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岡本鎮臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岡本 鎮臣
生誕 1888年10月1日
日本の旗 日本 熊本県
死没 (1962-11-22) 1962年11月22日(74歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1910年 - 1941年
1945年
最終階級 陸軍少将
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岡本 鎮臣(おかもと しずおみ、1888年明治21年)10月1日[1] - 1962年昭和37年)11月22日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]

経歴

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1888年(明治21年)に熊本県で生まれた[1]陸軍士官学校第22期、陸軍大学校第35期卒業[1]1935年(昭和10年)3月15日陸軍歩兵大佐進級と同時に和歌山連隊区司令官に着任[2]1937年(昭和12年)3月の歩兵第23連隊長(第1軍第6師団・歩兵第36旅団)に転じ[2]日中戦争に出動[1]保定会戦の激戦を戦い抜き[1]石家荘会戦にも参加[1]。その後第10軍隷下に編入され[1]、華南に進出[1]。杭州湾上陸作戦、南京戦広州での掃討戦で大なる戦果を収めた[1]1938年(昭和13年)5月14日留守第6師団司令部附となった[2]

同年7月15日に陸軍少将に進級し[2]1939年(昭和14年)12月に歩兵第21旅団長(第2軍第5師団)に就任し[1]、中国戦線に復帰[1]賓陽作戦江南作戦に参加したが[1]、第5師団の仏印進駐前の1940年(昭和15年)10月15日留守第5師団司令部附となった[1]1941年(昭和16年)3月1日に待命[2]3月31日予備役に編入された[1]1945年(昭和20年)3月31日に召集され、京城陸軍兵事部長兼京城地区司令官に就任した[3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

栄典

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勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 福川 2001, 175頁.
  2. ^ a b c d e f 外山 1981, 283頁.
  3. ^ 第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120937900 
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」123頁。
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026