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岡明之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岡 明之助
生誕 1890年7月5日
日本の旗 日本 和歌山県
死没 (1943-02-02) 1943年2月2日(52歳没)
ガダルカナル島
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1912 - 1943
最終階級 陸軍大佐(死後少将に昇進)
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岡 明之助(おか あきのすけ、1890年明治23年)7月5日[1][2] - 1943年昭和18年)2月2日[1][2])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍少将

経歴

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和歌山県出身[1][2][3]1912年(明治45年)5月、陸軍士官学校(24期)を卒業[1][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第7連隊付となる[1][4]歩兵第77連隊付などを経て、1924年(大正13年)12月から翌年4月まで陸軍歩兵学校で甲種学生として学んだ[1]

1927年(昭和2年)7月、豊橋陸軍教導学校付となり、1930年(昭和5年)8月、歩兵少佐に昇進し歩兵第18連隊付となる[1]1931年(昭和6年)8月、歩兵第6連隊付(半田中学校配属将校)となり、独立守備歩兵第2大隊付、独立守備歩兵第18大隊付、歩兵第28連隊付を経て、1935年(昭和10年)12月、歩兵中佐に進級[1]1938年(昭和13年)7月、独立守備歩兵第17大隊長に着任し、1939年(昭和14年)3月、歩兵大佐に昇進した[1][3]

1939年6月、第8国境守備隊第4地区隊長に就任[1][3]1940年(昭和15年)12月、歩兵第124連隊長に発令され日中戦争に出征[1][2][3]太平洋戦争を迎え川口支隊に配置されポートモレスビー攻略の準備を行うが、ガダルカナル島の戦い一木支隊の壊滅を受け同島に派遣された[2]1942年(昭和17年)9月の攻撃は失敗し、以後、再起を画してアウステン山付近に駐屯し戦闘を継続したが、1943年(昭和18年)2月に戦死[1][2][3]。同日、陸軍少将に特進した[1][2][3]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本陸海軍総合事典』第2版、39頁。
  2. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』163頁。
  3. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』327頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』308、327頁。
  5. ^ 『官報』第167号「叙任及辞令」1913年2月21日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。