コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

相模トラフ巨大地震

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1923年大正関東地震(赤塗りの領域)と1703年元禄関東地震(赤点線内の領域)の想定震源域(地震調査委員会, 2004)

相模トラフ巨大地震(さがみトラフきょだいじしん)は、相模トラフプレート境界メガスラスト)で発生したと考えられている巨大地震[1][2][注 1]

1703年元禄関東地震および1923年大正関東地震が相模トラフ沿いの巨大地震と考えられているが[3]、それ以前については該当地震や再来間隔など諸説あり詳細は不明である。

なお、各々の地震は「元禄関東地震」、「大正関東地震」などと呼称されているが、相模トラフ沿いの巨大地震を指して「関東地震」と総称する場合もある[4]

概要

[編集]

南関東では相模湾フィリピン海プレート北アメリカプレートの境界(相模トラフ)を震源とする巨大地震が繰り返し生じていると考えられている[誰?]。有史以前の発生については不明で、歴史記録に残っている地震としては元禄16年(1703年)にマグニチュード8.1-8.5の元禄関東地震、220年後の大正12年(1923年)にマグニチュード7.9-8.3の大正関東地震関東大震災)が記録されている。

また、元禄地震と大正関東地震の間に発生した安政2年(1855年)の安政江戸地震安政の大地震)は震源断層が特定されておらず[5]、相模トラフ沿いの巨大地震には含めない。なお大竹(1980)は、この地震の震源域については1923年関東地震の相模トラフより北側の内陸寄りと考えており、明治27年(1894年)の明治東京地震はさらに深い地震と考えている[6]

1703年元禄関東地震から1923年大正関東地震までの再来間隔と大正関東地震の推定断層滑り量から、相模トラフ西半分のプレート間の結合度(プレート間カップリング)は、ほぼ100%に近いと考えられプレートの運動による歪みは殆ど地震によって解放されていると考えられている[2]

一方で、フィリピン海プレートと本州側のプレートとの力学的境界は既に銭洲付近にあり、地質学的時間スケールでは駿河トラフで起こるとされる東海地震も、大正関東地震もプレート内地震となるとする見解も出されている[7]

中世以前の相模トラフ沿いが震源域と疑われる地震

[編集]

南関東の古い歴史地震の記録は、天正18年(1590年)の小田原北条氏の滅亡と徳川家康江戸入城を境にしてそれ以前は鎌倉時代を除くと極めて少ないため、相模トラフ巨大地震は史料から確証が得られていない[2]。しかし、878年相模・武蔵地震)、1293年(鎌倉大地震)、1433年などにも大被害を伴う地震の記録があり相模トラフ沿いで発生した可能性が考えられ、それ以外にも未知の巨大地震が埋もれている可能性があるとされる[2]。1257年の地震も候補に挙げられている[8][9]。以下の西暦換算はユリウス暦としている。

  1. 弘仁9年7月(818年)- 『類聚国史』に記された関東諸国の地震を1923年関東地震と同類のものとする見方もある[10][11]が、相模武蔵下総常陸上野下野等国とされ上総安房が記されていないこと、津波の被害の記述がないことなどの理由で萩原尊禮(1982)はこの地震を内陸地震としている[12][13]
  2. 元慶2年9月29日(878年10月28日)- 『日本三代実録』に記された関東諸国の地震(相模・武蔵地震)は、伊勢原断層の活動時期に合致するとする説と[14]、館山市の海岸で見出された900年頃と推定される津波堆積物から相模トラフのプレート境界地震とする説がある[15][16]
  3. 正応6年4月13日(1293年5月20日)- 石橋(1991)は、鎌倉に大震災をもたらした永仁地震(鎌倉大地震)が相模トラフのプレート境界型巨大地震であった可能性を指摘している[1][17]三浦半島の小網代湾では、この時期に対比される可能性のある津波堆積物が見出されている[18]。また、同時期の隆起による離水によって形成された岩井低地の浜堤列が見出されている[19][20]
  4. 明応4年8月15日(1495年9月3日)- 『鎌倉大日記』に高徳院の大仏殿を流失させたと記録される、明応(関東)地震は、東海地震とされる1498年明応地震の誤記[21][22]、あるいは『梅花無尽蔵』の記録から文明18年(1486年)の時点で大仏は露座であったと記され、『鎌倉大日記』の記録は疑わしいとされてきた[23]。しかし、同日に京都でも地震の記録があり、石橋(1998)は相模トラフ巨大地震の検討候補としている[24]。金子(2012)は、伊東市の宇佐美遺跡で確認された津波堆積物が『鎌倉大日記』の記録に整合し、北条早雲が津波災害の混乱に乗じて小田原城を奪取した可能性が考えられるとしている[25]

