コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

第46師団 (日本軍)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第46師団
創設 1943年(昭和18年)5月14日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務 歩兵
所在地 熊本-小スンダ列島-マレー半島
編成地 熊本
通称号/略称 静(せい)
補充担任 熊本師管区
最終上級単位 第7方面軍
最終位置 マレー半島 クルアン
戦歴 太平洋戦争
テンプレートを表示

第46師団(だいよんじゅうろくしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。

沿革

[編集]

1943年(昭和18年)5月、本土防衛強化のため第42師団第43師団、第46師団、第47師団の新設が命じられた。第46師団は、5月14日留守第6師団と独立第66歩兵団を基幹に熊本で編成され、西部軍に属した。

1943年10月に南方への転出が命ぜられ、所属の歩兵第123連隊ジャワ島東部の小スンダ列島スンバワ島に上陸し、二ヶ月後には歩兵第147連隊がスンバワ島に上陸した。残りの歩兵第145連隊は、輸送船の関係で進出することができず、1944年(昭和19年)6月、硫黄島の小笠原兵団に配属され硫黄島の戦いに参戦し全滅した。

師団主力は、1945年(昭和20年)4月、スンバワ島からマレー半島警備に転用されたが、大きな戦闘を交えることもなく終戦を迎えた。

師団概要

[編集]

歴代師団長

[編集]
  • 萱嶋高 中将:1943年(昭和18年)6月10日 - 1943年10月15日[1]
  • 若松只一 中将:1943年(昭和18年)10月15日 - 1944年11月14日[2]
  • 国分新七郎 中将:1944年(昭和19年)11月14日 - 終戦[3]

参謀長

[編集]
  • 吉武秀人 大佐:1943年(昭和18年)6月10日 - 1943年10月29日[4]
  • 内野宇一 大佐:1943年(昭和18年)10月29日[5] - 1945年4月7日
  • 迫田三夫 中佐:1945年(昭和20年)4月7日 - 1945年4月26日戦死[6]
  • 新開栄作 大佐:1945年(昭和20年)5月5日 - 終戦[7]

最終司令部構成

[編集]
  • 参謀長:新関栄作大佐
    • 参謀:馬杉一雄中佐
    • 参謀:山本立夫少佐
    • 参謀:江見秀明少佐
  • 高級副官:土屋正徳中佐

最終所属部隊

[編集]
  • 歩兵第123連隊(熊本):中條豊馬大佐
  • 歩兵第147連隊(都城):西蓮寺元大佐
  • 第46師団戦車隊:松永美尚少佐
  • 第46師団通信隊:原田孫介大尉
  • 第46師団輜重隊:有馬安成大尉
  • 第46師団兵器勤務隊:阿万哲雄少佐
  • 第46師団経理勤務部:三ツ森文一主計中佐
  • 第46師団野戦病院:田中平吉軍医大佐

脚注

[編集]
  1. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』277頁。
  2. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』349頁。
  3. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』389頁。
  4. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』381頁。
  5. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』441頁。
  6. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』473頁。
  7. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』445頁。

参考文献

[編集]
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 別冊歴史読本 戦記シリーズNo.32 太平洋戦争師団戦史』、新人物往来社、1996年。

関連項目

[編集]