第142師団 (日本軍)
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第142師団 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)2月28日 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務 | 歩兵 |
人員 | 約10,000名 |
所在地 | 仙台-吉岡 |
編成地 | 仙台 |
通称号/略称 | 護仙 |
補充担任 | 仙台師管・仙台師管区 |
最終上級単位 | 第11方面軍 |
最終位置 | 宮城県 吉岡 |
戦歴 | 太平洋戦争 |
第142師団(だいひゃくよんじゅうにしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。
太平洋戦争の末期、1945年(昭和20年)1月20日に帝国陸海軍作戦計画大綱が策定された結果、本土決戦に備えるべく急造が決定した54個師団の一つであり、そのうちの第一次兵備として2月28日に編成が命じられた16個の沿岸配備師団の一つである。
沿革
[編集]第142師団は、仙台で編成され、第11方面軍の戦闘序列に編入された。宮城県黒川郡吉岡町に在って仙台湾・石巻湾沿岸の防衛を任務とし、沿岸配備師団として防衛陣地構築等本土決戦に備えるなかで終戦を迎えた。
師団概要
[編集]歴代師団長
[編集]参謀長
[編集]- 山之口甫 中佐:1945年(昭和20年)4月1日 - 終戦[2]
最終所属部隊
[編集]- 歩兵第405連隊(仙台):平沢喜一大佐
- 歩兵第406連隊(山形):太田軍蔵大佐
- 歩兵第407連隊(若松):坂元宗治郎大佐
- 歩兵第408連隊(仙台):鈴木忠大佐
- 第142師団速射砲隊
- 第142師団噴進砲隊
- 第142師団輜重隊
- 第142師団通信隊
- 第142師団兵器勤務隊
- 第142師団野戦病院
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。