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第120師団 (日本軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第120師団
創設 1944年(昭和19年)11月21日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 大日本帝国の旗 大日本帝国
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務 歩兵
所在地 満州-京城
編成地 満州
通称号/略称 邁進
補充担任 善通寺師管善通寺師管区
最終上級単位 第17方面軍
最終位置 京城
戦歴 太平洋戦争
(ソ連対日参戦)
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第120師団(だいひゃくにじゅうしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。

沿革

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1944年(昭和19年)7月、第12師団満州から台湾に転用されたため、東寧において第12師団の残留者を基幹に第120師団が編成された。同年12月末に編成が完了し第3軍に編入。満州東部の警備と治安維持に当る。

1945年(昭和20年)3月、満州から朝鮮半島南部に転用され、第17方面軍隷下となり、慶山司令部を置き、釜山大邱方面の防衛を担当した。同年8月9日、ソ連軍の対日参戦(ソ連対日参戦)に伴い、師団主力は京城に、歩兵第261連隊は平壌に移動したが、戦闘を交えることなく終戦を迎えた。

師団概要

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歴代師団長

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参謀長

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  • 三原七郎 大佐:1944年(昭和19年)11月27日 - 1945年7月26日[2]
  • 中西満洲次郎 中佐:1945年(昭和20年)7月26日 - 終戦[3]

最終司令部構成

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  • 参謀長:中西満洲次郎中佐
    • 参謀:渋谷三千雄少佐

最終所属部隊

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  • 歩兵第259連隊(丸亀):本 繁久大佐
  • 歩兵第260連隊(徳島):橋本孝一大佐
  • 歩兵第261連隊(高知):大西角一大佐
  • 第120師団砲兵隊:三原光雄少佐
  • 第120師団工兵隊:
  • 第120師団通信隊:
  • 第120師団輜重隊:

脚注

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  1. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』267頁。
  2. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』464頁。
  3. ^ 『帝国陸軍編制総覧』1229頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。

関連項目

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