相馬癸八郎
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相馬 癸八郎(そうま きはちろう、1893年(明治26年)9月25日[1] - 1976年(昭和51年)7月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]新潟県出身[1][2]。1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校第27期卒業[3]。1918年(大正7年)11月、陸軍砲工学校高等科第24期を優等で卒業[2]。
1937年(昭和12年)8月、陸軍造兵廠大阪工廠弾丸製造所長に補され、同年10月より陸軍造兵廠大阪工廠信管製造所長を兼ねる[1]。
1938年(昭和13年)3月、陸軍砲兵大佐に進み、ついで1939年(昭和14年)3月、陸軍造兵廠作業部長、1940年(昭和15年)4月、陸軍兵器本部技術課長を経て、1941年(昭和16年)3月、陸軍少将に進み、陸軍兵器本部技術部長を発令された[1]。
翌年の1942年(昭和17年)8月、陸軍技術本部第1研究所長、同年10月、第1陸軍技術研究所長、1944年(昭和19年)3月、大阪陸軍造兵廠長を歴任し、同年6月、陸軍中将に進級した[4]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。