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榎本武憲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

榎本 武憲(えのもと たけのり、旧字体榎本 武憲󠄁1873年明治6年)1月1日[1] - 1924年大正13年)11月6日[1][2])は、明治から大正期の政治家華族貴族院子爵議員。旧名・金八[1]

経歴

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開拓使官吏・榎本武揚の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1908年(明治41年)11月10日子爵を襲爵した[1][3][4][5]

1898年(明治31年)東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業[2][3][4]

1910年(明治31年)4月16日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]研究会に所属して活動し、死去するまで在任した[2][3]。その他、臨時博覧会評議員、衆議院議員選挙法改正調査会委員、都市計画中央委員会委員、帝国電灯社長などを務めた[2][3]

1924年11月、東京府豊多摩郡中野町の自宅で療養中に死去した[3]

親族

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  • 妻 榎本梅子(1882-1934) - 黒田清隆長女[1]
  • 長男 榎本清武(1900-1944)[1][8]
  • 長女 黒田千代子 (1905-1969) - 黒田清仲(母方叔父)養女、黒田常清(清仲の養嗣子)の妻[1][9]
  • 二男 榎本武英(1910-1948) - 子爵。東京製綱勤務。[1][10]
  • 榎本隆充 - 榎本武英のニ男 

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成 上巻』263頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』38頁。
  3. ^ a b c d e f 『大正過去帳』307-308頁。
  4. ^ a b c 『人事興信録』第6版 、え10頁。
  5. ^ 『官報』第7614号、明治41年11月11日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、18頁。
  7. ^ 『官報』第8043号、明治43年4月18日。
  8. ^ 『国文学年次別論文集: 近代』第2巻 朋文出版 486ページ
  9. ^ 『平成新修旧華族家系大成 上巻』570頁。
  10. ^ 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇』 竹内正浩 実業之日本社 2017、黒田清隆の章

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
榎本武揚
子爵
榎本(武揚)家第2代
1908年 - 1924年
次代
榎本武英