神田正種
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神田 正種 | |
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神田正種 | |
生誕 |
1890年4月24日 大日本帝国 愛知県 |
死没 |
1983年1月15日(92歳没) 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
指揮 |
第17軍司令官 第6師団長 歩兵第45連隊長 |
戦闘 |
第二次世界大戦 *ブーゲンビル島の戦い |
除隊後 |
全国第17軍ソロモン会 (現:全国ソロモン会)初代会長 |
神田 正種(かんだ まさたね、1890年(明治23年)4月24日 - 1983年(昭和58年)1月15日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]愛知県出身。佐枝種永の二男として生れ、神田正富陸軍中佐の養子となる。台北師範学校附属中学校、熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1911年5月、陸軍士官学校(23期)を卒業。同年12月、歩兵少尉任官、歩兵第18連隊付となる。1919年11月、陸軍大学校(31期)を卒業。
参謀本部付勤務、参謀本部員(ロシア班)、浦塩派遣軍司令部付、関東軍司令部付(南満州鉄道ハルピン事務所)、歩兵第39連隊大隊長、朝鮮軍参謀、陸大専攻学生、トルコ大使館付武官、参謀本部員(ロシア班長)兼陸大教官、参謀本部課長、歩兵第45連隊長、教育総監部第1課長などを経て、1938年7月、陸軍少将に進級。教育総監部第1部長、参謀本部総務部長などを歴任し、1941年3月、陸軍中将となった。1941年4月1日から1945年4月1日まで、第6師団長となる。
太平洋戦争には、第6師団長として出征、ブーゲンビル島の戦いに従軍。1945年4月、第17軍司令官となり、終戦を迎えた。
1947年3月に復員したが、BC級戦犯容疑により起訴された。1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[1]。同年11月、禁固14年の判決を受け、1952年8月に釈放された。
1965年10月24日、ソロモン群島方面よりの帰還兵で構成される戦友会設立にて、全国第17軍ソロモン会(現:全国ソロモン会)初代会長に就任。戦没者の慰霊事業と遺骨収集に尽力した。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[2]
- 外国勲章佩用允許