コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

小田原市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おだわらし ウィキデータを編集
小田原市
小田原市旗 小田原市章
小田原市旗 小田原市章
1941年6月26日制定
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
市町村コード 14206-9
法人番号 1000020142069 ウィキデータを編集
面積 113.60km2
総人口 185,869[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 1,636人/km2
隣接自治体 南足柄市中郡二宮町足柄上郡大井町開成町中井町足柄下郡箱根町真鶴町湯河原町
市の木 クロマツ
市の花 ウメ
他のシンボル 市の鳥:コアジサシ
市の魚:メダカアジ
小田原市役所
市長 加藤憲一
所在地 250-8555
神奈川県小田原市荻窪300番地
北緯35度15分53秒 東経139度09分08秒 / 北緯35.26461度 東経139.15222度 / 35.26461; 139.15222座標: 北緯35度15分53秒 東経139度09分08秒 / 北緯35.26461度 東経139.15222度 / 35.26461; 139.15222
小田原市役所庁舎
小田原市役所庁舎

地図
市庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

小田原市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

特記事項 (市域が令和3年1月1日より113.60km²に変更)
ウィキプロジェクト

小田原市(おだわらし)は、神奈川県の西部に位置する施行時特例市に指定されている。[1]

人口は約19万人。

概要

[編集]

関東地方の南西端に位置し、戦国時代には後北条氏城下町として栄えた。また、北条早雲から北条氏直まで北条五代の隆盛を影で支えたという風魔忍者の里である。江戸時代には小田原藩の城下町、東海道小田原宿宿場町として盛えた。箱根峠より東側の宿場町として、現在も箱根観光の拠点都市である。1876年(明治9年)4月17日までは、現在の神奈川県西部と静岡県伊豆半島を範囲とする足柄県の県庁所在地でもあった。西湘地域の中心的な都市である。

小田原提灯かまぼこオシツケ等の特産地として全国的に有名である。最近では小田原バーガー小田原どん、かまぼこドッグ、スミヤキオリーブを販売している。

バブル期には東京ベッドタウン化したとも言われたが、バブル崩壊後の長期不況や都心回帰による遠距離通勤の減少などもあって、人口動態が減少に転じた。一時は20万人を超えた人口も20万を割り込み、新幹線通勤定期代に対する補助制度を設けるなど人口確保のための政策を実施している(ただし、2008年(平成20年)3月31日までに転入した対象者をもって新規受付は終了)。また駅周辺の再開発、および郊外での住宅、都市開発も少しずつ進んでいる。

『多様性を持つ小田原は、癒しや元気といった、人間本来の持つ生きるチカラを与えてくれて、強くしてくれるまち』であるというブランディングアイディアをもとに、「小田原のチカラ」というブランドロゴを使用している。[2]

地理

[編集]
小田原市の月ごとの平年気温
小田原市の月ごとの平年降水量

神奈川県のほぼ南西端に位置し、酒匂川の流れる足柄平野を中心に、東は大磯丘陵の南西端である曽我丘陵と呼ばれる丘陵に、西は箱根山の外輪山となっている。南は相模湾に面し、遠浅の海に小漁港が点在している。

小田原市中心部の空中写真。2019年10月2日撮影の30枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

相模トラフ巨大地震震源域直上に位置していることや、その分岐断層である国府津−松田断層などの活断層が分布していること、歴史上小田原周辺を震源とする被害地震が発生していることなどから、地震対策に力が入れられている。

