第128師団 (日本軍)
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第128師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)1月16日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
所在地 | 満州 |
編成地 | 満州 |
通称号/略称 | 英武 |
補充担任 | 金沢師管・金沢師管区 |
最終上級単位 | 第3軍 |
最終位置 | 満州 樺皮旬子 |
戦歴 |
太平洋戦争 (ソ連対日参戦) |
第128師団(だいひゃくにじゅうはちしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。
沿革
[編集]太平洋戦争末期、多くの師団が満州から南方などに転用されたことに伴い、満州防衛強化を目的として1945年(昭和20年)1月16日に軍令陸甲下令により、第121・第122・第123・第124・第125・第126・第127・第128師団の8個師団の編成が発令された。
第128師団は、朝鮮半島へ転出した第120師団の残留者を基幹に、第1国境守備隊、第2国境守備隊、第11国境守備隊の一部を加えて編成され、4月10日に牡丹江省で編成を完了し第3軍に編入された。その後、独立混成第132旅団が指揮下に入り、第128師団主力は羅子溝付近に所在し、ソ連対日参戦を迎えた。
1945年8月13日から14日にかけて、ソ連軍は羅子溝の陣地に猛攻撃を加えた。第128師団は支えきれず羅子溝西方の樺皮旬子の陣地に後退し、その地で停戦となった。
師団概要
[編集]歴代師団長
[編集]参謀長
[編集]- 石橋忠雄 中佐:1945年(昭和20年)1月25日 - 終戦[3]
最終司令部構成
[編集]- 参謀長:石橋忠雄大佐
- 参謀:下川久少佐
最終所属部隊
[編集]- 歩兵第283連隊(金沢):石丸繁雄大佐
- 歩兵第284連隊(富山):松吉赳夫大佐
- 歩兵第285連隊(富山):阿久刀川赳夫大佐
- 野砲兵第128連隊:勝又文雄少佐
- 第128師団挺進大隊
- 第128師団通信隊
- 第128師団工兵隊
- 第128師団輜重隊
脚注
[編集]- ^ 「第14号 昭和20年1月21日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120931700
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』256頁。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』454頁。
参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。