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壬生基義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1912年頃の壬生基義

壬生 基義(みぶ もとよし、1873年明治6年〉6月15日 - 1936年昭和11年〉10月27日[1])は、日本陸軍軍人華族。最終階級は陸軍少将伯爵

経歴

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右近衛権少将壬生基修の長男として生まれる[1][2]1882年(明治15年)に宮中に出仕。明治天皇の手回り御用などの職務を行うようになり、天皇から信頼を得た。その後、勉強をしたいとして辞表を出すものの慰留され、結果的に軍人になることを条件に辞任が認められた[3]1896年5月27日、陸軍士官学校(7期)を卒業[4]1897年1月25日、陸軍騎兵少尉に任官[4]1901年10月、陸軍大学校(18期)に入学し、日露戦争出征のため中退し、戦後に復校して1906年11月に卒業した[5]。なお、この年、父の死去に伴い家督を相続、3月22日に伯爵を襲爵した[6]

以後、陸軍騎兵実施学校勤務、騎兵第1連隊附、騎兵第6連隊長[6]東宮武官[7]、兼侍従武官[8]などを務めた。1922年8月15日、陸軍少将に進み近衛師団司令部附となる[4][9]1923年3月17日に待命となり、同月30日、予備役に編入された[4][9]

その後、神道扶桑教管長事務取扱を務めた[10]

親族

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壬生基義(右上)と家族(昭和初期)。基義の隣に長男基泰、前列に妻篶子、娘種子

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成』下巻、695-696頁。
  2. ^ a b 『人事興信録』第6版、み71頁。
  3. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、260-261頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  4. ^ a b c d 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』124、130-131頁。
  5. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、554頁。
  6. ^ a b 『官報』第6816号、明治39年3月23日。
  7. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、297頁。
  8. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、296頁。
  9. ^ a b 『日本陸軍将官辞典』700頁。
  10. ^ 『官報』第193号、昭和2年8月19日。
  11. ^ 壬生基義歴史が眠る多磨霊園
  12. ^ 『女子文壇』第6年第12号、1910年9月1日、p19
  13. ^ 壬生基修『人事興信録』初版 [明治36(1903)年4月]

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第6版、1921年。
日本の爵位
先代
壬生基修
伯爵
壬生家第2代
1906年 - 1936年
次代
壬生基泰