榎本武憲
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榎本 武憲(えのもと たけのり、旧字体:榎本 武憲󠄁、1873年(明治6年)1月1日[1] - 1924年(大正13年)11月6日[1][2])は、明治から大正期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧名・金八[1]。
経歴
[編集]開拓使官吏・榎本武揚の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1908年(明治41年)11月10日、子爵を襲爵した[1][3][4][5]。
1898年(明治31年)東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業[2][3][4]。
1910年(明治31年)4月16日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に所属して活動し、死去するまで在任した[2][3]。その他、臨時博覧会評議員、衆議院議員選挙法改正調査会委員、都市計画中央委員会委員、帝国電灯社長などを務めた[2][3]。
1924年11月、東京府豊多摩郡中野町の自宅で療養中に死去した[3]。
親族
[編集]- 妻 榎本梅子(1882-1934) - 黒田清隆長女[1]
- 長男 榎本清武(1900-1944)[1][8]
- 長女 黒田千代子 (1905-1969) - 黒田清仲(母方叔父)養女、黒田常清(清仲の養嗣子)の妻[1][9]
- 二男 榎本武英(1910-1948) - 子爵。東京製綱勤務。[1][10]
- 孫 榎本隆充 - 榎本武英のニ男
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成 上巻』263頁。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』38頁。
- ^ a b c d e f 『大正過去帳』307-308頁。
- ^ a b c 『人事興信録』第6版 、え10頁。
- ^ 『官報』第7614号、明治41年11月11日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、18頁。
- ^ 『官報』第8043号、明治43年4月18日。
- ^ 『国文学年次別論文集: 近代』第2巻 朋文出版 486ページ
- ^ 『平成新修旧華族家系大成 上巻』570頁。
- ^ 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇』 竹内正浩 実業之日本社 2017、黒田清隆の章
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 榎本武揚 |
子爵 榎本(武揚)家第2代 1908年 - 1924年 |
次代 榎本武英 |