松井節
表示
松井 節 | |
---|---|
生誕 |
1887年5月17日 日本 島根県 |
死没 | 1970年5月17日(83歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1909年 - 1944年 1944年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
松井 節(まつい せつ、1887年(明治20年)5月17日[1] - 1970年(昭和45年)5月17日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴
[編集]1887年(明治20年)に島根県で生まれた[1]。陸軍士官学校第21期卒業[1]。1936年(昭和11年)12月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に歩兵第36連隊留守隊長に着任し[2]、1937年(昭和12年)9月に歩兵第136連隊長(北支那方面軍・第109師団・歩兵第118旅団)に就任して日中戦争に出動[1][2]。太原で治安維持に任じ[1]、河北戡定作戦、晋南粛清戦、南部・北部の山西軍討伐、五台作戦、潞安での掃討戦など歴戦し[1]、1939年(昭和14年)12月に留守第4師団司令部附となった[2]。
1940年(昭和15年)3月に陸軍少将に進級し[2]、1941年(昭和16年)3月に第24歩兵団長(第5軍・第24師団[3][4])に就任して[1]、1942年(昭和17年)7月に留守第51師団兵務部長に転じた[1]。1944年(昭和19年)3月1日に待命[5]、3月2日に予備役に編入された[1]。同年4月22日に召集され第10野戦補充隊長に着任[1]。1945年(昭和20年)2月1日に湖北省応城で編制された独立混成第85旅団[6](支那派遣軍・第6方面軍)の旅団長に2月20日に着任し[1]、同地で終戦を迎えた[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 藤井非三四 著『知られざる兵団 帝国陸軍独立混成旅団史』国書刊行会、2020年。ISBN 4336065977。