青津喜久太郎
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青津 喜久太郎 | |
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生誕 |
1897年8月9日 日本 岡山県 |
死没 | 1947年4月6日(49歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1919年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
青津 喜久太郎(あおづ きくたろう、1897年(明治30年)8月9日[1] - 1947年(昭和22年)4月6日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴・人物
[編集]岡山県出身[1][2]。1919年(大正8年)5月に陸軍士官学校第31期卒業[1][2]。同年12月に陸軍歩兵少尉に任官[3]。1924年(大正13年)陸軍大学校に入学し、1927年(昭和2年)同校第39期卒業[1][2]。
1939年(昭和14年)10月に第24師団参謀長を経て、翌年の1940年(昭和15年)3月に陸軍歩兵大佐に進級[2]。さらに、同年10月に陸軍大学校教官に転じる[2]。
大東亜戦争に入り、1941年(昭和16年)7月に第5軍高級参謀を経て、1942年(昭和17年)11月に第18軍高級参謀に転じ、出征[1][2]。ついで、1943年(昭和18年)7月に第51師団参謀長に任官し、1944年(昭和19年)3月に陸軍少将に進み、同年9月に第41歩兵団長(第41師団)に補任され、終戦までニューギニア戦線で悪戦苦闘を続けた[1][2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。