気候は太平洋側気候の地域で、四季を通じて温暖である。

小田原市(1991年 - 2020年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 20.1
(68.2)
26.1
(79)
27.4
(81.3)
29.7
(85.5)
32.3
(90.1)
38.0
(100.4)
37.9
(100.2)
38.0
(100.4)
35.9
(96.6)
32.8
(91)
28.1
(82.6)
26.0
(78.8)
38.0
(100.4)
平均最高気温 °C°F 10.6
(51.1)
11.3
(52.3)
14.1
(57.4)
18.9
(66)
22.8
(73)
25.2
(77.4)
29.0
(84.2)
30.6
(87.1)
27.2
(81)
22.2
(72)
17.4
(63.3)
13.0
(55.4)
20.2
(68.4)
日平均気温 °C°F 5.3
(41.5)
6.1
(43)
9.2
(48.6)
14.0
(57.2)
18.2
(64.8)
21.3
(70.3)
25.2
(77.4)
26.4
(79.5)
23.0
(73.4)
17.8
(64)
12.6
(54.7)
7.8
(46)
15.6
(60.1)
平均最低気温 °C°F 0.6
(33.1)
1.3
(34.3)
4.4
(39.9)
9.2
(48.6)
13.8
(56.8)
18.0
(64.4)
22.0
(71.6)
23.0
(73.4)
19.6
(67.3)
14.1
(57.4)
8.3
(46.9)
3.1
(37.6)
11.4
(52.5)
最低気温記録 °C°F −5.7
(21.7)
−8
(18)
−4.4
(24.1)
−0.4
(31.3)
4.8
(40.6)
11.1
(52)
14.1
(57.4)
16.0
(60.8)
10.4
(50.7)
4.2
(39.6)
−0.4
(31.3)
−3.8
(25.2)
−8
(18)
降水量 mm (inch) 83.7
(3.295)
89.5
(3.524)
175.6
(6.913)
181.7
(7.154)
182.2
(7.173)
219.3
(8.634)
216.0
(8.504)
167.2
(6.583)
248.7
(9.791)
238.7
(9.398)
119.5
(4.705)
74.7
(2.941)
1,996.5
(78.602)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 6.0 6.6 11.1 10.3 10.6 12.8 11.9 9.2 12.0 10.9 8.0 6.3 115.7
平均月間日照時間 179.9 159.5 161.2 176.9 182.2 130.5 163.2 201.8 138.3 131.0 149.4 171.0 1,945
出典1:気象庁
出典2:観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)

歴史

[編集]

古代

[編集]

先史時代の小田原の中里遺跡は、縄文人渡来人が共存共栄した数少ない遺跡(地域)として知られ、人口比率は縄文人が多かったと考えられているが、他の地域と違い、点々と存在した渡来人のみの小規模の集落ではなく、縄文人と共存した大集落であった。また、縄文文化渡来文化の境界の東端であったとも考えられ、日本の文化人類学考古学において貴重な資料を提供している。

古代の相模国足下郡(あしがらのしものこおり)の地である。古名を「こゆるぎ」といい、「小由留木」「淘陵」などの字が宛てられた。「小田原」という地名は、「小由留木」の草書体を読み間違えたものという説がある。市内千代にあった千代廃寺は相模国国府とも足柄下郡郡衙の所在地といわれる。

中世

[編集]

平安時代末期から鎌倉時代にかけて、平将門を討伐したことで有名な藤原秀郷の子孫・佐伯経範が長元3年(1030年)頃に秦野に移り住んで波多野氏を名乗った。後に支流として、松田氏・渋沢氏・河村氏・栢山氏・大友氏沼田氏などが出て、相模西北部にその一族の勢力を伸ばす。現在の秦野市内、足柄上郡松田町山北町南足柄市、小田原市の一部。波多野城は一族の居館である。波多野城のあった田原の、その支城として「小田原」が設置されたと言う説もある。

平安時代の末期治承4年(1180年)に、蛭ヶ小島伊豆国)で挙兵した源頼朝と平家方の大庭景親らとの、石橋山の戦いが行われた。

戦国時代

[編集]

戦国時代には伊勢平氏流を称する北条早雲小田原城を奪取し、その子孫である後北条氏は小田原城を中心に関東一円に台頭し、鎌倉府足利氏関東管領上杉氏常陸国守護佐竹氏下野国国司宇都宮氏、その他関東八屋形に列せられた諸氏による当時の関東の統治体制を転覆した。なお、下野国守護小山氏は後北条氏により滅亡に追い込まれた。北条氏が治めた城下町は戦国時代で最も大きく発展したといわれる[3]

