岡明之助
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岡 明之助 | |
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生誕 |
1890年7月5日 日本 和歌山県 |
死没 |
1943年2月2日(52歳没) ガダルカナル島 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912 - 1943 |
最終階級 | 陸軍大佐(死後少将に昇進) |
岡 明之助(おか あきのすけ、1890年(明治23年)7月5日[1][2] - 1943年(昭和18年)2月2日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]和歌山県出身[1][2][3]。1912年(明治45年)5月、陸軍士官学校(24期)を卒業[1][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第7連隊付となる[1][4]。歩兵第77連隊付などを経て、1924年(大正13年)12月から翌年4月まで陸軍歩兵学校で甲種学生として学んだ[1]。
1927年(昭和2年)7月、豊橋陸軍教導学校付となり、1930年(昭和5年)8月、歩兵少佐に昇進し歩兵第18連隊付となる[1]。1931年(昭和6年)8月、歩兵第6連隊付(半田中学校配属将校)となり、独立守備歩兵第2大隊付、独立守備歩兵第18大隊付、歩兵第28連隊付を経て、1935年(昭和10年)12月、歩兵中佐に進級[1]。1938年(昭和13年)7月、独立守備歩兵第17大隊長に着任し、1939年(昭和14年)3月、歩兵大佐に昇進した[1][3]。
1939年6月、第8国境守備隊第4地区隊長に就任[1][3]。1940年(昭和15年)12月、歩兵第124連隊長に発令され日中戦争に出征[1][2][3]。太平洋戦争を迎え川口支隊に配置されポートモレスビー攻略の準備を行うが、ガダルカナル島の戦いで一木支隊の壊滅を受け同島に派遣された[2]。1942年(昭和17年)9月の攻撃は失敗し、以後、再起を画してアウステン山付近に駐屯し戦闘を継続したが、1943年(昭和18年)2月に戦死[1][2][3]。同日、陸軍少将に特進した[1][2][3]。