村岡長太郎
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村岡 長太郎(むらおか ちょうたろう、明治4年11月1日(1871年12月12日) - 昭和5年(1930年)8月19日)は大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。佐賀県出身。
経歴
[編集]陸軍士官学校5期生。同期に金谷範三、菱刈隆、岸本鹿太郎、吉田豊彦、松江豊寿らがいる。 陸軍大学校14期を優等で卒業している。同期の久邇宮邦彦王も優等で卒業している。
日露戦争では第2師団参謀として出征した。当時の第2師団長は西島助義。第1次バルカン戦争ではオスマン帝国軍に従軍した。
張作霖爆殺事件の首謀者とされる[1]。同事件の責任をとらされて予備役に編入され、翌年死去した。
年譜
[編集]- 1894年(明治27年)
- 1897年(明治30年)10月 陸軍中尉
- 1900年(明治33年)11月 陸軍大尉
- 1902年(明治35年)11月 陸軍大学校卒業。歩兵13聯隊中隊長。
- 1903年(明治36年)11月 参謀本部出仕仰付
- 1904年(明治37年)
- 1905年(明治38年)5月 陸軍少佐
- 1907年(明治40年)11月 陸軍大学校教官
- 1910年(明治43年)6月 陸軍中佐
- 1911年(明治44年)
- 3月 参謀本部部員。
- 12月 トルコ出張。
- 1912年(大正1年)トルコ軍従軍
- 1913年(大正2年)11月 陸軍大佐・歩兵第29連隊長
- 1915年(大正4年)
- 2月 教育総監部第二課長
- 8月 教育総監部第一課長
- 1918年(大正7年)7月 陸軍少将。教育総監部附(臨時軍事委員長)
- 1921年(大正10年)1月 陸軍歩兵学校校長
- 1923年(大正12年)8月 陸軍中将・第4師団長
- 1927年(昭和2年)8月 関東軍司令官
- 1928年(昭和3年)3月
- 1929年(昭和4年)7月 予備役
- 1930年(昭和5年)8月19日 死去
栄典
[編集]- 位階
- 勲章