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竹原三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
竹原 三郎
第33軍降伏の際、A・W・クローサー英陸軍少将に軍刀を手渡す竹原(1945年)
生誕 1888年2月10日
大日本帝国の旗 大日本帝国 熊本県
死没 (1948-06-21) 1948年6月21日(60歳没)
日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911 - 1945
最終階級 陸軍中将
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竹原 三郎(たけはら さぶろう、1888年明治21年)2月10日 - 1948年昭和23年)6月21日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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熊本県出身。1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官。1921年(大正10年)11月、陸軍大学校(33期)を卒業し、陸士に配属された。

1935年(昭和10年)8月、歩兵大佐に昇進し第4師団司令部付(大阪商科大学配属将校)となる。福島連隊区司令官を経て、1938年(昭和13年)12月、歩兵第55連隊長に就任し日中戦争に出征。1939年(昭和14年)10月、陸軍少将に進級し歩兵第36旅団長となる。

1940年(昭和15年)11月、第6師団第6歩兵団長に転じた。1943年(昭和18年)3月、留守第20師団長となり、同年6月、陸軍中将に進んだ。1944年(昭和19年)1月、新設の第49師団長に就任し、ビルマへ赴任。イラワジ会戦などで苦戦を強いられ、終戦をタイのタトンで迎えた。

1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

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勲章等

脚注

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  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」210頁。
  2. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。