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田辺松太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田辺 松太郎
生誕 1884年9月9日
日本の旗 日本 広島県
死没 (1977-08-26) 1977年8月26日(92歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1904年 - 1939年
最終階級 陸軍中将
除隊後 満洲土木建築業協会長
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田辺 松太郎(たなべ まつたろう、1884年明治17年)9月9日[1] - 1977年昭和52年)8月26日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。位階勲等正四位勲三等[2]

経歴

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広島県出身[1]大阪陸軍地方幼年学校第2期[3]陸軍士官学校第16期卒業[1]日露戦争に出征し[2]、その後は1922年(大正11年)まで8年間にわたり広島陸軍幼年学校で勤務した[4]。同年2月、陸軍歩兵少佐に進級し[5]1923年(大正12年)9月時点で歩兵第22連隊大隊長の任にあった[5]1925年(大正14年)8月、陸軍歩兵中佐に進級し[6]、9月時点で歩兵第22連隊附に移り[6]1926年(大正15年)4月に第16師団司令部附となり、立命館大学に配属された[7]1928年(昭和3年)3月、新発田連隊区司令部部員に転じ[8]1929年(昭和4年)11月、歩兵第16連隊附に移った[9]

1931年(昭和6年)8月、陸軍歩兵大佐進級と同時に山形連隊区司令官に着任した[10]1933年(昭和8年)3月、歩兵第48連隊長(第12師団・歩兵第24旅団[11][12])に転じ[10]1935年(昭和10年)12月に第5師団司令部附となった[10]1936年(昭和11年)3月、陸軍少将に進級し[10]、12月に歩兵第38旅団長(第19師団[13][14])に就任し[1]1938年(昭和13年)7月に第4独立守備隊司令官(関東軍第3軍[15][16])に転補され[1]牡丹江に位置した[16]1939年(昭和14年)3月、陸軍中将に進級し[10]8月1日には東部軍司令部附となり[1]8月30日に待命[1]8月31日に予備役に編入された[17]

予備役編入後の1940年(昭和15年)に満洲土木建築業協会長に就任した[2]

親族

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  • 妻:ツギ子 - 水野甚次郎二女[2]
  • 男:勝 - 1941年(昭和16年)時点で陸軍中尉[2]
  • 男:誠 - 1941年(昭和16年)時点で陸軍少尉[2]

栄典

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勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 福川 2001, 457頁.
  2. ^ a b c d e f 人事興信所 1941, タ65頁.
  3. ^ 『偕行』第611号、陸修偕行社、2001年4月、11頁。
  4. ^ 『偕行』第611号、陸修偕行社、2001年4月、11頁。
  5. ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正12年9月1日調177頁
  6. ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正14年9月1日調153頁
  7. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正15年9月1日調141頁
  8. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和3年9月1日調125頁
  9. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和5年9月1日調115頁
  10. ^ a b c d e 外山 1981, 210頁.
  11. ^ 外山・森松 1987, 394頁.
  12. ^ 外山・森松 1987, 395頁.
  13. ^ 外山・森松 1987, 400頁.
  14. ^ 外山・森松 1987, 401頁.
  15. ^ 外山・森松 1987, 446頁.
  16. ^ a b 外山・森松 1987, 450頁.
  17. ^ 『官報』第3799号「叙任及辞令」1939年9月2日。
  18. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 人事興信所 編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3430444