近世

[編集]

天正18年(1590年)、豊臣秀吉小田原征伐による後北条氏の滅亡と徳川家康江戸入府によって、小田原は歴史の表舞台から姿を消す。家康が関東を治めるようになった後は、部下の大久保氏が小田原に入った。

また後北条氏が滅亡するまで、関東一円の被差別民を支配し、皮革業に独占的な権益を持つなど勢力を誇った小田原太郎左衛門の本拠地があった。後北条氏が発給した判物が現存している。

江戸時代

[編集]

江戸時代には東国の要衝として、譜代大名を領主とする小田原藩が置かれ、小田原はその城下町となった。貞享3年(1686年)以降は代々大久保氏の城下町となった。城下町・小田原は東海道の沿線であり、小田原宿箱根の山越えを控えた宿場として東海道五十三次中最大の規模を誇った。又、小田原郊外の栢山(かやま)は、農政家・二宮尊徳の生地として有名である。

近代

[編集]
  • 1871年(明治4年)
  • 1876年(明治9年) - 足柄県は分割され、小田原を含む相模国部分は神奈川県に、伊豆国部分は静岡県となり、小田原は県庁所在地ではなくなった。神奈川県となった後に設置された支庁も、間もなく廃止された。
  • 1878年(明治11年) - 郡区町村編制法によって足柄下郡が編制、足柄下郡の郡役所が小田原に置かれた。
  • 東海道本線は当初、小田原〜熱海〜沼津間の急鋭地帯を避けるために現在の御殿場線経路で敷設された。その後、小田原経由の路線として、小田原馬車鉄道という馬車鉄道1888年(明治21年)に開通したのを皮切りに、熱海線(現在の東海道本線)・小田原急行鉄道(現在の小田急電鉄)なども開通した。
  • 1923年大正12年)9月1日 - 関東大震災では、直下が震源地だったために激しい被害を受けた。
  • 1925年(大正14年)9月2日 - 市内に本店を構える小田原実業銀行が休業、事実上の経営破綻。銀行には町の公金約50万円が預金されており混乱が生じた[4]
  • 1930年(昭和5年) - 宮内省が小田原御用邸の廃止を決定[5]
  • 1933年(昭和8年) - 富水地区に水道水源を求める計画が地元住民の反対で中断。同年7月14日には井戸掘削業者や水道計画に賛成する者への襲撃事件が発生した[6]
  • 1934年(昭和9年) - 丹那トンネル開通で、東海道本線はやっと小田原市街地を通るようになった。この辺は吉村昭の小説『闇を裂く道』(文春文庫)に詳しい。
  • 1945年(昭和20年)8月15日 - 熊谷市と並び、太平洋戦争最後の空襲を受ける

第二次世界大戦後

[編集]

21世紀

[編集]
  • 2016年(平成28年) - 南足柄市との合併を検討する協議会が設置。2020年度を目途に合併することを検討していたが、2017年12月に南足柄市側より方針が撤回された[8]
  • 2022年(令和4年)11月1日 - 神奈川県は小田原市の繁華街のうち栄町1丁目、同2丁目、同3丁目および本町2丁目を県暴力団排除条例に基づき暴力団排除特別強化地域に指定。飲食店等と暴力団の間でみかじめ料のやり取りが禁止され、違反した場合には飲食店側にも罰則が科されることとなった[9]

人口

[編集]

2000年頃、人口は20万人を超えていたが、その後は減少傾向となった。2021年の人口は約18万9000人。

小田原市と全国の年齢別人口分布(2005年) 小田原市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 小田原市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
小田原市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 163,631人
1975年(昭和50年) 173,519人
1980年(昭和55年) 177,467人
1985年(昭和60年) 185,941人
1990年(平成2年) 193,417人
1995年(平成7年) 200,103人
2000年(平成12年) 200,173人
2005年(平成17年) 198,741人
2010年(平成22年) 198,327人
2015年(平成27年) 194,086人
2020年(令和2年) 188,856人
総務省統計局 国勢調査より


