斎藤稔
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斎藤 稔 | |
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生誕 |
1878年3月26日 日本 岡山県 |
死没 | 1931年8月23日(53歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1899年 - 1927年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
斎藤 稔(さいとう みのる、1878年(明治11年)3月26日 - 1931年(昭和6年)8月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴・人物
[編集]岡山県出身[1]。1899年(明治32年)陸軍士官学校第11期卒業、陸軍砲兵少尉に任官[1]。その後、1909年(明治42年)陸軍大学校第21期卒業[1]。
1921年(大正10年)12月に陸軍砲兵大佐、1922年(大正11年)8月に野砲兵第4連隊長、1924年(大正13年)12月に台湾軍参謀を経て、1926年(大正15年)3月に陸軍少将・佐世保要塞司令官に任官[1][2]。その後、1927年(昭和2年)7月に待命、同年9月に予備役に編入した[1][2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。