岡本鎮臣
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岡本 鎮臣 | |
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生誕 |
1888年10月1日 日本 熊本県 |
死没 | 1962年11月22日(74歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1910年 - 1941年 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
岡本 鎮臣(おかもと しずおみ、1888年(明治21年)10月1日[1] - 1962年(昭和37年)11月22日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]
経歴
[編集]1888年(明治21年)に熊本県で生まれた[1]。陸軍士官学校第22期、陸軍大学校第35期卒業[1]。1935年(昭和10年)3月15日に陸軍歩兵大佐進級と同時に和歌山連隊区司令官に着任[2]。1937年(昭和12年)3月の歩兵第23連隊長(第1軍・第6師団・歩兵第36旅団)に転じ[2]、日中戦争に出動[1]。保定会戦の激戦を戦い抜き[1]、石家荘会戦にも参加[1]。その後第10軍隷下に編入され[1]、華南に進出[1]。杭州湾上陸作戦、南京戦、広州での掃討戦で大なる戦果を収めた[1]。1938年(昭和13年)5月14日に留守第6師団司令部附となった[2]。
同年7月15日に陸軍少将に進級し[2]、1939年(昭和14年)12月に歩兵第21旅団長(第2軍・第5師団)に就任し[1]、中国戦線に復帰[1]。賓陽作戦、江南作戦に参加したが[1]、第5師団の仏印進駐前の1940年(昭和15年)10月15日に留守第5師団司令部附となった[1]。1941年(昭和16年)3月1日に待命[2]、3月31日に予備役に編入された[1]。1945年(昭和20年)3月31日に召集され、京城陸軍兵事部長兼京城地区司令官に就任した[3]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。