相模トラフ沿いが震源域と考えられている地震

[編集]

元禄関東地震

[編集]

元禄16年11月23日(1703年12月31日)午前2時頃発生。規模は河角廣(1951)によればM8.2[26]中央防災会議の首都直下地震モデル検討会による元禄関東地震断層モデルではMw8.5と推定されている[27]

このタイプの地震は房総半島南方沖を震源域とし、笠原(1973)のモデルによれば、相模トラフに平行な逆断層として、1923年関東地震の震源域を含みさらに外洋に伸びていたと考えられている[28][29]。宍倉(2005)は、元禄タイプの地震は大正関東地震タイプに対して数回に1回の割合で連動し発生していると考えている[30]

本地震の震度分布[31]は大正地震に大変類似し、相模湾以北の隆起・沈降の様子も類似している[8]が、今村(1931)は本地震において房総半島南部の隆起量がより大きいことを指摘しており[32]、また紀伊尾鷲や土佐など遠方に波及した津波や、外房における津波が特に著しく、外房沖への震源域の伸びに整合するとされる[2][33][34][35]九十九里浜を襲った津波は遡上高3m程度(羽鳥の推定は5 - 6m)と推定されるが、射流となって3 - 4km程度内陸まで遡上し襲ったため3千人以上の犠牲者を出した[36]

大正関東地震

[編集]

大正12年(1923年)9月1日午前11時58分発生。震央河口湖東方[37]、神奈川県西部[38][39]および相模湾[40][41][42][43]など諸説ある。

規模はM7.9[26]から8.3[44][45]までの推定値がある。中央防災会議の首都直下地震モデル検討会による大正関東地震断層モデルではMw8.2と推定されている[27]

金森博雄によって、本地震は相模トラフの走行に平行する右横ずれの低角逆断層であり、プレート境界のずれが原因と解釈できると推定された[46]。大正関東地震の断層モデルは幾つか提唱されているが[46][47][48][49][50]、震源域の北西端は山梨県東部または神奈川県西部、南東端は野島崎付近またはやや沖までである。

震源断層は湘南地方の内陸深くまで及んでいると考えられており[8]、震度は小田原付近が最も高く[11]、7に達したと推定され[51]、東京などは当時は6と報告されていた[52]

再来間隔

[編集]

この地震は地震に伴い隆起する特徴を持っていることから、海岸線に残された痕跡から発生間隔の解析が試みられている[53]

松田(1985, 93)は、相模トラフ付近で発生する地震を元禄型関東地震、大正型関東地震、大磯型地震に分類し、元禄型は相模トラフ沿いの相模湾から外房を震源域とし再来間隔は1000-1500年、大正型は相模湾内を震源域とし再来間隔は800±400年、大磯型は国府津-松田断層の地震とし再来間隔は170±60年とした[54][55]

松田(1974)らは、元禄地震と大正地震は断層破壊部分が互いに相補的な関係にあるとし、房総半島南端における段丘に見られる地震時隆起量、沼面高度および平時の平均沈降速度から、元禄+大正型の巨大地震の再来間隔を700-1200年程度と見積もった[56]。宍倉(2003)は、房総半島南岸の離水海岸地形から、波食棚英語版の幅の広い元禄型の巨大地震は約2300年程度、大正型の地震は400年程度の再来間隔と見積もった[53]

一方、石橋(1977)は、元禄地震は大正地震の断層破壊部分を含み相補的ではなく、また地震の間隔が海食作用が十分に行われない程度に短い場合は明瞭な平坦面が形成されない場合があるとして、200-300年程度の可能性もあり得るとした[8]。瀬野(1976)はプレートの相対運動と地震時断層滑り量から大正型地震の再来間隔を220年前後と見積もり[57]、瀬野(1977)は房総南部の段丘の隆起量と地震時隆起量、地震直後の回復的変動量、地震間の沈降量を加味して大正型地震の再来間隔を180 - 400年程度、元禄型地震は950 - 2500年程度と見積もった[58]

藤原(2012)は相模トラフ沿いの巨大地震が、878年相模・武蔵地震(元慶地震、M 7.4)、1293年鎌倉大地震(永仁地震、M 7.0程度)、1703年元禄地震 (M 8.1)、1923年大正地震 (M 7.9) であるならば最短220年、最長415年とし[59]、瀬野徹三は元禄と大正の関東地震はほぼ最短の間隔で発生したと考えている[60]。ただし、上述の通り元禄関東地震以前の記録はほとんど残っていないため、正確な周期については不明である。大正関東地震の震源域の南端は神奈川県西部から野島崎付近までである[要出典]。一方、元禄関東地震の震源域には房総半島南東沖も含まれ、このような地震は約2000年周期で発生すると推定されている[誰?]

