牟田敬九郎
表示
牟田 敬九郎(むた けいくろう、1855年7月31日〈安政2年6月18日〉[1] – 1913年〈大正2年〉1月2日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将[2]、佐賀県出身[2]。
人物
[編集]1878年(明治11年)陸軍士官学校(旧1期) 卒業。陸軍砲兵少尉任官。以降、累進して砲兵第3連隊副官(大尉)、野砲兵第1連隊第2大隊長(少佐)、東部都督部参謀(中佐)、野砲兵第6連隊長(大佐)、近衛師団参謀長、等を歴任した。1902年(明治35年)5月5日陸軍少将となり当日付で舞鶴要塞司令官を拝命。2年後の日露戦争では第3軍砲兵部長を務めた。1906年(明治39年)3月、舞鶴要塞司令官を免ぜられて下関要塞司令官となったが、僅か3ケ月で韓国駐剳軍参謀長に転任となった。1908年(明治41年)12月、陸軍中将に昇進して再び下関要塞司令官に補され、1910年(明治43年)11月の予備役編入まで務めた。
経歴
[編集]- 1878年(明治11年)12月 – 陸軍士官学校(旧1期) 卒業[2]
- 1886年(明治19年)6月1日 – 任 陸軍砲兵大尉[3]
- 1888年(明治21年)11月20日 – 補 砲兵第3連隊副官[4]
- 1889年(明治22年)5月27日 – 補 参謀本部第1局員[5]
- 1891年(明治24年)
- 1894年(明治27年)2月21日 – 補 第4師団参謀[8]
- 1895年(明治28年)1月11日 – 任 陸軍砲兵中佐[9]
- 1896年(明治29年)
- 1897年(明治30年)10月11日 – 任 陸軍砲兵大佐、補 野砲兵第6連隊長[12]
- 1898年(明治31年)3月3日 – 近衛師団参謀長[2]
- 1902年(明治35年)5月5日 – 任 陸軍少将、補 舞鶴要塞司令官[2][13]
- 1904年(明治37年)9月12日 – 補 第3軍砲兵部長[2]
- 1906年(明治39年)
- 1908年(明治41年)12月21日 – 任 陸軍中将、補 下関要塞司令官[2][15]
- 1910年(明治43年)11月30日 – 予備役編入[2][16]
栄典・授章・授賞
[編集]- 位階
- 1886年(明治19年)11月27日 - 正七位[17]
- 1891年(明治24年)12月28日 - 従六位[18]
- 1895年(明治28年)3月8日 - 正六位[19]
- 1897年(明治30年)10月30日 - 従五位[20]
- 1902年(明治35年)9月20日 - 正五位[21]
- 1907年(明治40年)10月11日 - 従四位[22]
- 1910年(明治43年)12月20日 - 正四位[23]
- 勲章等
- 1890年(明治23年)5月30日 - 勲六等瑞宝章[24]
- 1896年(明治29年)6月30日 - 功四級金鵄勲章
- 1896年(明治29年)11月25日 - 勲五等瑞宝章[25]
- 1902年(明治35年)11月29日 - 勲四等瑞宝章[26]
- 1905年(明治38年)5月30日 - 勲三等瑞宝章
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲二等旭日重光章・功三級金鵄勲章・明治三十七八年従軍記章[27]
脚注
[編集]- ^ 『人事興信録 3版』(人事興信所、1911年)む4頁
- ^ a b c d e f g h i 『日本陸軍将官総覧』139頁
- ^ 『官報』第880号「叙任及辞令」1886年6月9日。
- ^ 『官報』第1621号「叙任及辞令」1888年11月22日。
- ^ 『官報』第1775号「叙任及辞令」1889年6月1日。
- ^ 『官報』第2396号「叙任及辞令」1891年6月26日。
- ^ 『官報』第2468号「叙任及辞令」1891年9月18日。
- ^ 『官報』第3194号「叙任及辞令」1894年2月23日。
- ^ 『官報』第3462号「叙任及辞令」1895年1月16日。
- ^ 『官報』第3987号「叙任及辞令」1896年10月10日。
- ^ 『官報』第3993号「叙任及辞令」1896年10月19日。
- ^ 『官報』第4285号「叙任及辞令」1897年10月12日。
- ^ 『官報』第5648号「叙任及辞令」1902年5月6日。
- ^ 『官報』第6808号「叙任及辞令」1906年3月13日。
- ^ 『官報』第7648号「叙任及辞令」1908年12月22日。
- ^ 『官報』第8234号「叙任及辞令」1910年12月1日。
- ^ 『官報』第1033号「叙任」1886年12月8日。
- ^ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
- ^ 『官報』第3505号「叙任及辞令」1895年3月9日。
- ^ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。
- ^ 『官報』第5767号「叙任及辞令」1902年9月22日。
- ^ 『官報』第7288号「叙任及辞令」1907年10月12日。
- ^ 『官報』第8251号「叙任及辞令」1910年12月21日。
- ^ 『官報』第2076号「叙任及辞令」1890年6月3日。
- ^ 『官報』第4027号「叙任及辞令」1896年11月30日。
- ^ 『官報』第5824号「叙任及辞令」1902年12月1日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。