本多道純
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本多 道純(ほんだ みちずみ、1861年7月9日(文久元年6月2日) - 1915年(大正4年)3月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将・正四位・勲一等・功四級。
経歴
[編集]江戸出身。1880年(明治13年)1月に陸軍士官学校(旧5期)に入校。1882年12月25日に卒業し、陸軍騎兵少尉に任官。
日清戦争に第4師団騎兵第4大隊長として出征。1898年(明治31年)10月、騎兵第4連隊長に就任。1900年(明治33年)4月、陸軍省軍務局騎兵課長に転じ、1901年(明治34年)11月、騎兵大佐に昇進。1903年(明治36年)6月、騎兵第16連隊長に発令され日露戦争に従軍。
1906年(明治39年)2月、陸軍少将に進み騎兵第1旅団長に就任。騎兵第3旅団長を経て、1911年(明治44年)6月、軍馬補充部本部長となる。1912年(大正元年)9月、陸軍中将に昇進し、1913年(大正2年)8月に待命となる。1914年(大正3年)5月、予備役に編入された。
栄典
[編集]- 位階
- 1885年(明治18年)10月31日 - 従七位[1]
- 1891年(明治24年)12月28日 - 正七位[2]
- 1895年(明治28年)1月21日 - 従六位[3]
- 1898年(明治31年)10月31日 - 正六位[4]
- 1902年(明治35年)2月20日 - 従五位[5]
- 1906年(明治39年)4月10日 - 正五位[6]
- 1911年(明治44年)4月21日 - 従四位[7]
- 1914年(大正3年)6月10日 - 正四位[8]
- 勲章等
- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[9]
- 1895年(明治28年)
- 1906年(明治39年)4月1日 - 功四級金鵄勲章・旭日中綬章、明治三十七八年従軍記章[12]
- 1910年(明治43年)5月20日 - 勲二等瑞宝章[13]
- 1915年(大正4年)3月11日 - 勲一等旭日大綬章・大正三四年従軍記章[14]・戦捷記章[15]
脚注
[編集]- ^ 『官報』第723号「賞勲叙任」1885年11月27日。
- ^ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
- ^ 『官報』第3467号「叙任及辞令」1895年1月22日。
- ^ 『官報』第4603号「叙任及辞令」1898年11月1日。
- ^ 『官報』第5587号「叙任及辞令」1902年2月21日。
- ^ 『官報』第6825号「叙任及辞令」1906年4月4日。
- ^ 『官報』第8347号「授爵・叙任及辞令」1911年4月22日。
- ^ 『官報』第558号「叙任及辞令」1914年6月11日。
- ^ 『官報』第1949号「叙任及辞令」1889年12月25日。
- ^ 『官報』第3578号「叙任及辞令」1895年6月5日。
- ^ 『官報』第4013号・付録「辞令」1896年11月12日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
- ^ 『官報』第8073号「叙任及辞令」1910年5月23日。
- ^ 『官報』第783号「叙任及辞令」1915年3月15日。
- ^ 『官報』第2903号「叙任及辞令」1922年4月10日。
参考文献
[編集]- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。