第4飛行師団 (日本軍)
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第4飛行師団 | |
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創設 | 1942年(昭和17年)4月15日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 航空作戦 |
所在地 | 満州-フィリピン |
通称号/略称 | 翼(つばさ) |
最終上級単位 | 第14方面軍 |
担当地域 | 満州-フィリピン |
最終位置 | フィリピン、サンチキゴ |
戦歴 | 太平洋戦争 |
第4飛行師団(だいよんひこうしだん)は、日本陸軍の航空師団の一つ。前身は1942年に創設された第4飛行集団で、同年に第4飛行師団に改称されたものである。
沿革
[編集]第4飛行集団は1942年2月に編成され満州の防衛を担当した。同年4月、第4飛行師団と改称。
太平洋戦争末にフィリピンに転じ、保有航空機のほとんどを第2飛行師団に移管し、基地管理の任務に特化した師団となった。その後、地上での持久戦を継続して終戦を迎えた。
師団概要
[編集]- 司令部通称号:翼11601
歴代師団長
[編集]第4飛行集団長
[編集]- 下山琢磨 中将:1942年2月2日 - 1942年4月15日
第4飛行師団長
[編集]- 下山琢磨 中将:1942年4月15日 - 1943年5月19日[1]
- 阪口芳太郎 中将:1943年5月19日 - 1944年3月22日[1]
- 木下勇 中将:1944年3月22日 - 1944年10月21日[2]
- 三上喜三 中将:1944年10月21日 - 終戦[2]
歴代参謀長
[編集]第4飛行集団参謀長
[編集]- 松沢恭平 大佐:1942年2月2日 - 1942年4月15日
第4飛行師団参謀長
[編集]最終司令部構成
[編集]- 参謀長:猿渡篤孝大佐
- 参謀:前島美佐男中佐
- 参謀:辻秀雄少佐
- 高級副官:瀧本美代治中佐
- 兵器部長:楠二郎中佐
- 経理部長:伊藤栄八主計大佐
- 軍医部長:馬場武軍医大佐
最終所属部隊
[編集]- 戦闘部隊
- 独立飛行第52中隊(軍偵):手島丈夫少佐
- 飛行場部隊
- 第6航空地区司令部(ネグロス島):弓削伊三郎大佐
- 第10航空地区司令部(クラーク):江口清助大佐
- 第13航空地区司令部(ダバオ):細野光武中佐
- 第31航空地区司令部(カガヤン):清水茂中佐
- 第33航空地区司令部(リバ):戸根木亀之助大佐
- 第34航空地区司令部:新田正義大佐
- 第36航空地区司令部:若月金丸大佐
- 第8飛行場大隊:石黒寛少佐
- 第12飛行場大隊:井手継人少佐
- 第14飛行場大隊:島村吉太郎少佐
- 第26飛行場大隊:仲沢忠男少佐
- 第31飛行場大隊:樋口次三郎少佐
- 第32飛行場大隊:渡辺敬少佐
- 第33飛行場大隊:平山彦助少佐
- 第37飛行場大隊:牟田和惣少佐
- 第98飛行場大隊:荒木隆少佐
- 第99飛行場大隊:飯田英夫大尉
- 第102飛行場大隊:中川円二少佐
- 第103飛行場大隊:鈴木俊三少佐
- 第114飛行場大隊:南田多治郎少佐
- 第123飛行場大隊:小見山文蔵少佐
- 第124飛行場大隊:竹内馨少佐
- 第125飛行場大隊:天野順司少佐
- 第126飛行場大隊
- 第127飛行場大隊:楠田武治少佐
- 第136飛行場大隊:加瀬良一大尉
- 第137飛行場大隊:星野喜松少佐
- 第150飛行場大隊:嘉瀬井正一大尉
- 第151飛行場大隊:斎藤武雄少佐
- 第152飛行場大隊:仲田礼治少佐
- 第153飛行場大隊:渡辺吉蔵少佐
- 第154飛行場大隊:山下武男少佐
- 第3野戦飛行場設定司令部(ダバオ):阿部修一大佐
- 第5野戦飛行場設定司令部:川本喜蔵大佐
- 第24野戦飛行場設営隊:興井作太郎少佐
- 第125野戦飛行場設営隊:戸田与右衛門少佐
- 第126野戦飛行場設営隊:高野佳雄少佐
- 第127野戦飛行場設営隊:安本晃少佐
- 第134野戦飛行場設営隊:奥村国三少佐
- 第135野戦飛行場設営隊:岩佐緑少佐
- 第138野戦飛行場設営隊:植田武男大尉
- 第140野戦飛行場設営隊:村上秀策少佐
- 通信関連部隊
- 第22野戦気象観測隊:佐野年久少佐
- 整備・補給関連部隊
- 第7野戦航空補給廠:武内与作少佐