倉橋尚
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倉橋 尚 | |
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生誕 |
1890年9月11日 日本 富山県 |
死没 | 1976年9月2日(85歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
倉橋 尚(くらはし ひさし[1]、1890年(明治23年)9月11日[2] - 1976年(昭和51年)9月2日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1890年(明治23年)に富山県で生まれた[2]。陸軍士官学校第24期卒業[3]。1939年(昭和14年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に第22師団兵器部長に着任[1]。1940年(昭和15年)3月に歩兵第60連隊長(第13軍・第15師団・第15歩兵団)に就任し[1]、南京の警備に任じた[2]。1943年(昭和18年)3月に第77師団司令部附となり[1]、北海道帝国大学に配属された[1]。
1945年(昭和20年)5月8日に海上機動第3旅団長(第5方面軍)[4]に就任し[1]、千島列島の守備に就いたが[5]、第57軍(第2総軍・第16方面軍)への転用が決定し[5]、鹿児島県指宿に司令部を置き[5]、6月1日に独立混成第125旅団長に就任した[2]。同年6月10日に陸軍少将進級[1]。同旅団は第40軍隷下に編入され[4][5]、指揮下の独立重砲兵第44大隊が保有する15cmカノン砲8門などの重火力編制を活かし[4]、米軍の吹上浜への上陸に備えると共に[4]、鹿児島湾の閉塞に任じた[4]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 藤井非三四 著『知られざる兵団 帝国陸軍独立混成旅団史』国書刊行会、2020年。ISBN 4336065977。