この房総半島南東沖の震源域について約2000年より短い周期で繰り返し地震が発生してきた可能性があることが、産業技術総合研究所の海溝型地震履歴研究チームの調査により、2011年9月に日本地質学会で発表されている。房総半島南部沿岸の地質調査により従来の約2300年の周期と一致しない隆起痕が複数発見されたことによるもので、詳細な発生周期の解明には陸上だけでなく海底調査なども必要としている。地震の規模についてはM8級クラスの可能性がある。また、元禄関東地震については「大正型」の震源域に加えて、房総半島南東沖の「外房型」の震源域による連動型地震の可能性も指摘している[61][62][63]

長期評価

[編集]

地震調査研究推進本部は、2004年時点では「相模トラフ沿いのM8程度の地震」として1703年、1923年の2地震から発生確率を評価していたが、2014年の同本部による「相模トラフ沿いの地震活動の長期評価(第二版)」では、「相模トラフ沿いのM8クラスの地震」の発生確率の評価として、1293年、1703年、1923年の3地震の発生年代を用いた場合と、参考扱いとしてこれらに意見の分かれる1495年の地震[25]を加えた4地震を用いた場合の30年以内の発生確率をBPT分布に従うと仮定して評価している[9]。房総半島南部にある河岸段丘の沼面を形成するような元禄型関東地震の発生年代は、藤原(1997-99)らによる研究[64][65]からB.C.5200年、B.C.3000年、B.C.1000年、1703年とし、平均発生間隔は2300年とされた[9]。また、相模トラフのメガスラスト全体が一度に全て破壊される最大クラスの地震想定モデルとしてMw8.6(津波断層モデルではMw8.7)を設定した[9]

発生確率等の評価(地震調査委員会)
領域 様式 評価時点の30年以内の発生確率
2004年1月1日[66] 2014年1月1日[9]
大正型関東地震 プレート間地震 M7.9程度 ほぼ0 - 0.8% M7.9 - 8.6 ほぼ0 - 5%
元禄型関東地震 プレート間地震 M8.1程度 ほぼ0% ほぼ0%

他の地震・自然災害との関連

[編集]

過去の相模トラフ沿いの巨大地震やその可能性が指摘される地震を前後にしていくつかの巨大地震・噴火が発生している。1495年の地震が相模トラフ沿いの巨大地震である可能性を唱えた金子(2013)らは、相模トラフと南海トラフで巨大地震が連動しているケースがあるとし[67]、石橋(2014)も、相模、南海の両トラフにおける巨大地震の繰り返しのリズムは独立だと思われるが、相模トラフ沿いの固着が外れたことが南海トラフ断層面へのフィリピン海プレートの最後の一押しとなる可能性があり、タイミングが合えば連鎖的になり得るとしている[68](南海トラフの巨大地震については「南海トラフ巨大地震」も参照)。

878年-887年

日本海溝付近における連動型地震とされる869年・貞観地震の9年後には前述の相模・武蔵地震(伊勢原断層、或いは相模トラフにおける地震とされる)が発生しており、さらにその9年後の887年には南海トラフの巨大地震の可能性が指摘される仁和地震も発生している[68]

1495年-1498年

南海トラフの巨大地震である1498年・明応地震の3年前には、南関東で起きていた可能性が指摘される前述の1495年の地震(震源域は相模トラフ、或いは文献の記述は明応地震と混同されているなど諸説あり、「明応地震#明応4年8月15日の地震」を参照)もある[25][67]

1703年-1707年

元禄関東地震の4年後の1707年には、相模トラフと隣合う南海トラフ巨大地震である宝永地震とその直後に歴史上最後の富士山の噴火である宝永大噴火が起きている[69]。安藤(1974)や[70]茂木清夫(1980)は[71]、1703年元禄地震によって南海トラフのカギが外れ、1707年宝永地震につながったとする説を唱えている。