行政

[編集]

行政区域の変遷(市制施行以後)

[編集]

歴代首長

[編集]
氏名 就任日 離任日
1 益田信世 1941年昭和16年)3月27日 1944年(昭和19年)5月7日
2 鈴木英雄 1944年(昭和19年)6月13日 1946年(昭和21年)4月11日
3・4 佐藤謙吉 1946年(昭和21年)6月14日 1948年(昭和23年)12月27日
5 - 9 鈴木十郎 1949年(昭和24年)2月20日 1969年(昭和44年)2月17日
10 - 13 中井一郎 1969年(昭和44年)2月18日 1985年(昭和60年)2月17日
14 - 15 山橋敬一郎 1985年(昭和60年)2月18日 1992年平成4年)4月1日
16 - 19 小澤良明 1992年(平成4年)5月24日 2008年(平成20年)5月23日
20 - 22 加藤憲一 2008年(平成20年)5月24日 2020年令和2年)5月23日
23 守屋輝彦 2020年(令和2年)5月24日 2024年(令和6年)5月23日
24 加藤憲一 2024年(令和6年)5月24日

指定金融機関

[編集]

議会

[編集]

市議会

[編集]

神奈川県議会

[編集]
  • 選挙区:小田原市選挙区
  • 定数:2人
  • 任期:2023年(令和5年)4月30日 - 2027年(令和5年)4月29日
氏名 会派名
小澤良央(おざわ よしなか) 自由民主党神奈川県議会議員団
佐々木奈保美(ささき なおみ) 立憲民主党神奈川県議会議員団

衆議院

[編集]
当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
牧島かれん 45 自由民主党 131,284票
神山洋介 46 立憲民主党 89,837票
山田正 70 日本共産党 16,202票

地区

[編集]

太字は行政上用いられる大まかなブロック分け[10][11]、【】内は自治会連合会の名称[12]

橘ブロック
  • 橘(たちばな) - 旧橘町
    • 下中(しもなか) - 旧下中村 【橘北】
      • 小船、中村原、上町、沼代、小竹
    • 前羽(まえは) - 旧前羽村 【前羽】
      • 前川村、羽根尾
川東ブロック
  • 曽我(そが) - 旧曽我村 【曽我】
    • 鬼柳、下大井、曽我大沢、上曽我
  • 下曽我(しもそが) - 旧下曽我村 【下曽我】
    • 曽我原、曽我別所、曽我谷津、曽我岸
  • 国府津(こうづ) - 旧国府津町 【国府津】
  • 上府中(かみふなか) - 旧上府中村 【上府中】
    • 高田、千代、永塚、延清、西大友、東大友、別堀
  • 下府中(しもふなか) - 旧下府中村 【下府中】
    • 下堀、中里、矢作、鴨宮、上新田、中新田、下新田
      • 南鴨宮 【富士見】
  • 豊川(とよかわ) - 旧豊川村 【豊川】
    • 飯泉、成田、桑原
  • 酒匂(さかわ) - 旧酒匂町 【酒匂・小八幡】
    • 酒匂、小八幡(山王原、網一色)
北部ブロック
  • 桜井(さくらい) - 旧桜井村 【桜井】
    • 曽比、栢山
  • 足柄(あしがら) - 旧足柄町
    • 富水(とみず) - 旧富水村 【富水・東富水】
      • 柳新田、小台、新屋、清水新田、北窪、府川、穴部、穴部新田、堀之内、中曽根、蓮正寺、飯田岡
足柄ブロック
  • 二川(ふたがわ) - 旧二川村 【二川】
    • 井細田、多古
  • 久野(くの) - 旧久野村 【久野】
  • 蘆子(あしこ) - 旧蘆子村 【芦子】
    • 荻窪、谷津、池上
中央ブロック
  • 小田原市街地 - 旧小田原町周辺
    • 扇町 (【二川】)
    • 中町、寿町 【足柄】
    • 東町 【山王網一色】
    • 栄町、浜町(2丁目周辺) 【新玉】※
    • 浜町(3丁目周辺) 【万年】※
    • 城山 【緑】※
    • 城内、本町 【幸】※
    • 南町 【十字】※
      (※旧小田原町に由来。)
西部ブロック
  • 大窪(おおくぼ) - 旧大窪村 【大窪】
    • 水之尾(みずのお) - 旧水之尾村
    • 板橋(いたばし) - 旧板橋村
    • 風祭(かざまつり) - 旧風祭村
    • 入生田(いりうだ) - 旧入生田村
  • 早川(はやかわ) - 旧早川村 【早川】
  • 片浦(かたうら) - 旧片浦村 【片浦】

