桑原四郎
桑原 四郎 くわはら しろう | |
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生誕 |
1887年6月4日 日本、岐阜県 |
死没 | 1966年4月22日(78歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1907 - 1941 |
最終階級 | 陸軍中将 |
桑原 四郎(くわはら しろう、1887年(明治20年)6月4日[1] - 1966年(昭和41年)4月22日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]岐阜県出身。1907年(明治40年)5月31日に陸軍士官学校(19期)を卒業し、同年12月26日に工兵少尉に任ぜられ、工兵第九大隊付となる[2]。1910年(明治43年)11月30日に工兵中尉に昇進[3]し、1911年(明治44年)11月27日に陸軍砲工学校(17期)高等科を優等で卒業[4]。更に員外学生として在学し、1917年(大正6年)8月6日には工兵大尉に昇進[5]。ヴェルサイユ条約の締結に軍関係者として携わり[6]、1920年(大正9年)9月13日付で、国際連盟陸、海、空軍問題常設諮問委員会帝国空軍代表者随員を仰せつけられる[7]。
その後、工兵第九大隊中隊長、陸軍兵器本廠付を経て、1922年(大正11年)8月15日に工兵少佐に昇進[8]し、1923年(大正12年)3月17日に陸軍砲工学校教官に補される[9]。1926年(大正15年)12月22日に工兵中佐に昇進[10]し、工兵第十大隊付を経て、1931年(昭和6年)3月11日に陸軍省軍務局防備課長に補され[11]、同年8月1日に工兵大佐に昇進[12]。
さらに、陸軍工兵学校教官、鉄道第三連隊長等を経て、1935年(昭和10年)8月1日に陸軍砲工学校工兵科長に補され[13]、1936年(昭和11年)3月7日に陸軍少将に昇進[14]。同年4月28日に陸地測量部長に就任[15]し、第一鉄道監を経て、工兵監在任時の1939年(昭和14年)3月9日、陸軍中将に昇進[16]。1940年(昭和15年)8月1日第二十五師団長に就任後、1941年(昭和16年)10月15日待命となり、同年12月2日予備役に編入された。
栄典
[編集]- 1908年(明治41年)3月20日 - 正八位[17]
- 1911年(明治44年)2月10日 - 従七位[18]
- 1915年(大正4年)11月7日 - 勲六等瑞宝章、大正三四年従軍記章[19]
- 1916年(大正5年)4月21日 - 正七位[20]
- 1919年(大正8年)12月25日 - 勲五等瑞宝章[21]
- 1920年(大正9年)11月1日 - 勲四等旭日小綬章・大正三年乃至九年戦役従軍記章[6]
- 1921年(大正10年)6月30日 - 従六位[22]
- 1926年(大正15年)8月2日 - 正六位[23]
- 1929年(昭和4年)11月1日 - 勲三等瑞宝章[24]
- 1931年(昭和6年)9月15日 - 従五位[25]
- 1934年(昭和9年)
- 3月1日 - 満州帝国:大満洲国建国功労章[26]
- 4月29日 - 旭日中綬章・昭和六年乃至九年事変従軍記章[27]
- 1936年(昭和11年)5月1日 - 正五位[28]
- 1937年(昭和12年)11月9日 - 勲二等瑞宝章[29]
- 1939年(昭和14年)5月15日 - 従四位[30]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[31]
- 1941年(昭和16年)
- 外国勲章佩用允許
- 1917年(大正6年)10月29日 - 大ブリテン国:ミリタリー・クロス[35]
- 1927年(昭和2年)7月7日 - 暹羅国:コンマンドール・クーロンヌ勲章[36]
- 1942年(昭和17年)9月14日 - 満州国:勲一位景雲章[37]
脚注
[編集]- ^ a b 『日本陸軍将官辞典』291頁。
- ^ 『官報』第7351号、明治40年12月27日。
- ^ 『官報』第8234号、明治43年12月1日。
- ^ 『官報』第8542号、明治44年12月9日。
- ^ 『官報』第1505号、大正6年8月7日。
- ^ a b 『官報』第2610号、大正10年4月16日。
- ^ 『官報』第2436号、大正9年9月14日。
- ^ 『官報』第3013号、大正11年8月16日。
- ^ 『官報』第3188号、大正12年3月19日。
- ^ 『官報』第4301号、大正15年12月23日。
- ^ 『官報』第1258号、昭和6年3月12日。
- ^ 『官報』第1378号、昭和6年8月3日。
- ^ 『官報』第2575号、昭和10年8月2日。
- ^ 『官報』第2753号、昭和11年3月9日。
- ^ 『官報』第2795号、昭和11年4月30日。
- ^ 『官報』第3652号、昭和14年3月10日。
- ^ 『官報』第7418号、明治41年3月23日。
- ^ 『官報』第8290号、明治44年2月13日。
- ^ 『官報』第1189号附録、大正5年7月18日。
- ^ 『官報』第1115号、大正5年4月22日。
- ^ 『官報』第2220号、大正8年12月26日
- ^ 『官報』第2675号、大正10年7月1日。
- ^ 『官報』第4197号、大正15年8月19日。
- ^ 『官報』第1259号、昭和6年3月13日。
- ^ 『官報』第1434号、昭和6年10月8日。
- ^ 『官報』第2822号附録、昭和11年6月1日。
- ^ 『官報』第2602号附録、昭和10年9月3日。
- ^ 『官報』第2802号、昭和11年5月8日。
- ^ 『官報』第3260号、昭和12年11月12日。
- ^ 『官報』第3766号、昭和14年7月26日。
- ^ 『官報』第4438号付録、昭和16年10月23日。
- ^ 『官報』第4300号、昭和16年5月12日。
- ^ 同日達、官報不登載;「叙位裁可書・昭和十六年・叙位巻三十七(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A11115074700
- ^ 同日達、官報不登載;「叙位裁可書・昭和十六年・叙位巻九十一(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A11115170800
- ^ 『官報』第1575号、大正6年11月1日。
- ^ 『官報』第158号、昭和2年7月9日。
- ^ 『官報』第4707号、昭和17年9月16日。
参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
軍職 | ||
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先代 鈴木元長 |
陸地測量部長 第13代:1936年4月28日 - 1937年8月30日 |
次代 野口正義 |