1957年、146頁。 NDLJP:1692758/601
  8. ^ 「決断の瞬間 <イースタン興業社長>高村武人氏」『サンデー毎日』第50巻第33号、毎日新聞出版、1971年8月、102-103頁、全国書誌番号:00009588 
  9. ^ 選挙ドットコム>第33回衆議院議員選挙>山口2区”. 2022年8月22日閲覧。