小倉達次
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小倉 達次 | |
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生誕 |
1888年9月19日 日本 東京府 |
死没 | 1970年9月11日(81歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1910 - 1945 |
最終階級 | 陸軍中将 |
小倉 達次(おぐら たつじ、1888年9月19日 - 1970年9月11日)は、日本の陸軍軍人、陸軍中将。東京都出身。陸士22期。1944年5月17日・勲一等瑞宝章。
経歴
[編集]駐蒙軍の情報担当として活躍し、太平洋戦争開戦後の昭和19年には新設された第84師団の師団長に補され、末期にはやはり新設の第131師団の師団長として粤漢鉄道沿線の警備に当たった。
年譜
[編集]- 1910年(明治43年)5月28日 陸軍士官学校卒業
- 1910年(明治43年)12月26日 陸軍少尉
- 1936年(昭和11年)3月7日 騎兵第15連隊長
- 1936年(昭和11年)8月1日 陸軍騎兵大佐
- 1938年(昭和13年)8月10日 留守第1師団司令部附
- 1939年(昭和14年)3月20日 綏遠特務機関長
- 1940年(昭和15年)3月9日 陸軍少将・騎兵第4旅団長
- 1943年(昭和18年)8月3日 駐蒙軍情報部厚和支部長
- 1944年(昭和19年)3月1日 陸軍中将・留守第54師団長
- 1944年(昭和19年)7月8日 第84師団長
- 1945年(昭和20年)2月20日 第131師団長
- 1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[1]。
栄典
[編集]- 1911年(明治44年)3月10日 - 正八位[2]
- 1914年(大正3年)2月10日 - 従七位[3]
- 1919年(大正8年)3月20日 - 正七位[4]
- 1924年(大正13年)5月15日 - 従六位[5]