天野勇
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天野 勇 | |
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生誕 |
1901年9月25日 日本 愛知県 |
死没 | 1950年2月20日(48歳没) |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1923 - 1945 |
最終階級 | 陸軍大佐 |
天野 勇(あまの いさむ、1901年9月25日 - 1950年2月20日)は、日本の陸軍軍人。陸士35期。最終階級は陸軍大佐。
経歴
[編集]愛知県出身。名古屋陸軍幼年学校、陸軍中央幼年学校を経て、1923年(大正12年)7月、陸軍士官学校(35期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官し、歩兵第51連隊付となる。歩兵第68連隊付などを経て、1929年(昭和4年)3月より東京外国語学校に3ヶ月間派遣され、ロシア語を学ぶ。その後ハルビンに1930年(昭和5年)4月まで留学した。
1930年8月、参謀本部付勤務(ロシア班)となり、同班長の橋本欣五郎が結成した桜会のメンバーとなる。天野は同グループにおいて、橋本の秘書的な役割を果たしていたという。また、1931年(昭和6年)の三月事件・十月事件の謀議にも加わっている。十月事件では重謹慎の処分を受け、解除後の1931年12月に、混成38旅団司令部付となる。1933年(昭和8年)3月、大尉に昇進し、同年8月歩兵第68連隊大隊副官となる。同連隊中隊長を経て、1938年(昭和13年)少佐となり、再び参謀本部付勤務となる。兵務局付勤務を経て、1942年(昭和17年)4月、関東軍情報部員となり、牡丹江機関に勤務。同年8月中佐となり、1944年(昭和19年)、関東軍情報部ハイラル支部長となる。
戦後ソ連軍に抑留され、以後の消息は長年不明であった(後に1950年2月にシベリアで病死していたことが判明)。そのため戦時死亡宣告を受け、大佐に死後昇進した。
参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年
- 中野雅夫『橋本大佐の手記』、みすず書房、1963年
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調222ページに記載あり。