なお、相模トラフ沿いの巨大地震に分類されない1855年の安政江戸地震においても、南海トラフ沿いで1年前に安政東海地震及び安政南海地震という連続した巨大地震が発生している。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 石橋 『大地動乱の時代 -地震学者は警告する-』 p125ではタイトルを「相模トラフの巨大地震」としている。p129には「相模トラフ巨大地震」とも記される。また同書では大正関東地震は相模トラフ北西部に沿って発生するプレート境界巨大地震の最新例としている。

出典

[編集]
  1. ^ a b 石橋克彦(1991): 1293年永仁鎌倉地震と相模トラフ巨大地震の再来時間, 地震学会秋季大会講演予稿集, No.2, p.251.
  2. ^ a b c d e 石橋克彦 『大地動乱の時代 -地震学者は警告する-』 岩波新書、1994年, pp125-129.
  3. ^ 宇津徳治 『地震の事典』 p588, p615.
  4. ^ 井元政二郎, 森川信之, 藤原広行(2015): M8クラス関東地震発生確率の不確定性について」『日本地震工学会論文集』 2015年 15巻 7号 p.7_173-7_179, doi:10.5610/jaee.15.7_173
  5. ^ 遠田晋次・中村亮一・宍倉正展ほか(2006). “講演要旨 関東のプレート構造と安政江戸地震の震源” (PDF). 歴史地震, 第21号, 63. 2008年8月1日閲覧。
  6. ^ 大竹政和(1980): 関東・東海地域のテクトニクスの統一モデルと南関東直下の地震の発生メカニズム, 防災科学技術, 41, 1-7.
  7. ^ 松浦律子(2014): [講演要旨]1605年慶長地震は南海トラフの地震か? (PDF) , 歴史地震, 第29号, 263.
  8. ^ a b c d 石橋克彦(1977): 「1703年元祿関東地震の震源域と相模湾における大地震の再来周期 (第1報)」『地震 第2輯』 Vol.30, No.3, 369-374, doi:10.4294/zisin1948.30.3_369
  9. ^ a b c d e 地震調査研究推進本部(2014) 相模トラフ沿いの地震活動の長期評価(第二版)について
  10. ^ 今村明恒(1929): 「關東並に近畿地方に於ける地震活動の循環と大震前の諸現象とに就いて」『地震 第1輯』 Vol.1, No.1, 4-16, doi:10.14834/zisin1929.1.4
  11. ^ a b 那須信治『地学事典』「関東地震」(地学団体研究会編、平成8年(1996年) 平凡社発行、ISBN 4-582-11506-3
  12. ^ 萩原尊礼 『古地震』 pp112-117.
  13. ^ 早川由紀夫ほか. “『類聚国史』に書かれた818年の地震被害と赤城山の南斜面に残る9世紀の地変跡” (PDF). pp. 1ページ. 2008年10月29日閲覧。
  14. ^ 松田時彦(1988): 伊勢原断層(神奈川県)の試錐による地下調査-過去約7000年間の堆積環境と元慶2年地震の変位- 東京大学地震研究所 地震研究所彙報. 第63号第2冊,pp. 145-182.
  15. ^ 藤原治ほか(2010):千葉県館山市の海浜堆積物に見られる9世紀以降の津波(?)イベント堆積物 (PDF) 第26回歴史地震研究会, 講演要旨集
  16. ^ 寒川旭 『地震の日本史 -大地は何を語るのか-』 p51.
  17. ^ 寒川旭 『地震の日本史 -大地は何を語るのか-』 p62.
  18. ^ K. Shimazaki, H. Y. Kim, T. Chiba and K. Satake, 2011, Geological evidence of recurrent great Kanto earthquakes at the Miura Peninsula, Japan, Journal of Geophysical Research: Solid Earth, Vol 116, Issue B12408.
  19. ^ 宍倉正展, 原口強, 宮内崇裕(2001): 房総半島南西部岩井低地の離水海岸地形からみた大正型関東地震の発生年代と再来間隔」『地震 第2輯』 2001年 53巻 4号 p.357-372, doi:10.4294/zisin1948.53.4_357
  20. ^ 宍倉正展ほか(2005): 房総半島南西部における離水浜堤列の調査 -大正型関東地震の発生年代の推定- (PDF) , 活断層・古地震研究報告, 第5号, 51-68.
  21. ^ 武者金吉 『大日本地震史料 増訂』 第一巻, p445, p452.
  22. ^ 宇佐美龍夫 『最新版 日本被害地震総覧』 p46.
  23. ^ 石井進ほか 「高徳院」『日本歴史地名大系 神奈川県の地名』 p282.