市以外の行政機関

[編集]

国家機関

[編集]
  • 小田原税務署
  • 小田原拘置支所
  • 小田原少年院
  • 関東農政局神奈川統計情報事務所小田原出張所
  • 関東地方整備局横浜国道事務所小田原出張所

神奈川県の機関

[編集]
  • 県西地域県政総合センター
  • 小田原警察署
  • 小田原県税事務所
  • 小田原児童相談所
  • 小田原保健福祉事務所
  • 温泉地学研究所
  • 酒匂川下水道整備事務所
  • 神奈川県産業技術総合研究所工芸技術センター
  • 神奈川県広域水道企業団
  • 神奈川県広域水道企業団曽我ポンプ場
  • 酒匂川流域下水道扇町管理センター
  • 酒匂川流域下水道酒匂管理センター
  • 水産総合研究所相模湾試験場
  • 農業総合研究所根府川試験場
  • 西部漁港事務所

裁判所

[編集]

土木

[編集]

公庫

[編集]
  • 国民生活金融公庫小田原支店

産業

[編集]

市内の主な企業

[編集]
本社
拠点
  • 温暖な気候により、山地の斜面を利用したミカン栽培も盛んであったが、近年は減反政策がとられ、その代替産業として、橘地区に西湘テクノパークが造成された。

漁業

[編集]

小田原漁港(早川港)を代表とする漁港では、オシツケスミヤキナガスミヤキなどの小田原独特の食文化を代表する魚をはじめ、さまざまな魚が水揚げされることにより水産加工品の製造も盛んである。ことにかまぼこは小田原の特産品として各地に販路を広げている。

小田原市漁業協同組合では、神奈川県水産技術センターが技術確立したキャベツウニの養殖に取り組んでいる[13]。2020年は約1,000個を出荷した[13]

農業

[編集]

商業

[編集]
小田原駅周辺
鴨宮駅周辺
かつてあった商業施設

地元に本店を置く百貨店、志澤が県内、藤沢、本厚木、平塚などに店を構えていたが、西武百貨店の傘下になり、その後、低迷を続け、現在では全面的に撤退をしている。小田原駅近くの志澤ビルのあった場所には万葉の湯(万葉倶楽部)が建てられている。なお、西武百貨店自体は、2013年3月1日に旧ロビンソン百貨店の業態転換により久々に小田原市に存在することになった。

また、小田原駅前には丸井箱根登山デパート(1980年に箱根登山ベルジュに業態転換)が出店していたが、前者は2000年代前半に撤退し、後者は2013年(平成25年)3月31日に閉店した。

姉妹都市・友好都市

[編集]

学校

[編集]

小学校

[編集]

中学校

[編集]
公立
私立

高等学校

[編集]

特別支援学校

[編集]
  • 神奈川県立小田原支援学校

短期大学

[編集]

大学

[編集]
  • 関東学院大学(小田原キャンパス)
    • 国際研究研修センター
  • 国際医療福祉大学(小田原キャンパス)
    • 小田原保健医療学部
      • 看護学科、理学療法学科、作業療法学科
  • 小田原市では、「小田原市奨学生制度(高等学校奨学生)」という奨学金制度がある。

