戦車第3師団 (日本軍)
表示
戦車第3師団 | |
---|---|
1944年12月、中国北部にて大陸打通作戦に参加した第3師団の九七式中戦車(新砲塔チハ) | |
創設 | 1942年(昭和17年)6月24日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵科 | 機甲兵 |
兵種/任務 | 機甲師団 |
所在地 | 北支 |
編成地 | 内蒙古 包頭 |
通称号/略称 | 滝 |
補充担任 | 習志野 |
最終上級単位 | 第12軍 |
最終位置 | 北京 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
戦車第3師団(せんしゃだいさんしだん)は、大日本帝国陸軍の機甲師団の一つ。当初4個戦車連隊、1個機動歩兵連隊、1個機動砲兵連隊などの部隊で構成された。
沿革
[編集]- 1942年(昭和17年)6月 - 駐蒙の騎兵集団を改編して中国戦線で編成された。北支那方面軍の駐蒙軍に属した。
- 1944年(昭和19年)4月 - 北支那方面軍の第12軍に編入された。大陸打通作戦に参加する。
- 1944年(昭和19年)7月 - 戦車第6旅団が湘桂作戦に参加する。
- 1945年(昭和20年)3月 - 老河口作戦に参加する。
師団概要
[編集]歴代師団長
[編集]参謀長
[編集]- 渡部富士雄 大佐:1942年(昭和17年)12月1日 - 1943年8月2日[3]
- 橋本通義 大佐:1943年(昭和18年)8月2日[4] - 1944年11月15日[5]
- 向田宗彦 大佐:1944年(昭和19年)11月22日 - 終戦[6]
所属部隊
[編集]
創設時[編集] |
最終所属部隊[編集]
|
脚注
[編集]- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』328頁。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』335頁。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』430-431頁。
- ^ 『帝国陸軍編制総覧』989頁。
- ^ 「第239号 昭和19年11月16日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120925500
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』450頁。
参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 原剛・安岡昭男編『日本陸海軍事典コンパクト版(上)』新人物往来社、2003年。