  24. ^ 石橋克彦, 佐竹健治(1998): 「総合報告:古地震研究によるプレート境界巨大地震の長期予測の問題点 -日本付近のプレート沈み込み帯を中心として」『地震 第2輯』 Vol.50, 231-243,doi:10.4294/zisin1948.50.appendix_1
  25. ^ a b c 金子浩之(2012):宇佐美遺跡検出の津波堆積物と明応四年地震・津波の再評価, 伊東市史研究, 10号, 伊東の今・昔, 102-124.
  26. ^ a b Kawasumi(1951): 有史以來の地震活動より見たる我國各地の地震危險度及び最高震度の期待値, 東京大學地震研究所彙報. 第29冊第3号, 1951.10.5, pp.469-482.
  27. ^ a b 首都直下地震モデル検討会 (PDF) 首都直下のM7クラスの地震及び相模トラフ沿いのM8クラスの地震等の震源断層モデルと震度分布・津波高等に関する報告書
  28. ^ 笠原慶一, 山田重平, 安藤雅孝(1973): 南関東の地殻変動-展望と作業仮説-, 関東大地震50周年論文集, pp103-116.
  29. ^ 佐藤良輔, 阿部勝征, 岡田義光, 島崎邦彦, 鈴木保典 『日本の地震断層パラメーター・ハンドブック』 鹿島出版会、1989年, pp123-124.
  30. ^ 宍倉正展(2005): 海岸段丘が語る過去の巨大地震 (PDF) , 地質ニュース605号, 12-14
  31. ^ 東京大学地震研究所 宇佐美龍夫 「元禄地震の震度分布」 (PDF) 地震予知連絡会会報 1984年
  32. ^ 今村明恒(1931): 「關東大地震に伴へる地塊運動と其後の運動經過に就いて」『地震 第1輯』 1931年 3巻 2号 p.71-88, doi:10.14834/zisin1929.3.71
  33. ^ 羽鳥徳太郎, 相田勇, 梶浦欣二郎(1973): 南関東周辺における地震津波, 関東大地震50周年論文集, pp57-66.
  34. ^ 羽鳥徳太郎(1976):南房総における元禄16年(1703年)津波の供養碑 : 元禄津波の推定波高と大正地震津波との比較, 東京大学地震研究所 『地震研究所彙報』 第51冊第2号, 1976, pp. 63-81.
  35. ^ 佐竹健治ほか(2008): 元禄関東地震の断層モデルと外房における津波 (PDF) , 歴史地震, 第23号, 81-90.
  36. ^ 都司嘉宣 『千年震災 -繰り返す地震と津波の歴史に学ぶ』 p49, p143, p188.
  37. ^ 平野烈介(1924): 關東大地震の初動傳播速度と震源域」『気象集誌 第2輯』 1924年 2巻 4号 p.116-121, doi:10.2151/jmsj1923.2.4_116
  38. ^ 金森博雄、宮村摂三「Seismomentricak Re-Evalution of the Great Kanto Earthquake of September 1, 1923」『東京大学地震研究所彙報』第48冊第2号、東京大学地震研究所、1970年6月10日、115-125頁、ISSN 09150862 
  39. ^ 1923年関東地震の震源の深さについて (PDF) 浜田信生 験震時報50巻 pp.1-6, 昭和61年度
  40. ^ 今村明恒(1925):關東大地震調査報告(1), 震災豫防調査會報告, 第100號(甲), 21-65.
  41. ^ TURNER, H.H., International Seismological Summary for 1923, 201-203, University Observatory, Oxford, 1927.
  42. ^ 松澤武雄(1928): 最近の二三の大地震の観測及其走時曲線(第一回) 東京帝国大学地震研究所彙報. 第5冊, 1928.8.24, pp.1-28.
  43. ^ Beno Gutenberg, Charles Richter, Seismicity of the Earth and Associated Phenomena, 2nd edition, Princeton University Press, Princeton, 1954.
  44. ^ Richter, C. F., 1958, Elementary Seismology, W. H. Freeman Co., San Francisco.
  45. ^ Duda, S. J., 1965, Secular Seismic Energy Release in the Circum-Pacific Belt, Tectonophysics, 2, 409-452.
  46. ^ a b 金森博雄(1971): 関東地震(1923年)の断層モデル, 東京大学地震研究所彙報. 第49冊第1/3号, 1971.9.30, pp.13-18.