施設

[編集]

ホール・集会場

[編集]

その他、各地区の公民館[11]

図書館

[編集]
  • 小田原市立中央図書館(かもめ図書館)(南鴨宮)
  • 小田原駅東口図書館(ミナカ小田原6階)
  • 小田原文学館(南町)
  • 図書室
    • 橘タウンセンターこゆるぎ・図書コーナー(羽根尾)
    • 生涯学習センター国府津学習館・図書室
    • 川東タウンセンターマロニエ・図書室(中里)
    • 尊徳記念館・図書室(栢山)
    • 城北タウンセンターいずみ・図書コーナー(飯田岡)
    • 生涯学習センターけやき・図書室(荻窪)

博物館

[編集]

美術館

[編集]

医療施設

[編集]
  • 小田原循環器病院
  • 間中病院
  • 小澤病院
  • 西湘病院
  • 小林病院
  • 丹羽病院
  • 曽我病院
  • 国府津病院
休日診療所
  • 小田原市立保健センター

郵便局

[編集]

出典:[14]

集配局 2局
無集配局 23局
  • 押切郵便局
  • 小田原飯田岡郵便局
  • 小田原板橋郵便局
  • 小田原扇町郵便局
  • 小田原鴨宮郵便局
  • 小田原久野郵便局
  • 小田原国府津郵便局
  • 小田原寿町郵便局
  • 小田原栄町郵便局
  • 小田原城山郵便局
  • 小田原富水郵便局
  • 小田原成田郵便局
  • 小田原浜町郵便局
  • 小田原早川郵便局
  • 小田原本町郵便局
  • 小田原南町郵便局
  • 鴨宮駅前郵便局
  • 栢山駅前郵便局
  • 酒匂郵便局
  • 下曾我郵便局
  • 下中郵便局
  • 根府川郵便局
  • 螢田駅前郵便局
簡易郵便局 1局
  • 小田原卸商業団地簡易郵便局

メディア

[編集]

新聞

[編集]

テレビ

[編集]

ラジオ

[編集]

交通

[編集]

古くより、交通の要衝として栄え、現在でも小田原駅は数多くの路線が乗り入れるターミナル駅である。80km離れた東京へは、新幹線・在来線・私鉄路線で結ばれている。なお、小田原市鴨宮は東海道新幹線の開業前に実験線(鴨宮モデル線区、現在は新幹線の路線の一部となっている)が建設された、新幹線発祥の地である。一方道路は近年整備が進んだものの、地理的に箱根や伊豆方面から、東京や横浜に向かう交通が市内で輻輳するため、行楽シーズンの休日は市内の各道路で大渋滞が発生することがある。なお、港町でありながら水上交通は盛んでない。

鉄道路線

[編集]
東日本旅客鉄道(JR東日本)
東海道線上野東京ラインJS 湘南新宿ライン[注釈 1]
東海旅客鉄道(JR東海)
東海道新幹線
御殿場線
小田急電鉄
小田原線
小田急箱根
鉄道線(箱根登山電車)
伊豆箱根鉄道
大雄山線

1956年(昭和31年)までは、路面電車として箱根登山鉄道(現:小田急箱根)の小田原市内線も存在した。また1896年(明治29年) - 1922年(大正11年)には、人車鉄道軽便鉄道豆相人車鉄道→熱海鉄道も熱海へ向かう路線を小田原を起点にして保有していた。

バス路線

[編集]

以上2社は、小田原市内に、営業所を持つ。

神奈川中央交通西の路線は秦野営業所の路線が国府津駅まで乗り入れる。

道路

[編集]

高速道路・有料道路

[編集]

一般国道

[編集]

主要地方道

[編集]

一般県道

[編集]

娯楽

[編集]

スポーツ

[編集]

スポーツ施設

[編集]
  • マロニエホール(体育館)
  • 小田原テニスガーデン
  • 小田原市城山陸上競技場
  • 小田原城山庭球場
  • 小田原城内弓道場
  • 御幸の浜プール

