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第139師団 (日本軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第139師団
創設 1945年(昭和20年)7月10日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務 歩兵
所在地 満洲
編成地 満洲 吉林省
通称号/略称 不屈
補充担任 関東軍管区
最終上級単位 第1方面軍
最終位置 満洲 敦化
戦歴 太平洋戦争
(ソ連対日参戦)
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第139師団(だいひゃくさんじゅうきゅうしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。

沿革

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1945年(昭和20年)に入り、関東軍は南方へ兵力の過半数を引き抜かれていたが満洲居留邦人15万名、在郷軍人25万名を「根こそぎ動員」、さらに中国戦線から4個歩兵師団を戻してなんとか74万人の兵員を調達した。さらに以前関東軍特種演習により本土から輸送させた戦車200輌、航空機200機、火砲1000門も健在であった。

しかし兵員の半数以上は訓練不足、日ソ中立条約違反を想定していなかった関東軍首脳部の混乱、物質不足(砲弾は約1200発ほどで、航空部隊のほとんどが戦闘未経験者。また小銃が行き渡らない兵士だけでも10万名以上)のため事実上の戦力は30万名程度だったといわれている。

同年7月、第135師団は「根こそぎ動員」の際に満洲で召集された邦人男子と、第77兵站警備隊、第79兵站警備隊、第80兵站警備隊を基幹に吉林省で編成された。7月末に編成が完了し第1方面軍に編入され、敦化で陣地構築を実施した。同年8月9日のソ連対日参戦以後、敦化でソ連軍の侵攻に備えていたが停戦となり、8月28日までに武装解除された。

第139師団は、同年7月の「根こそぎ動員」の際に編成された師団の一つである。同時に第134第135第136第137第138第148第149師団が編成された。

師団概要

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歴代師団長

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  • 富永恭次 予備役中将:1945年(昭和20年)7月16日 - 終戦 [1]

参謀長

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  • 松岡義一 中佐:1945年(昭和20年)7月16日 - 終戦[2]

最終司令部構成

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  • 参謀長:松岡義一中佐

最終所属部隊

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  • 歩兵第380連隊(満洲):大沢侃次郎大佐
  • 歩兵第381連隊(満洲):片山敬吉大佐
  • 歩兵第382連隊(満洲):遠藤三郎大佐
  • 砲兵第139連隊
  • 工兵第139連隊
  • 輜重兵第139連隊
  • 第139師団挺進大隊
  • 第139師団通信隊
  • 第139師団兵器勤務隊
  • 第139師団病馬廠

脚注

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  1. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』330頁。
  2. ^ 『帝国陸軍編制総覧』1214頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。

関連項目

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