  47. ^ Ando, M.(1971):A Fault-Origin Model of the Great Kanto Earthquake of 1923 as Deduced from Geodetic Data, Bulletin of the Earthquake Research Institute, 49, 19-32.
  48. ^ Ando, M.(1974):Seismo-Tectonics of the 1923 Kanto Earthquake, Journal of Physics of the Earth, 22, 263-277.
  49. ^ 石橋克彦(1980):伊豆半島をめぐる現在のテクトニクス, 月刊地球, 2, No.2, 110-119.
  50. ^ Matsu'ura, M., T. Iwasaki, Y. Suzuki and R. Sato(1980):Statical and Dynamical Study on Faulting Mechanism of the 1923 Kanto Earthquake, Journal of Physics of the Earth, 1980年 28巻 2号 p.119-143, doi:10.4294/jpe1952.28.119
  51. ^ 1923年9月1日関東地震の関東地方における震度分布 (武村『関東大震災 -大東京圏の揺れを知る』,2003)
  52. ^ 中央気象台月別全国地震調査原稿大正12年9月
  53. ^ a b 宍倉正展(2003):変動地形からみた相模トラフにおけるプレート間地震サイクル, 東京大学地震研究所 地震研究所彙報. 第78冊第3号, 2003, pp. 245-254.
  54. ^ 松田時彦(1985): 大磯型地震について, 月刊地球, 7, 472-477, NAID 10003542818
  55. ^ 松田時彦(1993)、「相模湾北西部地域の地震テクトニクス」『地学雑誌』 1993年 102巻 4号 p.354-364, doi:10.5026/jgeography.102.4_354
  56. ^ 松田時彦, 太田陽子, 安藤雅孝, 米倉伸之(1974): 元禄関東地震(1703年)の地学的研究,垣見俊弘, 鈴木尉元編「関東地方の地震と地殻変動」, ラテイス, 175-192.
  57. ^ 瀬野徹三(1976): 「フィリピン海プレートのユーラシアプレートに対する回転運動の pole の位置」『地震 第2輯』 1976年 29巻 2号 p.197-200, doi:10.4294/zisin1948.29.2_197
  58. ^ 瀬野徹三(1977): 「地殻上下変動より推定された相模トラフ巨大地震の再来周期」『地震 第2輯』 1977年 30巻 3号 p.253-264, doi:10.4294/zisin1948.30.3_253
  59. ^ 津波堆積物から見た関東地震の再来間隔 (PDF) 地震予知連会 会報第88巻
  60. ^ 瀬野徹三. “関東地震の再来周期” (HTML). 2008年8月1日閲覧。
  61. ^ 宍倉正展(2012): 12-20 相模トラフ沿いの海溝型地震の新しい解釈 (PDF) , 地震予知連絡会会報, 第88巻
  62. ^ 首都直下地震:想定外の震源域 房総南東沖、海溝型M8級痕跡--産総研発見(毎日新聞 2011年9月9日夕刊)
  63. ^ 房総沖に新たな震源域か 関東大震災と同規模も(共同通信/47NEWS 2011年9月9日)
  64. ^ 藤原治ほか(1997): 「房総半島南部の完新世津波堆積物と南関東の地震隆起との関係」『第四紀研究』 1997年 36巻 2号 p.73-86, doi:10.4116/jaqua.36.73
  65. ^ 藤原治ほか(1999): 「房総半島と三浦半島の完新統コアに見られる津波堆積物」『第四紀研究』 1999年 38巻 1号 p.41-58, doi:10.4116/jaqua.38.41
  66. ^ 相模トラフ沿いの地震活動の長期評価 (PDF) 地震調査研究推進本部地震調査委員会 平成16年8月23日
  67. ^ a b 中島岳男, 石辺岳男, 藤原治, 金子浩之「特集:首都直下地震」『日経サイエンス』2013年4月号, p49.
  68. ^ a b 石橋克彦 『南海トラフ巨大地震 -歴史・科学・社会』 岩波出版、2014年, p177.
  69. ^ 小山真人 富士山噴火:過去の前兆や大地震との連動について
  70. ^ 安藤雅孝(1974): 東海沖か房総沖で大地震, 科学朝日, 34, No.3, 34-37.
  71. ^ K Mogi, 1980, Seismicit in western Japan and long-term earthquake forecasting, Earthquake Prediction, Maurice, Ewing Series 4, 43-52. A. G. U.

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]