第202師団 (日本軍)
表示
第202師団 | |
---|---|
創設 | 1945年(昭和20年)4月2日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
人員 | 約20,000名 |
所在地 | 仙台-群馬 |
編成地 | 仙台 |
通称号/略称 | 青葉 |
補充担任 | 仙台師管区 |
最終上級単位 | 第36軍 |
最終位置 | 群馬県 高崎 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
第202師団(だいにひゃくにしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。
太平洋戦争の末期、1945年(昭和20年)1月20日に帝国陸海軍作戦計画大綱が策定された結果、本土決戦に備えるべく急造が決定した54個師団の一つであり、1945年の第二次兵備の一環として4月2日に編成された8個の機動打撃師団の一つである。
沿革
[編集]第202師団は、1945年(昭和20年)4月2日に仙台で編成、第36軍戦闘序列に編入、群馬県高崎に在って連合国軍の関東上陸作戦に備えていたが、連合国軍の関東上陸は無く当地で終戦を迎えた。
日本の師団は数字が小さいほど精鋭とも言える部隊であり(設立時の年代が古い)、第202師団の戦力は低かった
師団概要
[編集]歴代師団長
[編集]参謀
[編集]- 栗城時男 中佐:1945年(昭和20年)4月23日 - 終戦[1]
最終所属部隊
[編集]- 歩兵第504連隊(仙台):菅野善吉中佐
- 歩兵第505連隊(若松):中山左武郎中佐
- 歩兵第506連隊(山形):工藤鉄太郎中佐
- 野砲兵第202連隊:斎藤武少佐
- 迫撃第202連隊:楢崎五郎中佐
- 第202師団速射砲隊:浜田信太郎少佐
- 第202師団機関砲隊:平田孝太郎大尉
- 第202師団工兵隊:宮瀬泰少佐
- 第202師団輜重隊:沢田熊衛少佐
- 第202師団通信隊:池田照彦少佐
- 第202師団兵器勤務隊:本田熊次大尉
- 第202師団第4野戦病院: 高橋伊一郎軍医少佐
脚注
[編集]- ^ 『帝国陸軍編制総覧』1115頁。
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。