遊園地など

[編集]

観光

[編集]

史跡

[編集]

施設

[編集]

自然

[編集]

行事・催事・祭典

[編集]
  • 出初式(1月11日
  • 小田原梅まつり(2月初頭-3月初頭)
  • 菓子まつり(2月下旬)
  • 小田原桜まつり(3月下旬-4月上旬)
    • 小田原城址公園 ぼんぼり点灯
    • 本丸広場 桜ライトアップ
    • 報徳二宮神社 夜桜詣で
    • 小田原かまぼこ桜まつり(3月末)
  • 北条五代祭り5月3日) - 神事でなく観光行事。
  • 松原神社山王神社居神神社大稲荷神社例大祭(5月3日 - 5月5日
  • 小田原城あじさい花菖蒲まつり(6月上旬)
  • 小田原ちょうちん夏まつり(7月最終土日)
  • 酒匂川花火大会(8月最初の土曜) - 1990年以降、順延はあるが、中止は東日本大震災の2011年だけ。
  • 一夜城まつり(10月下旬)
  • 城下町おだわらツーデーマーチ(11月中旬)
  • 小田原市農業まつり(11月中旬)
過去のイベント
  • 御幸の浜花火大会 - かつては8月15日、2000年から数回11月に不定期開催、2008年以降開催なし。
  • ときめき小田原夢まつり(1990年4月 - 1991年11月)
  • 小田原さかなまつり - 10月下旬。

民俗芸能・伝統行事

[編集]

名産品

[編集]

小田原城と城址公園

[編集]
  • 1990年(平成2年)頃(バブル経済崩壊前後)までは小田原城には毎年多くの観光客が訪れていたがその後は減少し、一時期の年間来場者数は29万人を下回った。しかし、2009年(平成21年)頃からの歴史・城ブームや不景気による国内旅行の増加などもあり、2010年(平成22年)4月には15年ぶりに来場者数が40万人台まで復活した。
  • 小田原城址公園には2005年(平成17年)ほどまで動物園(無料)があったが、城址は国の史跡に指定されており、歴史的な観点から不適当であると判断されたことに加え、動物園の環境調査で全国最下位の劣悪な環境と格付けされたこともあり、動物たちは順次、市内に新設された小田原こどもの森公園わんぱくらんど等に移された。2009年(平成21年)9月にゾウウメ子が死んだのを最後に城址公園から動物たちはいなくなった(サルは一時的に引越しという形になっている)。
  • 過去に、蓮池化の断念という苦い経験を持つ。
  • 現在の旭丘高等学校の地に、元々蓮池があり、その蓮池再建計画の為に移転を要求した。しかし、移転の為の補助金を一切出さなかったことが仇となり、学校側は全校あげて同地の建て直しの署名活動を起こした。そのことから、当時の文部省(現在の文部科学省)の外局文化庁との3者協議を数回に亘り行った結果、同地の蓮池化計画を断念せざるを得なくなってしまった。

関連有名人

[編集]

小田原出身者

[編集]

歴史上の人物

[編集]

政治家・軍人・官僚

[編集]

財界人

[編集]

文化人

[編集]

スポーツ

[編集]

小田原ゆかりの有名人

[編集]

皇族

[編集]

政治家・軍人・官僚

[編集]

財界人

[編集]

文化人

[編集]

スポーツ

[編集]

ナンバープレート

[編集]

小田原市は、湘南ナンバー(神奈川運輸支局)を割り当てられている。

湘南ナンバー割り当て地域

  • 平塚市・藤沢市・茅ヶ崎市・小田原市・秦野市・伊勢原市・南足柄市・高座郡(寒川町)・中郡(大磯町、二宮町)・足柄上郡(大井町、開成町、中井町、松田町、山北町)・足柄下郡(箱根町、真鶴町、湯河原町)

小田原を舞台とする作品

[編集]

