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倉橋尚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
倉橋 尚
生誕 1890年9月11日
日本の旗 日本 富山県
死没 (1976-09-02) 1976年9月2日(85歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1912年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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倉橋 尚(くらはし ひさし[1]1890年明治23年)9月11日[2] - 1976年昭和51年)9月2日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

経歴

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1890年(明治23年)に富山県で生まれた[2]陸軍士官学校第24期卒業[3]1939年(昭和14年)8月1日陸軍歩兵大佐進級と同時に第22師団兵器部長に着任[1]1940年(昭和15年)3月に歩兵第60連隊長(第13軍第15師団・第15歩兵団)に就任し[1]南京の警備に任じた[2]1943年(昭和18年)3月に第77師団司令部附となり[1]北海道帝国大学に配属された[1]

1945年(昭和20年)5月8日海上機動第3旅団長(第5方面軍[4]に就任し[1]千島列島の守備に就いたが[5]第57軍第2総軍第16方面軍)への転用が決定し[5]鹿児島県指宿に司令部を置き[5]6月1日に独立混成第125旅団長に就任した[2]。同年6月10日に陸軍少将進級[1]。同旅団は第40軍隷下に編入され[4][5]、指揮下の独立重砲兵第44大隊が保有する15cmカノン砲8門などの重火力編制を活かし[4]、米軍の吹上浜への上陸に備えると共に[4]鹿児島湾の閉塞に任じた[4]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 外山 1981, 325頁.
  2. ^ a b c d e 福川 2001, 281頁.
  3. ^ 福川 2001, 282頁.
  4. ^ a b c d e 藤井 2020, 197頁.
  5. ^ a b c d 藤井 2020, 196頁.
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」54頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 
  • 藤井非三四 著『知られざる兵団 帝国陸軍独立混成旅団史』国書刊行会、2020年。ISBN 4336065977