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第84師団 (日本軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第84師団
創設 1944年(昭和19年)7月6日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 大日本帝国の旗 大日本帝国
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務 歩兵
所在地 姫路-小田原
編成地 姫路
通称号/略称 突(とつ)
補充担任 大阪師管大阪師管区
最終上級単位 第53軍
最終位置 神奈川県 小田原
戦歴 太平洋戦争
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第84師団(だいはちじゅうよんしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。

沿革

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1944年(昭和19年)7月、留守第54師団の一部を基幹として姫路で編成され[1]中部軍に編入。同年末、沖縄から第9師団台湾に転出するため、その補充として第84師団を沖縄に派遣することが検討されたが、大本営は本土防衛を重視し派遣を中止した。

1945年(昭和20年)4月、第84師団は第53軍に属し小田原、沼津国府津付近に展開し、本土決戦に備えて防禦を固めていたが、戦闘を交えることなく終戦を迎えた。同年9月25日に復員した。

師団概要

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歴代師団長

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参謀長

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  • 杉本和二郎 大佐:1944年(昭和19年)7月8日 - 終戦[4]

最終司令部構成

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  • 参謀長:杉本和二郎大佐
    • 参謀:田坂盛夫少佐
    • 参謀:梶田倫正少佐

最終所属部隊

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  • 歩兵第199連隊(姫路):栗栖晉大佐
  • 歩兵第200連隊(姫路):川上芳雄大佐
  • 歩兵第201連隊(姫路):松本鹿太郎大佐
  • 野砲兵第84連隊:川崎盛利大佐
  • 工兵第84連隊:釜付敬二少佐
  • 輜重兵第84連隊():小林吉二大佐
  • 第84師団速射砲隊:川崎平吾少佐
  • 第84師団通信隊:小河原郁文大尉
  • 第84師団兵器勤務隊
  • 第84師団衛生隊
  • 第84師団第1野戦病院
  • 第84師団第4野戦病院
  • 第84師団制毒隊
  • 第84師団病馬廠

脚注

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  1. ^ 戦史叢書『陸軍軍戦備』、431頁。
  2. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』279頁。
  3. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』278頁。
  4. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』412頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 防衛庁防衛研修所戦史部『陸軍軍戦備』(戦史叢書)、朝雲新聞社、1979年。
  • 別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。

関連項目

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