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室谷忠一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
室谷 忠一
生誕 1892年1月27日
日本の旗 日本 和歌山県
死没 (1976-01-25) 1976年1月25日(83歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1912年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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室谷 忠一(むろや ちゅういち、1892年明治25年)1月27日[1] - 1976年昭和51年)1月25日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]

経歴

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1892年(明治25年)に和歌山県で生まれた[1]陸軍士官学校第24期卒業[1]1937年(昭和12年)10月に歩兵第68連隊補充隊長に就任し[2]1938年(昭和13年)3月1日陸軍歩兵大佐に進級[2]7月7日歩兵第78連隊長(第1軍第20師団・歩兵第39旅団)に転じ[1][2]日中戦争に出動した[1]

1940年(昭和15年)9月に東京陸軍兵器補給廠長を経て[2]1941年(昭和16年)7月8日第25軍兵器部長(南方軍)に就任し[1][2]8月25日に陸軍少将に進級[2]太平洋戦争開戦後はシンガポール攻略戦に出征した[1]1942年(昭和17年)12月に第52歩兵団長に転じ[1]1943年(昭和18年)5月に第51歩兵団長(第18軍第51師団)に着任[1]。東部ニューギニア戦線に出征し[1]サラモア戦サラワケット山脈越えなど悪戦苦闘の連続であった[1]1944年(昭和19年)2月5日留守第51師団司令部附を経て[1]4月6日第81師団司令部附(第36軍)となり[1]茨城県結城本土決戦に備える中で終戦となった[1]。終戦後の10月14日予備役に編入された[2]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 福川 2001, 721頁.
  2. ^ a b c d e f g h 外山 1981, 321頁.
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」85頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026