小田原市はテレビ・劇場用映画やテレビCMなどの撮影ロケーションの誘致活動を行っている。フィルム・コミッションと呼ばれるこの活動の一環として、市民の希望者をエキストラに登録し、随時出演を要請している。SeishoCinemaFes小田原映画祭が開催され、ショートフィルムコンテストが行われる。フィルム・コミッション事業(西さがみ連邦共和国フィルム・コミッション)の実績は年々増加していたが、2020年現在、西さがみ連邦共和国フィルム・コミッションは解散している。[18]

ただしSeishoCinemaFesを主催するSeishoCinemaClubが自主映画のロケ協力をおこなっているため、自主映画の撮影などは行われている。

また、農業・漁業・工業・商業といった産業が多岐にわたっているため、社会科教育番組の舞台となったり教科書で取り上げられたりすることが多い。

小田原を舞台とする映像作品

[編集]

ロケ地

[編集]

ご当地ソング

[編集]
  • 「お猿のかごや」童謡 - 小田原提灯が出て来る
  • 小田原城下町音頭」小田原の風情を歌う音頭 歌 夢路 作詞 板の上カマ太郎 作曲 宮路オサム
  • 「うゐろう売り」BANANA★YU
  • 「雪国」東京事変

マンガ・アニメ

[編集]

ゲーム

[編集]

小説

[編集]

画像

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ https://www.soumu.go.jp/cyukaku/
  2. ^ 小田原のチカラロゴマーク | オダワラボ(小田原市)”. odawalab.com. 2020年1月23日閲覧。
  3. ^ 学習まんが辞典シリーズ歴史おもしろ図鑑辞典』62ページ。
  4. ^ 「小田原実業銀行が突然休業」『中外商業新報』1925年(大正14年)9月3日夕刊(大正ニュース事典編纂委員会 『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.145 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  5. ^ 「廃止に決定した一離宮、五御用邸」『東京日日新聞』1930年(昭和5年)8月24日夕刊(昭和ニュース事典編纂委員会 『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p.113 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  6. ^ 「小田原の水道問題で水源の住民が暴力化」『東京日日新聞』1933年(昭和8年)7月15日(昭和ニュース事典編纂委員会 『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p.57 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  7. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、84頁。ISBN 9784816922749 
  8. ^ “南足柄市長、合併見送り…小田原市長は「残念」”. 読売新聞. (2017年12月2日). https://web.archive.org/web/20171202231229/http://www.yomiuri.co.jp/politics/20171202-OYT1T50036.html 2017年12月3日閲覧。 
  9. ^ 神奈川県暴力団排除条例(平成22年神奈川県条例第75号) 令和4年改正 令和4年11月1日施行”. 神奈川県 (2022年). 2022年9月19日閲覧。
  10. ^ 小田原市スポーツ推進委員 - 小田原市
  11. ^ a b 地区公民館について - 小田原市
  12. ^ 各地区自治会連合会 - 小田原自治会連合会
  13. ^ a b "キャベツウニ"出荷間近 神奈川 地元スーパー、飲食店2000個以上販売”. みなと新聞 (2020年6月30日). 2021年6月6日閲覧。
  14. ^ 移転・改称:国府津駅前郵便局(神奈川県) - 日本郵便”. www.post.japanpost.jp. 2021年2月7日閲覧。
  15. ^ [1]
  16. ^ “フットサルのまちへ、「湘南ベルマーレフットサルクラブ」をきっかけに地域活性化へ/小田原”. カナロコ (神奈川新聞社). (2012年7月15日). http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1207140026/ 2012年7月19日閲覧。 
  17. ^ 高木優奈、浜田茉優ら計6人が選手権獲得・全米女子オープン選手権日本地区予選”. デイリースポーツ online (2022年4月26日). 2022年4月27日閲覧。
  18. ^ 小田原市 | 西さがみ連邦共和国(平成13~22年)”. www.city.odawara.kanagawa.jp. 2020年1月23日閲覧。

注釈

[編集]
  1. ^ 湘南新宿ラインは小田原駅までの運転

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]