高射第1師団 (日本軍)
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高射第1師団 | |
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創設 | 1944年(昭和19年)12月22日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵科 | 砲兵 |
所在地 | 東京 |
編成地 | 東京 |
通称号/略称 | 晴 |
補充担任 | 東京師管・東京師管区 |
最終上級単位 | 第12方面軍 |
担当地域 | 京浜地方を主とする本州東部 |
最終位置 | 東京上野 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
高射第1師団(こうしゃだいいちしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。東部高射砲集団を改編して創設された。
沿革
[編集]1944年12月、主として京浜地方を主とする政治、経済、軍需の中枢を防衛するため編成された。B-29の日本本土空襲に対応して、各地に展開した。
1944年11月からのB-29による関東地区の軍事工場などに対する高々度精密爆撃に対しては、九九式八糎高射砲では射撃高度が不足したため、三式12cm高射砲が導入された。1945年5月に、司令部を代官山から上野の東京科学博物館本館(現国立科学博物館日本館)へ移転した。
1945年6月ころから、米軍の空襲が地方都市に移ったことに対応するため、一部の自動車化を行った。7月には、宇都宮、前橋、高崎への空襲を想定して、部隊の配備を実施した。
1945年7月、東京の久我山高射砲陣地に五式十五糎高射砲が配備され、B-29の空襲に備えた。
師団概要
[編集]歴代師団長
[編集]参謀長
[編集]- 斎藤寿恵雄 大佐:1944年(昭和19年)12月23日 - 終戦[2]
司令部構成
[編集]- 参謀長:斎藤寿恵雄大佐
- 参謀:鈴木実次中佐
- 参謀:山本悦男少佐
- 参謀:倉橋一次少佐
- 高級副官:中元寛中佐
- 兵器部長:佐野四郎大佐
所属部隊
[編集]- 臨時衛生隊:太田房吉軍医少佐
- 高射砲第111連隊(安行村):武田文雄大佐
- 高射砲第112連隊(世田谷):大島知義中佐
- 高射砲第113連隊(川崎):都築晋大佐
- 高射砲第114連隊(月島):西野貞光大佐
- 高射砲第115連隊(市川):伏屋宏大佐
- 高射砲第116連隊(板橋):谷口正三郎大佐
- 高射砲第117連隊(横浜):樋口忠治中佐
- 高射砲第118連隊(後楽園):栗田逞治中佐
- 高射砲第119連隊(市川):水野縫一少佐
- 独立高射砲第2大隊(立川):中野唯一少佐
- 独立高射砲第3大隊(国府台):栗田正忠中佐
- 独立高射砲第4大隊(太田):渡辺正吾少佐
- 独立高射砲第44大隊(大垣):隈本茂少佐
- 独立高射砲第49大隊(福生):鈴木光太郎少佐
- 独立高射砲第50大隊:粟屋武少佐
- 野戦高射砲第95大隊(大宮):鈴木三七一少佐
- 野戦高射砲第96大隊
- 機関砲第1大隊:西辻勝三少佐
- 機関砲第4大隊(川崎):高木学大尉
- 独立機関砲第1大隊(四谷):桑田一少佐
- 照空第1連隊(八王子):池田赳夫大佐
- 独立照空第1大隊(上尾):中島良象少佐
- 第1要地気球隊:百田明福大尉
- 第101要地気球隊:佐藤正一大尉
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。