壬生基義
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壬生 基義(みぶ もとよし、1873年〈明治6年〉6月15日 - 1936年〈昭和11年〉10月27日[1])は、日本の陸軍軍人、華族。最終階級は陸軍少将。伯爵。
経歴
[編集]右近衛権少将・壬生基修の長男として生まれる[1][2]。1882年(明治15年)に宮中に出仕。明治天皇の手回り御用などの職務を行うようになり、天皇から信頼を得た。その後、勉強をしたいとして辞表を出すものの慰留され、結果的に軍人になることを条件に辞任が認められた[3]。 1896年5月27日、陸軍士官学校(7期)を卒業[4]。1897年1月25日、陸軍騎兵少尉に任官[4]。1901年10月、陸軍大学校(18期)に入学し、日露戦争出征のため中退し、戦後に復校して1906年11月に卒業した[5]。なお、この年、父の死去に伴い家督を相続、3月22日に伯爵を襲爵した[6]。
以後、陸軍騎兵実施学校勤務、騎兵第1連隊附、騎兵第6連隊長[6]、東宮武官[7]、兼侍従武官[8]などを務めた。1922年8月15日、陸軍少将に進み近衛師団司令部附となる[4][9]。1923年3月17日に待命となり、同月30日、予備役に編入された[4][9]。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成』下巻、695-696頁。
- ^ a b 『人事興信録』第6版、み71頁。
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、260-261頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ a b c d 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』124、130-131頁。
- ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、554頁。
- ^ a b 『官報』第6816号、明治39年3月23日。
- ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、297頁。
- ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、296頁。
- ^ a b 『日本陸軍将官辞典』700頁。
- ^ 『官報』第193号、昭和2年8月19日。
- ^ 壬生基義歴史が眠る多磨霊園
- ^ 『女子文壇』第6年第12号、1910年9月1日、p19
- ^ 壬生基修『人事興信録』初版 [明治36(1903)年4月]
参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 人事興信所編『人事興信録』第6版、1921年。
日本の爵位 | ||
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先代 壬生基修 |
伯爵 壬生家第2代 1906年 - 1936年 |
次代 壬生基泰 |